第三皇妃になったMTFの悲劇

こちらも1999年ごろに書いたものです。
用語についても問題が若干ありますが、まま…


第三皇妃になったMTFの悲劇
スポルス=サビナ(AC50?〜AC69)

★悲劇のはじまり

その日は紀元68年6月9日の未明のことであった。サビナは”夫”にたたき起こされた。眠気もさめやらぬままに、馬上で”夫”の腕に抱かれながら首都ローマ郊外へ向かっていた。塩街道とノメンタナ街道の筋にある館についたときにはサビナは何が起ころうとするのかわかっていた。館の裏へまわり藪をかき分けて、部屋に入る。館のあるじ、解放奴隷のパオンとエパプロディトスは”夫”を説得する。それは「自決」。”夫”の名誉を守る唯一の方法であった。

”夫”は嘆く。「なんと優れた芸術家が私とともに消え去ることか」。そしてサビナに大声で嘆き悲しむよう頼む。サビナは寝台のそばでふるえるしかなかった。”夫”は「イリアス」の一節を口ずさむと短剣で一気にのどを突いた。兵士達が駆け込む。すぐに止血しようとするものもある。だが”夫”の命は絶えた。サビナは絶叫した。

 



★第三皇妃はMTFTS!!
 サビナことスポルス=サビナがユリウス朝第五代皇帝ネロの第三皇妃になったのは、その3年前、紀元65年のことであった。スポルス=サビナの年齢は不明である。ネロと出会ったときまだ少年であった。しかし、おそらく15歳を下回ることはなく、18歳を超えることはなかったであろう。ネロの悪友ペトロニウスが、戯作「サテュリコン(乱痴気騒ぎ)」の主人公のモデルをネロにしている、という説に従えば、主人公の愛する少年の年齢が17歳であるからスポルス=サビナも17,8歳だったとみても良いであろう。もしも15歳以下であるとすると、若すぎて解放奴隷足り得ないからである。解放奴隷というのは待遇は現在のサラリーマンに似ていて、初代限りである。二代目は半市民状態で、三代目には一般市民である。スポルス=サビナは解放奴隷であったというから、実力が認められて、もしくはかわいがられ、信頼されて解放された、そういう年齢であるという推測が成り立つのである。

 「サテュリコン」のなかに解放奴隷の富豪の老人の回想シーンがある。この回想シーンに基づけば、スポルス=サビナのような富裕な市民に仕える少年と言うのは10歳になるかならないうちに主人の近辺の世話役につき、奉仕する。そしてひたすら主人に気にいられるように必死で働き、その働きに応じてもしも主人が解放しようと思えば晴れて自由の身分になれた。そのまま主人のもとで働くもよし、事業をおこして大富豪になるものもいた。

 スポルス=サビナは解放されてもそのまま主人の元でつかえていた。そのときにはすでに女性としての生活をおくっていたらしい。ローマの中では知る人ぞ知る有名なMTFであったのだ。普段は主人の近辺の世話をして働き、オフのときはローマの町へくりだして春をひさいでいたりした。

 一方、第五代皇帝ネロは嘆き悲しんでいた。最愛の第二皇妃ホッパエア=サビナを自分の過ちで殺してしまったのだ。原因はネロの朝帰りをめぐってのけんかであった。酔っていたネロはいかりのあまりホッパエアの妊娠しているおなかを蹴飛ばしてしまったのだ。そのため胎児が胎内で死んだ。当時の医療水準では胎児の死は母体の死も意味する。ネロはホッパエアに防腐処理をほどこして盛大な葬式で送り出した。紀元63年には第一子アウグスタを生後4ヶ月でなくしている。本来愛妻家であり、子供を欲しがっていたネロの心は完全にやんでしまった。心配したネロの女友達、シリア=クリスピラはホッパエアによく似た女性を探しまわっていた。ホッパエアのような赤い髪、白い肌。そして見つけ出したのだ。ホッパエアの生まれ変わり、スポルス=サビナを。

 



★古代世界のSRS(性転換手術)!?

