欲望の格差

ここんとこ何かを文章で表現することへのモチベーションが極度に低下していた。

もともと直感(右脳)で行動するほうで、思考系(左脳)はあとから必要と考えて鍛え上げたものだから、基本苦手なんだよな。直感だけで行動していたらどうしても「イっちゃってる」としか他人には解釈できないし…。問題解決できないしぃ〜。もっとも他人の理解&協力得られないしぃ。

しかあし!それ以前に「もう何もかもどうでもいいや。やりたいことをやりたいようにすれば」と思っている自分がいて。

燃え尽きたかな…。いろいろなことに。

エジプト行きのほうなんだが、はやまるかもしれないし、予定どおりになるかもしれないし、の事態に。

何も決められていないというのが結構しんどいな。

と、いうのがここんとこの大恐慌の影響か、予定が立てられない状況が続いている。
会社も12月までの契約が11月末になるかもとかいいだして、未定。
11月末になるようだったら12月末にでても意味がないので12月にはいってしまいたい。
けれどもその決定が11月中までに決まらない場合。
飛行機のキャンセル料が発生する。

今年はなんだかそういう突発的な契約終了に振り回されている。
これで今年3回目だ。ちょっと多いかもよ?
僕は臨機応変とはいっては見るがこれは普通の人はかなりのストレスになるかもしれない。

為替が下がってそのあたりはラッキー。
しかし留学先の学費があがるかもしれない。しかも家が予算内で見つかるかがあやしい。
学費込みで10万/月で家は3万円台で探しているのだが、家代で6万円になったらでかい。

為替の問題がややこしいから、決められるところを決めないと「ちょっといって帰ってくる」じゃあすまない。一度テスト飛行してみればよかった(苦笑)。
エジプトへもっていく荷物で近場旅行をためしたら、スーツケースはNGになった。
本が多すぎてもちあがらん(核爆)。15分の道を1時間30分かかった…。


日本のIT社会の便利さにおぼれてしまったなあ…。

しょうがないので勉強しようとアラビア語や英語や…と取り組むのだがエンジンがかからない。
予算がぎりぎりで急なトラブルに対応が難しい状況なので計画通りにすすまないことへの不安が大きいのだろうな。

さて、「何もできない」のもうひとつの課題がある。

博士課程の進学のことだ。
来年の秋を目標に進学準備をしている。
そのためにまずは半年しかいない、ということになるのだが。

宿題として、何をテーマにするかということで章立を考えねばならぬのだが…。

実はそれにつまづいている。

テーマは「イスラームと医療」で医療倫理を扱う。医療倫理といったときに私の頭の中にあるのは「倫理委員会が必要となるような最先端医療」だ。

たとえば前のHPで書いてきたような性別適合手術や人口内耳、生殖医療といった問題だ。
障害を克服するための人体のサイボーグ化も含む。

そしてこういうものを具体的なプロジェクトにするためのテーマの柱が2つある。

ひとつは「医療訴訟問題」。
医療崩壊の原因となる安易とも感じられる医療訴訟。
これは現時点であるが、私は司法制度の問題でもあると考えている。
「解決手段がそれしかないから」だ。
必要なのは「第3の機関だ」。これは修士論文のときから主張していることだ。

もうひとつは「国際医療ビジネス」。
生殖医療としてはインドでの代理母出産で日本人がさわぎを起こしたが、そのインド官民協同で「観光と医療」の提供ということで外貨をかせいでいる。同じ論理思考でいうとシンガポール、タイでも同様のビジネスを展開している。こういう医療を利用する人々にはイスラーム圏のユーザ−もいる。

イスラームは美容整形や最先端医療に厳しいように思われるが、以外にOKなことが多い。美容整形はレバノン、イラン、ドバイでも盛んらしい。(戦前のイラクもそうだったらしい。)

<2006年の映像>「豊胸手術はOK?」 イスラム教の高位聖職者がネットで答えます - イラン
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2163287/1213410

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豊胸手術についての質問はよく届きます。いつも同じように答えますよ。イスラム教ではあなた自身の健康が損なわれない限り、豊胸手術も認めていますと」

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日本の医療システムや医療倫理の考え方は特殊かもしれないという思いもあって。

ここまでテーマを考えてけれどもひっかかるものがあって、少し思考を停止している。

最近強く感じるのが「当事者の身体改造に対するハングリー精神の欠落」だ。
これがこの手の問題にかかわるモチベーションを低下させている。

あまりに安易に身体改造を考えすぎるのだ。そしてそのことが医療システムをストップしかねない問題の勃発、下手をすると医療訴訟につながる。

結果医療従事者たちが萎縮することになってさらに医療システムの質の低下をまねく。

今起こっているのはこのスパイラルだ。

では医療システムに手をださねばいいか、というとそれも問題がある。

身体改造をしないと生きられない人から医療システムをとりあげることも今度はそのつけを社会が払わないといけない。社会で生きられない人を増やすことになるからだ。技術があるのにそれを使わない、使えない。これは本末転倒である。

そのあたりのバランスがなんか最近変なのだ。
その「変なのだ」の感覚の根底に「欲望の格差」があるのでは?と思いはじめたところなのだ。

「ハングリー精神の欠落」と感じるのは私とその対象に「欲望」の格差があるからだ、と。

たとえば「とにかく生きたい」と思うのと「自分らしく生きたい」は天と地ほどに欲のレベルが違う。
「めしが自立して食える状況にもっていければいい」と思うのと、「自分の理想どおりの社会になればいいな」と思うのと。対象に対して現実認識と問題解決へエネルギーが使い方が違う。前者はかなり危機的状況と認識して解決に要する時間を短くしようとする。当然そこに向けるエネルギーは大きくなる。後者は問題解決の優先順位はかなり低いと考えている。当然時間がかかってもできなくてもよい。エネルギーも「片手間」程度にしか使わない。同じ問題に取り組んだとしてもその問題の現実がどうなのか、という認識がずれていては一緒に行動することはできない。実はここ数年この格差に気づけずにかなりのストレスを感じていた。

「欲望」の格差、だ。この問題を抜きにして論じることはできない。

以後に続きます。