2016年08月21日のTweet
@stshi3edmsr: 清正、関ヶ原の時どうしてたと見たら清正は清正でいろいろあるんだね。東軍?西軍?どっち?な。東軍につくようにみえてあれ?「熊本城」が万が一の時秀頼様をひきとり、戦うための城と聞いて、三成と「同じところ」を別のアプローチ=家康に追従して様子を見よう、でみていたんだなと思う。 #真田丸
@stshi3edmsr: 三成。清正達武断派の気持ちも知りたくて、でなくてもよいいくさ場にでたりしている。「人を理解したい気持ちは強い」人と思う。それで「ロジスティクスの天才」しかし、人事評価システムの失敗=朝鮮戦争の評価で武断派の不満につながる。理系頭で論理的すぎるのか。 #真田丸
@stshi3edmsr: そして秀吉の寵愛を独占する「男楊貴妃」の「財宝があるはず」の佐和山城が空。そこから三成の正体があきらかに。淀殿が秀吉亡き後、うつ状態に苦しんだらしいが、秀吉ありきだった三成もおそらく同様。豊臣政権のシステム=万人のためのシステムという自負があるから守りたかった。 #真田丸
@stshi3edmsr: 三成「女の如し」の話。家臣たちに紹介された「とびきりの美少年」の池田長吉の話。関ケ原後、佐和山城に財宝ありとせめいった東軍。それと秀吉の男色嫌いでいわゆる小姓ルートの出世街道がなく、三成が事実上秀吉の「男の恋人」ポジションを独占していたようにみえたことが悲劇の元かと。 #真田丸
@stshi3edmsr: 三成の欠点は「ホストができない」ことだろうね。 #真田丸
@stshi3edmsr: 45分と思えないほど、登場人物がも丁寧に書かれていてあっという間に時間が過ぎた…。史実はわからないが「もはや次世代は徳川」と誰もが感じている中で三成がなにを守りたかったのか。三成を情シス部長とするとシステム運用に障害を与える家康に生理的「脅威」を感じたのかもしれない。#真田丸