 シリア=クリスピラはスポルス=サビナにホッパエアのドレスを着せて、ネロの前にだした。ネロの驚きは大きかった。本当にホッパエアが生きかえったと思ったのだ。早速ネロはスポルス=サビナを宮殿に迎えることにした。スポルス=サビナを手放すことを残念がる主人に莫大な結納金を払った。そしてスポルス=サビナを去勢し、性転換手術を受けさせる。当時の性転換手術は時代の水準にしては驚くほど高かったといわれている。そして最高峰の技術をもつとされたのはエジプトのアレキサンドリアの医者であった。おそらくローマまで呼び寄せたと考えられる。しかし、最高水準とはいってもそれはかなり過酷なものであった。

 当時の医療器具はエジプト南部のコムオンボ神殿から発見されているし、壁画にも残されている。医療器具そのものに関しては、現在のものとほとんどかわらないだろう。SRSの方法に関しては古代エジプトには文献は残っていない。しかし、現在でも残るインドのヒジュラの秘儀や中国の宦官の手記等によれば、オペの時に麻酔は使わない。古代エジプトで石灰を使った局部麻酔のようなものはあったようであるがほとんど気休めに近かっただろう。

 

ペニスを糸でしばって切断、パピルスか葦のくきで尿道を確保してから、女性器に見えるように焼いたメスで切り開いていく。そして止血用に熱した油を利用する。その段階まで意識を保っていられる人はいなかったであろう。全治するには1ヶ月以上かかった。くらい部屋に安静にして、消毒に油を使用した。なかには敗血症や感染症をおこして死亡したものもいただろう。おそらく現在のSRSに匹敵するぐらいの医療費もかかったとみられる。一般のMTFが日々の働きで得られるお金では到底出来ないであろう。

 



★ネロのセクシュアリティと好みのタイプ

 「身も女性になった」スポルス=サビナは赤い婚礼衣装を身につけてネロと結婚式をあげた。女性名はホッパエア=サビナ。第二皇妃の名である。区別するためにスポルス=サビナと読んできたが、実際は「ホッパエア」の名で通っていた。ネロと仲良く戦車に乗る姿ををみた民衆は「ああ、ネロの親父が男と結婚すれば」とうわさしたという。

 しかし、スポルス=サビナとネロの愛は1年もたなかった。ネロの心の傷はスポルス=サビナではいやされず、66年には第四皇妃スタリア=メッサリナという執政官の未亡人と結婚した。スポルス=サビナの悲しみは深く、さらに、SRSの影響でホルモンバランスが崩れたせいか、躁鬱病にも苦しんだ。別邸にさがったスポルス=サビナはそれでもネロを愛していた。

 ホッパエアの生まれ変わりとされたスポルス=サビナはなぜあきられたのであろう。おそらく、外見はホッパエアに似ていたが、性格が違う、スポルス=サビナはホッパエアの変わりにはならなかったと言うことである。ホッパエアはプライドの高い野心家のしたたかなタイプの女性であった。その性格はネロの母、アグリッピナもそうである。ホッパエアも初期の頃は「貞淑の仮面」をかぶっていた。しかし、ネロの寵愛が深くなるにつれて、徐々にその野心を表していった。

 反対に、第一皇妃のオクタウィアは「貞淑」の見本ともいえる女性であった。彼女はホッパエアの陰謀でネロによって22歳で処刑された。あと、身分とネロの社会環境から「結婚」は出来なかったが、妾に「ネロの初恋の人」アクテというギリシャ人女性がいた。ネロより8歳年上であった。アクテはギリシャ人特有の黒髪、黒い瞳であった。ホッパエアは4歳年上といわれる。第四皇妃スタリア=メッサリナについてはわからない。おそらくホッパエアのタイプであっただろう。彼女は過去に4回結婚しており、ネロの死後はネロの悪友であり、ホッパエアの前夫であるオトと再婚した。ネロは女性の好みにおいては「母アグリッピナ」のイメージをおいかけていたと言われる。赤い髪、白い肌のプライドの高い女性でないとダメだったのである。

