自分の身体の仕様
自分設計ってそんなに難しいか?と本気で思うんだよ。
でも難しい人には難しいのだろう。
そんな相談受けていて、こっちも思考につまづいているものがあるのさ。
○一つ目の命題
<さとし問い>
「どうしてみんな自分の身体の仕様がわからないかな」。
<さとし答え>
機械やシステムもそうだが、何かの仕様を知るためには「動かす」しかない。
動かしてみてトラブルが起こるから、仕様がわかるし、対策がわかる。
人体も同じように考えると、人体がトラブルから「健康とは」について考える。
さらにほかの人体と比べるから自分の仕様がわかる。
わからない人というのはふたつある。
あまりにも健康体すぎて、「なんでもできる」という万能感を感じている場合。
そういう人は平気で暴飲暴食を行い、むしろそれを美学としてもっていて、他人にすすめる場合がある。
非常にやばい。
だから管理職の企業の研修で「健康管理」があったりするのだ。
もうひとつは自分のことだけしかみておらず、理想論でいわれている「健康」が強迫観念になっている。
「実は五体満足でない」「実は居弱体質」「実は人に比べて過労気味」。
なのに、標準にあわせようとしてぼろぼろになるタイプ。
では五体満足ってどんな状態?
居弱体質でない人は?
過労に強い人はどんな人?
実は先週まで「五体満足」の人は大会議室の会話をすべて理解できているものだと思っていた。
なのでそれができるまで聞けないと「聴覚障害」から開放されないと思っていた。
実際には「聞こえない&聞きにくい話」のほうが多いらしい。
こういうのなんかも「間違った五体満足像」だよな。
その手の話でうけたのは下記の本による「エンドレス勃起の話」。
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よーするに「性に強い男とはこういもの」との思い込みで病院を転々としていたわけだ。
そういうたぐいの「理想論」を「事実」と思う&思い込まされることによる「無理」だ。
私の経験的法則は「なまけることが得意な人」は五体満足で身体が強くて、少々の無理が利くと思う。
逆に脳神経件を酷使しなければならない人というのは居弱体質になりやすい。
たとえば僕のような人間は非常に神経を酷使しやすい。
つねに「聴く」のアンテナ感度を高めていないといけないし、また情報を得るために人の筋肉の動きを読む、空間の中の人の配置とか別のチェックポイントをもっていたりする。
当たり前だと思っていたら、聞いて見ると「五体満足」の人は人の話をすべて聞いているわけでないし、自分のいる空間や他人の動きなど関係ないと思っている人が多いらしい。
では、その分アンテナ感度を弱めて気を抜いてみる。
その分神経的持久力はもつ。つまり強くなる。
強くなりたきゃ、強いやつのすべてをまねればいい。
でも必要なことはそれだけではない。
「自分の仕様を知ること」。
無神経なやつほど体質的には強くて、神経質なやつほど弱い。
理由は脳神経を使えば使うほど、それだけエネルギーを消費するからだ。
大体脳は筋肉の3倍のエネルギーを消費して、しかもグルコース以外の糖質は受け付けない。
つまり体質って気のせいでなくて、やはり物理化学的反応によるものなのだ。
物理化学的反応にアプローチで解決を図るのが当たり前だろ!と思っていたのだが、当たり前だと思っていない人たちがいるんだよね。
意識して鍛え上げることはできるが、物理化学的反応の限界を超えることはできない。
しかもややこしいことにひとりひとりの仕様が違うために、物理化学の方程式のように万人に当てはまる方程式はないわけよ。
ある程度の標準値をみることができてもね。
ある程度の標準値が存在するからといって、「自分はその標準値になれる」となぜ思ってしまうんだ?
自分はその標準値からどのぐらいの誤差があるか?と考えるのはいいのだが、「標準値にならねば!」はおかしいと思うのだが、思わないのだよな。
たとえばそれに近い自分の体験をかかせていただくとこういうことだ。
現在新型インフルエンザさわぎで、予防接種の話が多いだろう。
昔僕ら35歳台の人はインフルエンザ接種が「義務」になっていた。
当然、接種の前の日には体温をチェックするようにいわれる。
母は体温を測らずに「36度4分」で提出していた。
ところが、体調が悪くて熱を測ると「36度4分」であることが多かった。
なので「このだるさは自分の怠け心か!」と必死に自分と戦っていた。
ある日平熱を測った。
「あれ?」
「35度2分」。
もう一度図ったが変わらない。
体調がいいときの体温は「36度4分」ではなく、「35度2分」。
「36度4分」では「36度4分」の人が37度の熱を出しているのと同じだったのだ。
体調が悪いのは自分が精神が弱いのではなく、本当に体調が悪かったのだ。
「あぶね〜」。
以来「35度2分」を平熱として健康管理をしている。
もっとも今は「35度9分」ぐらいがちょうどいいぐらいに健康的になってきた。
でもやはり「36度4分」ではだるい。
たまたま35度2分のときに接種があったから、何事もなかった。
もしもはかって「36度4分」が平熱と思って接種をうけたらとんでもないリスクがあっただろう。
「自分の平熱は35度2分なんだ」
自分設計をするときに重要なことはそういう部分なのだ。
自分の物理的な限界以上の性能はでない。
自分の身体や思考の性能改善はもちろん必須であるが、それでも限界がある。
「自分を変えたい」いうあなた。
「理想の自分はこうだ」というあなた。
あなたは自分の仕様をどこまで知っていますか?
自分の限界を超えたとんでもないことを計画していませんか?
自分自身の身体にきいてみてください。
「おれ、むちゃくちゃを要求しているのか?」と。
以上。