【書評】三橋順子 著 「女装と日本人」
■総合的書評
一言でいうと「すごい」。よくぞやった、という気持ちである。研究者のとるべき基本的態度として「客観的視点をもつ」ということがあげられる。ゆえに「女装」という特別なフィールドを扱う分野の本は多くあれど、そのすべてが「観察する研究者」による「観察される女装家」のエスノグラフィであり、歴史研究であった。女装家当事者、いや、性別越境者全般の当事者は「観察される側」の存在でしかなく、その姿は非当事者である「研究者」の目を通してかかれてきた。この本は「女装家」という主体者である著者が「研究者」という客観的視点で自らが存在する日本社会、日本社会に存在する「女装する」自分のあり方を「過去」という歴史資料と「現在」というフィールドワークを通して「日本文明論」として一般に提供するものである。
言葉で語るはたやすいが実は少数者である当事者側から一般という客観的視点で研究成果を公表するというのは研究者のあり方としては「ハードプロブレム(難問)」に属する。なぜならば少数者であるがゆえに多数派である一般人に通じる言葉や皮膚感覚をもつことが「絶対的に不可能」だからである。その問題をクリアするためには少数派である研究者は無自覚な「一般社会」のエスノグラフィを積み重ねないといけない。さらに視点を「当事者主体」「観察者」のそれに移し「もののみかたのベクトル」を「当事者→一般」へ切り替える。そしてはじめて「研究者として語る」ことが許される。だが、それは「一般」と「特別」の二元管理を行いたがる今日の日本社会のあり方ではさらに不可能なことなのだ。ゆえこうした少数派を扱う従来の研究は「『私たち』とは違う『特別な世界』を垣間見せる」にとどまり一般社会との認識の共有に多くの「失敗」を重ねてきた。
しかし著者は筆者のもつ多くの研究成果をもとに過去の研究者が積み重ねた従来の結論に「NO」と答える。たとえば第五章の「現代日本の女装世界」で筆者は女装者と男性というセクシャリティのあり方を「擬似へテロセクシャル」と名づけている。これは女装者のセクシャリティを同性愛の延長としてとらえてきた従来の研究では「発見」できなかったことだ。そしてその「発見」を「私たちは『女』だ」という当事者の「語り」ではなく、「身体的構造からみれば一種の共同幻想だ」と断り書きをいれた上で現実ではないヘテロセクシャルがどのように成立しているかを語る。このように「多くの少数派研究者たちが失敗しやすい「客観的視点」の問題の多くを解決して、なお「私たちはあなたたちの日本に生きている」と語る。伝えたいのはこれだろう。「私たち女装家もあなたたちと同じ『日本文明』を共有する『人間』なのだ」と。
>>「二一世紀の日本の社会が日本社会が性別越境に寛容だった文化伝統を継承して、多様な『性』をもつ人たちが社会的に差別されずに暮らせる社会の実現を目指すこと」<<
という結びに筆者の想いが託されている。
■この本の読み方
この本は日本の「女装者」の歴史文化を後世に残すために書き記す、と筆者は宣言する。そして「これは『性同一性障害の本ではありません」と断る。時空・空間の道案内中も「自分の経験ですが・・・」と謙遜しながらもあくまでその客観的視点はぶれることがない。
読者は著者「三橋順子」の案内を通して第一章から第四章の歴史的民俗的資料による「女装」と日本文明にふれる。古代のヤマトタケルの有名な女装から考古学的な発見、寺院社会における稚児や芸能、有名な芳澤あやめ、そして明治維新の女装者への迫害、戦時戦後、現代へとつながる。視覚的資料には「へその下からひざの上とベッドの中の問題は秘めておくもの」という価値観をもつ人間にとっては「エロい」と感じるものもあるが、本全体の日本人としての品格をみじんもそこなわない。それは筆者自身の筆に現れる力量と真摯な想いによるものと思われる。
第五章から現在の女装文化の解説にはいる。主体者である著者の自分史である。つまり1990年代から2008年の現在にいたるまでの歴史である。私自身、幼少時の古代エジプトのユニセックス文化への憧れから高校時代のビジュアル系への関心の流れの中ですでに小中学生時代には資料にあった朝川ひかる氏からはるな愛などの多くの女性性別越境者のビジュアルに親しんでおり、1990年代の著者の艶やかな写真はなつかしいものである。性同一性障害という概念の元で戦ってきた私の歴史と著者の語るこの章の時代は同じである。しかし同じ時代を生き、交友関係もある中で著者は性同一性障害にふれることなくあくまで「女装」と「日本人論」を描く。最後に冒頭の問い、「なぜ性同一性障害という立場をとらないか」にふれる。これこそがこの本の大きな骨子だ。
