串本・エルトゥールル号の話
2008年にいけなかった串本・トルコ記念館へ。
有名なエルトゥールル号遭難事件の現場だ。
東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件
- 作者: 山田邦紀,坂本俊夫
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- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本
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救出―日本・トルコ友情のドラマ (人と“こころ”のシリーズ)
- 作者: 木暮正夫,相沢るつ子
- 出版社/メーカー: アリス館
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エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事故が起きたのは1890年、日清戦争の4年前だ。
現在映画化の動きがある。
今年で120周年。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100605-OYT1T00524.htm
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100605-OYT1T00524.htm
背景にはロシアの脅威と向き合うべく、日本とトルコで同盟を結ぼうという動きがあった。
3年前、天皇の甥、小松宮殿下夫妻がイスタンブールを訪問。
その返礼にアブドュルハミト2世が使節を派遣することを決定。
その候補として選ばれたのが、エルトゥールル号(アルトグラール号)。
Türk Deniz Kuvvetleri - Turkish Naval Forces
http://web.archive.org/web/20061007041005/http://www.dzkk.tsk.mil.tr/English/Tarihce/ErtugrulFirkateyni.asp
http://www.turkey.jp/jp/ertugrulfrigateJP.htm
http://www.turkey.jp/jp/ertugrulfrigateJP.htm
35年ものの老朽化した木造軍艦。2344トン、600馬力。
速力10ノット。全長76.3m×幅13.3m 。20階建て×6畳ワンルームが5部屋?
軍艦三笠は122m×23m
史上最大といわれた戦艦大和は263m×38.9m
ま、現代の基準からみるとそんなにでかい船ではない。
こんなもん?
ひだ型巡視船 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%A0%E5%9E%8B%E5%B7%A1%E8%A6%96%E8%88%B9
定員30名。ここに600名超。
実は正確な人数がよくわからないらしい。
公式記録では生存69+587名=656名がのっていた。
オスマントルコ海軍は黒海、地中海からでたことがない。
遠洋の航海は初体験。
なので、この日本行きを目的に遠洋航海の訓練を考えた。
また、オスマントルコはイスラームの王者。
弱体化しているとはいえ、エジプト、インド、マレーシアなどの
イスラーム国家に権力を誇示する必要があった。
パン・イスラム主義の宣伝だ。
んでもって皇帝の弟も含む656名。
11ヶ月かけて、日本に到着、6月のことだった。
それから3ヶ月。
ちょうど台風の時期。
日本側がとめるのもきかず、横浜のコレラ発生の感染を恐れ、9月15日に出発。
9月16日夜10時半ごろ。
紀伊大島の樫野崎。
ここに船甲羅とよばれた海難事故を起こしやすい難所があった。
http://www.h2.dion.ne.jp/~y_iwaki/oshima.htm
http://www.h2.dion.ne.jp/~y_iwaki/oshima.htm
ここに座礁した。
傾いた船の蒸気機関に海水が入り込み、水蒸気爆発。
船はこっぱみじんに砕け散った。
奇跡的に助かった生存者たちが崖をはい上がり、助けを求める。
大島では総動員で生存者の救助にあたる。
村にとってもありえないほどの大災害の救助活動。
もてるものをすべてを動員し、救助に当たった。
「困っている人を助けるのはおたがいさま」。
村の人はそう考えた。
このことが約100年後の1985年のイラン・イラク戦争での
トルコの日本人救援劇につながる「ありがとうスパイラル」につながった。
日本・トルコの同盟は成り立たなかったが、
この話は「親日家トルコ」の原点になっている。
大事な行動を起こす行動力。
おたがいさま精神。そしてありがとうスパイラル。
トルコの日本人救援劇に隠された国民を救えない「管理の国家」日本の脆弱性。
それを救った「義務の国家」トルコ。
「義務の国家」の原点は串本にあった。
日本が忘れようとしている何かを思い出す。
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm
オスマン帝国海軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E8%BB%8D
いきなりトルコの雑貨店登場にびっくり。
「ささささ、採算あうの?ビジネスなりたつの?」
たぶん、成り立つんだと思う。
http://www.ottoman-konak.com/shop/
http://www.ottoman-konak.com/shop/
串本駅あたりではレストランもあるらしい。
Ottoman Konak (オスマン コナック) - 串本町その他/洋菓子(その他) [食べログ]
http://r.tabelog.com/wakayama/A3005/A300503/30004008/
トルコ記念館。
沈没船から引き上げた資料からトルコとの友好の品々が飾られている。
兵士たちの遺品、名前…。
展望台からは海もみえる。
資料もたくさん。小さいながらじっくりくる価値はあり。
2008年6月7にはトルコのアブドゥラー・ギュル大統領が訪問。
トルコ大統領としてははじめてだそうだ。
樫野崎灯台方面を見る。ちょっとしたデートスポットになっている?
夏はにぎわうのだろうな…。
樫野崎灯台方面をみる。
実は時間なくて(ないとおもったので)いかなかった。
エルトゥールル号殉難将士慰霊碑。
犠牲者の遺体をここに葬った。
そしてのちに改修、慰霊碑を建てた。
2007年の発掘時引き上げた遺骨もここに収められたと聞く。
慰霊祭は10年に一回だったらしいが、現在は5年に1回になっている。
樫野崎灯台方面。
ここは日本風みやげものや。
大島のなつみかんがメインのようだ。
14時半。紀伊勝浦へ戻るように出発する。