さとしの障害者運動史観

私、聴覚障害のほうは団体で動いておらず一匹狼だったのでくわしいわけではないですが。


・障害者問題で一番大きいのは「分離政策」。


・転機は「川崎バスジャック事件」
昭和51年(1976年)に脳性マヒの当事者を乗車拒否したことが発端で神奈川県川崎市で障害者たちが起こしたバスジャックなのですが…。重度障害者にとって交通機関が利用できないために生活がなりたたないという現実をつきつけた事件でもあって、これがかなり象徴的。その後障害者の権利運動が活発になった。


・障害者年
その後1981年の障害者年をうけて、「障害者と健常者」の共生の試みが始まった。とはいえその後も「障害者と健常者」をわけるしくみというのはずっとあった。


障害者年をうけて私は難聴学級から普通学級へ移った。


結局私が社会運動に身を投じたのは9歳。個人レベルで問題が解決したのは12歳。それでも根本的な解決にはいたらなくて私が学校を離れた瞬間に「差別待遇」が元に戻ってしまった。残された人が激しく抗議したらしいのだけど…NG。


彼らが学校を卒業するときに「やっと一人前になれたね」といわれたひどい話。


これが1990年の話。


対等な人間として…という意識がでてきたのはGIDの運動と同じ時期ではないかなと思う。


つまり90年代後半。


障害者の性に関しての問題も障害者ゲイの活動家の自殺問題があるように、ヘテロセクシャルに視野が向いていて性的少数者は今なお視野外にある。


つまり40年近く戦いが続いていますが「まだまだ」。


そういうわけで活動は終わったら「全面撤退、バイバイ」ではなくて、「距離をおいても監視していたい」と思うのは「廃止したはずの差別待遇」が元に戻ったあの悔しさ、という子どものときの経験が生きているのかもね。


まったく、「いい」教育だよ。

つまり小学校のときに一番学んだのは「改革は手をゆるめたらひっくりかえすやつが出てくる」ということさ。
政治にせよ、行政にせよ、「普通の暮らし」にせよ。