 スポルス=サビナは外見こそネロの好みであったが、性格はアクテやオクタウィアのように貞淑タイプであった。出自を考えればそれはそうである。アクテもスポルス=サビナもネロと知り合う前は確かに多くの男性を渡り歩いてきた。しかし、だからと言って、「男好き」かというとそうでなく、当時の売春は本当に「生活のためのアルバイト」という性格が強く、ネロのような強力なパトロンが出きれば、生活の保証はされたものである。それゆえ、本来の「貞淑な性格」がでたのであろう。実際アクテはネロの死のころには知らない人のいない有閑マダムになっておりネロの葬式代は彼女がだした。

 ネロはバイセクシャルでもあった。これはネロの教育係の青年が二人ともホモセクシャルであった影響もあるともいわれるが、そもそも現在と違ってアウグストゥスからはじまって、第五代ネロにいたるまで、全員バイセクシャルであったため、タブー視されていなかった。アウグストゥスカエサルの同性愛関係から養子になったといわれている。スポルス=サビナが第三皇妃になった理由、それはこうした背景があるのであろう。

 



ギリシャ旅行、ネロの死

 それでも66年はネロにとってもスポルス=サビナにとっても人生で最高に幸せな年であった。ネロの子供の頃からの夢だったギリシャ旅行がかなったのである。当時のギリシャは文化においては資質剛健を好むローマより優れており、ローマは自国発祥の文化をもたず、ギリシャに影響されていた。皇帝にならなかったらなりたかったネロの夢、それは役者であった。役者になって、劇場で歌いたい。そのためにプライベートでは歌劇の訓練や勉強を怠らなかったネロは自分の実力を試したいと、コリントへ向かって出発した。

 ニコポリス、コリント、デルフォイアテネとスパルタにはいかなかった。そのあいだにネロはスポルス=サビナとギリシャでも結婚式を挙げた。ローマと違ってギリシャでは同性愛が寛大である、という文化背景があるのに気付いたからである。そして、音楽祭や競技会に出席する一方でコリント運河の建設にもとりかかり、ギリシャ全土をローマの属州からから解放した。

 そしてこのことがネロの命取りになった。元老院を敵に回したのである。ローマの皇帝は絶対権力者ではなく、あくまで元老院が政治的には力をもっていた。その元老院を敵に回したことによってネロを倒そうとするものが多くでた。ネロの死の原因は老将ガルバである。ガルバはネロの死後皇帝となった。

 ネロの遺体を引き取って葬式をあげたのは、アクテであった。第四皇妃スタリア=メッサリナはネロの悪友であり、ホッパエアの前夫であるオトと再婚した。そして、スポルス=サビナはネロのクーデターの仕掛け人であるニンピディウスの愛人となっていた。しかもネロの葬式の当日に勝利の美酒に酔いながらスポルス=サビナを抱いたという。

 



★ネロの治世の象徴、そして女性としてのプライド

 スポルス=サビナは気付いていたのであろうか。おそらく本人が思う以上にスポルス=サビナはローマにとって重要な存在になっていた。もちろん、ネロとの4年の結婚生活ではネロが抱えていた政治的な問題を理解することも政治的思考も出来なかったであろう。後世の歴史家のMTFに対する「性的な存在」という偏見のためか、スポルス=サビナの政治的な存在意義についてはふれられていない。しかし、その後のスポルス=サビナの扱いを見ると政治的にかなり重要な人物として注目されたのは間違いない。ニンピディウスがスポルス=サビナを愛人にしたのはまさにその背景であった。ネロの愛したMTFをいかに処遇するかが、ネロの治世の路線を継承するか否かの目安になったのである。

 第四皇妃スタリア=メッサリナのオトとの再婚もこうしたいきさつがあってのことであろう。ネロの義弟ゲルマニクスや母アグリッピナ、オクタウィア、ホッパエアなきあとのネロの関係者の中で最高権力にあったのが実はスポルス=サビナであったわけである。アクテもかなりの実力者であったが公的な権力は何もなかった。ネロの後継者達がスポルス=サビナに注目したのは当たり前のことだったのである。このことには女もMTFも関係なかった。しかし、スポルス=サビナがMTFであると公的に知られていたことと、ネロの後継者達に注目されていたこと、このことがスポルス=サビナの晩年の運命を左右した。

