行動指針4 俺様ルールを交渉カードに使う

2010年の障害はいい教訓になった。
コンピューターよりこわいのは「人」だ。


「システムは人」。


わからない&間違っていること「常識」として堂々と主張する人々がいる。


今までは「現場は正しい」という鉄則があるため、
私が知らないだけかと思い、基本相手にあわせることを鉄則としてきた。


この不況ゆえプロジェクトがきまらずいろいろなところに面談にいった。
いろいろな傭兵稼業の手法を聞かれることがあるが、
こういう質問って非常に答えにくい。


「基本現場のやり方重視」だからだ。
ある種の傾向はだせてもはっきりいうと一番のキーは現場のリーダーのキャラクター。
ようするに「その人のやりかた」。


だから「適応不可能な」自分のスペックをいうことが多い。
どうしようもないからね。くやしいけど。
逆にいうとミッションがはっきりしていて、
障害がなければ「現場のやりかた」でいける。


しかしなんのことはない、相手も知らない…ということがある。
自分の障害以外で障害がおこるのはこの部分じゃないかな…。


「????じゃあそのシステムは????どうやって構築した???」と思ったら、議事録がでてきてすべて他人様の手によることが判明、という事件もあった。


「これじゃあ、作業負荷とかぜんぜん見積もれないわけだ…。相手がやったことないから…。(嘆息)」


…私もわからない&間違っていること「常識」として堂々と主張しようとおもったさ。
「俺が知っている常識はこれじゃ!」とつきつけるのも大事かもしれんとおもったさ。
「おたくの常識はうちの常識ではない」とはっきりいったほうがいい場合もある。
隠れたなにかをひきだせるかもしれないしね…。


実際問題傭兵やっているとよくわかるが、原理原則は変わらないということは確かにある。
その意味では同じ、ということはあるが、たとえていうならムスリムに対して「酒が飲めないなんて非常識」「お前の女房ほめて何が悪い!」「豚のソーセージをだまってくわせる」ぐらいの極端なことを相手を確認しないで「常識」として押しつけることが結構多い。


知らぬが仏とはムスリムも日本人もいうけど、ちょっとね…みたいな。


酒ひとつとっても神道では「最高級&もっとも貴重なの食材」、イスラムでは「NGの食材」で極端に違ってどちらが正しいわけではない。


実はアル中にひどい目にあってきた人生だったので、
日本から「酒」をなくせと思ったことがあった。
禁酒法つくれ、と思ったことがあった。「日本を酒のない国にしたい」。
「悲しい酒」は大嫌いだ。
美空ひばりの「悲しい酒」を聞くだけで不愉快な思い出がよみがえる。
怒りを感じる。悲しみを感じる。
だけど、神道の勉強して少し考えがかわった。


日本にとっては酒は「食べ物の王者」、
「保存のきく古代の栄養ドリンク」「緊急時の食品」なのだ。
今の加工品の酒はともかく、昔の酒は糖度も高く、体をあたためる。
日本の厳しい気候を生き延びるにはあれは必須だったのだ。
日本社会から酒をとったら、日本文化が失われる。


一方暑さの砂漠のイスラム圏では命にかかる。
理性的判断を狂わせる。
どちらも理にかなっている。
しかも完全にNGではない。
あの世ではいくらでも飲んでいい。


それに酒がないところでは人は「麻薬」に走る。
「悲しい酒」が飲めない人に人は麻薬をすすめる。
だから、イスラム国のアフガニスタンとかで麻薬中毒が多い。
「正しいこと」にはこうした裏も表もある。


ここでひとつの落とし所が生まれる。
「悲しい酒」はやめてね。中毒になったら人間終わるから。
楽しい酒ならいくらでも飲んでね。


こうした前提となる世界観をあわせないと、会話そのものが通じないよ、というのが
私の主張なのだけど、実際トホホが多いです。


「俺様交渉カードのぶつけ合い」
これは人を選ぶ。
人を選ぶからいいのかもしれない。


「どういう価値観でこの話をしている?」というのは大変大事です。