「ブログ」「ネット」の研究活動の諸問題

★編集時 補足
私にとっては表現力があがったという利点がある。
ネットがなかったら、聴覚障害のハンデで他者の意見が聞きにくいというのがある。
それ以前に他者の目線にたえうるものを書こうとした場合、
従来はほかの人の論文1本を手で書写するというプロセスがかかせなかった。
それだと現代社会のスピードに間に合わない。
それが私の最大の「障害」だった。
しかも「会話表現は最悪のまま」だっただろう。
ネット、ブログ、ツイッター
いまだといろんな表現考え方が早いスピードで多くみえる。しかし…。


【本日の考え事 その1】ブログなどのよい点は読者がいるという前提で行動を起こせること。自分のローカルにあるとなくしやすいし、忘れやすいがネットにあると自分が書いたものも確認できる。脳内の思考の回転も良くなる。少しずつ出したものでもたまればすごいことになる。


【本日の考え事 その2】私のブログはさとしの哲学書簡というタイトルをつけているが、昔は研究活動は主に書簡、手紙での交流で行われていた。ヴォルテールの哲学書間しかり、デカルトアインシュタイン、マリーキュリー。 日本でも民間研究者、南方熊楠聴覚障害でかつ儒学の研究者、谷三山。


【本日の考え事 その3】哲学書間だと伝える相手のために伝わる言葉で考えやすい。谷三山の例にもれず、聴覚障害でも研究者になれる。だが欠点は共感できる仲間をみつけないとできない。マイナー、タブーな研究ほどそれが難しい。例えばイスラームや性科学はそう。日本では悪の研究のたぐいになる。


【本日の考え事 その4】イスラーム「悪の研究」アメリカよりのメディア戦略により、イスラームの研究を建設的と考える人は少なかった。今はやや良くなったがそれでも少ない。日本になんの役に立つのだ的な。イスラームをダイレクトに研究する人より個別の別件のきっかけが大きい。


【本日の考え事 その5】特に周囲が「イスラームを殲滅しろ」理由;イスラーム=テロリスト集団。団塊には日本赤軍のイメージが?そんななかでアナログで仲間をみつけるのは難しいし、その前に自分の気持ちや意見を表現するのはもっと難しくなる。特に若年者の障害者&マイノリティには。


【本日の考え事 その6】そんなわけでネット上で発表できるということは、自分のいる世界の枠を超えて、哲学書間をかわす人々に会えるということである。特になんらかの障害をもつ人々は周囲に原則的理解者がいないという課題をかかえて孤独である。問題解決の原則すら学べないことが多い。


【本日の考え事 その7】大人になるということは自立した自分の世界観に責任をもっていどむこと。祭事や家業の後継者以外の人間であれば、自分の知る世界の外に自分の大事な価値が往々にしてある。インドのヒジュラを例にとれば彼らは地縁血縁とはもっともとおいが彼らなりの以心伝心の常識がある。

聴覚障害発達障害の世界でもよくある。当事者の人の周囲の人が「聴覚障害アイデンティティ」を育てないように同じ障害をもつ人に「異常な人々」のレッテルをはり、近寄らせないことがある。その結果、特有の諸問題の解決ができずに社会不適応になることがある。

私個人のことで振り返ると一番顕著だったのは「他人とのつながり方がわからない」
他人に「甘える」ということがわからない。
情のやりとりをするということが「非常識」に感じる。
そのために「みんなと仕事をする」というのが下手。
=自分の責任範囲をすべて自分でやろうとするため。
家風的に重要なので訓練はしているが、それとは違う。
たぶん「己を知る=他人にとって聞こえないとはどういうことか」が難しくなるのだと思う。
=なぜ悪いか。わらしべ長者式に人に頼らないと締め切りまでに終わらない仕事がある。
=そのやり方がわからない+そんなやり方あるなんて知らない…みたいな。
=ちょっとしたことを簡単に質問する人にかなりおどろいたぐらい。
でも、聞こえる人の大半がそうだと知り、さらにショック、みたいな。

ピアがいるとどのような場合でも問題解決が早いので社会適応も早い。
ただし「傷のなめあい」になる弱点もある。


【本日の考え事 その8】自分の把握できる空間を超えたところで、自分の研究ができる。いい時代になったものである。しかしネットの情報には弱点もある。基本的には論文への引用としてリンクを貼ることができる。そのリンクがきれてしまうことがあるのだ。研究資料の永続性に欠けるということだ。


【本日の考え事 その9】昨日のツイートの楽天ブログのトラブルもそうである。有料で自分のサイトを、は意外に短命である。だから公共の場所にあれば自分がなくなってもある程度長めに生き続ける。しかし近年のブログも企業が運営を維持できなくなった場合に困る。どっちもどっちなのである。


【本日の考え事 その10】自分はブログのみならず電子書籍や紙ベースの本を残すつもりだ。また理想論だがある程度世界言語でも残したい。メディアはとはずでいろんな形で。忙しくてなかなか着手できていないが、今日はこれにて。