 ニンピディウスはネロの後継者となるべくガルバに向かってもクーデターを仕掛けた。しかし、クーデターの前に自分が味方の兵士に殺された。69年の1月にはガルバも公の場で虐殺された。このクーデターを仕掛けたのはネロの悪友オトであった。ニンピディウスもオトもスポルス=サビナを「ホッパエア」と呼んで寵愛した。オトはスポルス=サビナに元の妻の面影をみたであろう。ネロの死後ではつかのまの、最後の平安の日々がおとづれた。スポルス=サビナはローマ郊外のネロから与えられた別荘で静かに思い出に浸りながらくらしていた。

 オトの治世は3ヶ月であった。基本的にはネロの路線を継承したが、ネロと比べると厳しい面が多く、ネロの治世を懐かしむ声が民衆に多くなった。そしてそのすきにウィテリウスが対抗馬として名乗りをあげたのである。4月14日、ベトリアクムの戦いでオトは負け、自殺した。勝利者となったウィテリウスは民衆の間にネロ人気が高く、オトが自殺したことによってウィテリウス批判が高まっているのをみて今までの皇帝と逆の発想をした。それはネロ路線を完全に否定するというものであった。7月中旬にローマにはいったウィテリウスはスポルス=サビナにそのための第一歩にスポルス=サビナに目をつけたのである。

 宮廷からの命令書をうけとってスポルス=サビナは愕然とした。その命令とは「劇場でスポルス=サビナが”女性であること”を証明せよ」というものであった。命令の意図はわかっていた。スポルス=サビナがMTFであることを公の場でさらしものにすることによって「ネロが皇帝にふさわしくない、男を女に見せかけて結婚までした”背徳者”である」というイメージをうえつけ、ネロ人気を落とすことにあった。公の場で自分がさらしものになることによって自分だけでない、愛する夫ネロの名誉も傷つける。しかしことわっても引きずってでも劇場につれていきさらしものにするだろう。そしてそのあと「なぶりごろしになる」。夫への愛をつらぬく名誉ある方法、それはかつて夫がとった”あの方法”しかなかった。真夏の暑い日、スポルス=サビナはやっと20歳をこえたばかりであった。

 



性同一性障害への偏見はあったか?

 その後のキリスト教文化の影響と、ネロのキリスト教徒の迫害にために後世の歴史家によってネロのイメージはかなりゆがめられた。その関連でスポルス=サビナとネロの関係も同性愛と異性装のタブーによってかなりマイナスのイメージで書かれている。しかし、一方で重要な点が一つある。MTFを皇妃にしたネロはたしかにマイナスのものとして書いている。ネロの母、アグリッピナもホッパエアもかなりマイナスのイメージで書かれている。しかし、スポルス=サビナ本人に関してはMTFであることに関しても人格に関してもマイナスのイメージがないのである。しかも同じ解放奴隷のアクテはかなり人格に関して肯定的に書いてあるにもかかわらず、スポルス=サビナは「可でもなく、不可でもなく」である。人格のある存在として書かれていないのである。

二通りの見解が出来る。スポルス=サビナがMTFであると公式に知られていたがゆえに「女性としても男性としても人格をつかめなかったため評価が出来ず、ノータッチになってしまった」という考えと「MTFであることがすなわち人格にも問題がある、というわけでないことを歴史家は理解していた」という考えである。「その人が『男か、女か』がいかに人物評価に影響するかが見える」とも考えられるし、「MTFであっても生まれつき女性であっても生きる人生には基本的に大差ない」というとも考えられる。わずか20年あまりの生涯で解放奴隷から皇妃にまでのぼりつめたにもかかわらず皇帝への愛に殉じた一人のMTFの生涯から現在のわれわれは何を学べるのであろうか。