■個人的感想
「文明の衝突」の著者で有名な政治学者サミュエル・P・ハンティントンは日本という「文明」を「独立した文化圏」として位置づけた。ゆえに日本は国際舞台において孤立しがちであるとハンティントンはいう。日本人であること、女装家であること、それは一見文明論や国際政治から無縁の世界のようにみえる。しかし「誰かが記録しなったら私たちは『いない』ことになってしまう」と二十世紀の終わりに先輩ホステスにいわれ、使命を感じたと語る著者も国際舞台における日本文明のあり方とは無縁ではない。「女装に寛容である日本」、そしてそれが「異性装は恥ずべきもの」という欧米の価値観の侵略をうけ個々の女装家が迫害される歴史、「性同一性障害」という医療概念による欧米のシステムの輸入と通してなお「日本独自」の価値観を保持しようという日本の国際舞台におけるかたくなな姿、その姿勢ゆえに本来の日本文明独自のあり方さえもゆらいでしまう日本文明の自尊心の弱さ。「女装」という個人的問題であっても「人は歴史社会的に独立して自由になることができない」と語った旧ソビエト連邦の心理学者、ヴィゴツキーの言葉をほうふつさせる。
私の学部時代の研究テーマからみる個人的興味を引いたものに筆者が名づけた「双性原理」というものがある。筆者いわく、「双性原理」と「男であり、女であるということが力の源泉になる」という原理である。これは私が「やはり」と感じたもので、実は日本のみならず古代エジプトから「王権」を考える上で厳格に守られてきたルールであり、女性から男性の性別越境者であるファラオハトシェプストでさえ「男であるファラオ」、「ファラオに必要な王妃」というしくみを厳格に守っている。これは通常は「双性原理」を一人の人間で得ることができないために「男、女」の両性そろってはじめて王として力を得る、という考え方になったのだろう。これは文化人類学者A・ M・ホカートの「王権」の研究にも垣間見える。その意味では性別越境者は大きな意味での「逸脱者」でないことが非常に多い。むしろ性別を越境するという一点以外は極力「ジェンダー規範の逸脱をさける」傾向にあり、権威を必要とする場面が多いところほど規範を厳しく守る傾向にあると思われる。
「とりかえ児育」。これはいわゆる男の子を無事に育てるために女の子として育てる育児で、平安時代からある。私はイランにこの風習があったことを聞いている。現代はイスラーム革命により、イスラーム国家になっているため同性愛にも寛容で同じく「女性の代替」として稚児をめでる風習のあった土着のペルシャ文化について調べようがないが、「ピアス」がジェンダーの境界線であると教えられた。(ゆえに飾り物がすきな私でもピアスは絶対しない。)「とりかえ児育」は日本独自のものではなかったかもしれないと私は考える。おしむらくは19世紀からの一神教文化間の「文明の衝突」によって本来あったはずの土着の風習が「なかったことになっている」ことだろう。
筆者個人の経験が軸になるため「しかたがない」といえばしかたがないのだが、おしい部分もある。基本となる女性ジェンダーのあり方がいわゆる「芸能・水商売系」文化の規範にそっていることだ。「水商売」の規範だと貞操に関する規範がかなりゆるいため、いわゆる「キリスト教などの一神教的価値観で良家のお嬢様」で育てられる女性たちとジェンダー規範がかなり違ってしまう。それが「女装者」への差別につながっていることもある。性別越境者におけるその弱点は性同一性障害問題にもとりくんだうえで「性同一性障害」という立場をとらない筆者自身がわかっていることであろう。しかし「芸能・水商売系」は古代から続く自立した女性の職業であって、古代ローマの女装家たちも例外でなかった。「逸脱した女性」である限り、そこはさけられないのかもしれない。ただしよく読めば第四章の「戦後社会と女装」のなかに著者の「『セックスはしたいときにしたい人とする』といえるようになったのが最近だ」という趣旨の一文があるが、それが「貞操観念の厳しい人が安全に性別越境できる環境がない」という「現実」に対しての筆者の指摘と解釈したいと思う。「女性であることと性交渉の問題」。筆者が90年代に直面したこのこと、今なお「性自認とセクシュアリティを切り離して考えられない」というジェンダーのあり方の問題が「性同一性障害概念への依存」につながると私は考えている。
以上。
373ページと新書にしては分厚いですが、さくっと気軽によめますのでまずは手にとってみてください。