全員が髪を切ったのか「さらば革命的世代」

「全員が髪を切ったのか」のキャッチフレーズに思わずクリックしちまったんだが。
産経新聞大阪本社がやっている特集。

http://sankei.jp.msn.com/topics/politics/7581/plt7581-t.htm
http://sankei.jp.msn.com/topics/politics/7581/plt7581-t.htm

昨年まで長髪だったからね。帰国したらまた伸ばすけど…。
日本人にとって長髪=革命思想、反社会的というイメージがやはり強いんだよなあ。
僕自身にとっては日本文化に対する原理主義思想のあらわれなんだがなあ…。
ほら、昔の神代の神様の絵って男女がシンメトリック
ユニセックスにかかれているでしょう?
あれがすきなんだよ…。

こういう感じ?
http://www1.ocn.ne.jp/~ryou-ei/history.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~ryou-ei/history.htm

そういうジェンダー表現をするのは古代エジプトと日本だけだと思っている。
一部南米の文化にもあるらしいけどね…。
それ以外を個人的には受け付けないというか。。。


とはいえ、日本では革命の象徴なわけで、ちょっと前までやはりそういう目で見られたよな気が。
2005年ぐらいからあまり思想とむすびつけられなくなったけれど…。


さて話をもどすと、両親がちょうどその世代なんだよな。
60代前半。学生時代が60年代後半の学生運動の時代で浅間山荘事件がおきたとき1972年にはすでに結婚して下関いたけど。


学生運動の末期」というか、私はいわゆる団塊ジュニアです。

団塊ジュニア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2

その団塊の親。
団塊の世代 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
両親の価値観でいうと以下。

■一言:ばかばかしい
父:対立する勢力の中立的立場にいた。敵対するリーダーが父の下宿では仲良く遊んでいた。学校にいくと立場があるから、双方とも争う。暴力沙汰もある。唯一人間同士でつきあえたのが「父の下宿」だったらしいのだよな。「敵対関係というのはばかばかしいと感じた。」連合赤軍リンチ事件がきっかけで「思想は思想が問題なのではない、食だ!食が思想に影響する。」と「食に関しての関心」がでて現在の食品コンサルタントになる。


母:「ばかばかしいし、腹が立つ。」
勤労学生だったのだよな。で生活全部自立してやっていた。ところが苦労して学費払って学校へいったら、学生運動のために授業が中止だよ、考えてみ。僕のころの大学の学費は月5万〜6万ためれば授業料がまかなえた。月5万〜6万だよ?高卒女子がどれぐらい働いてまかなえる金か、と思えば「授業はできなかった」ということへの母の怒りがわかろう。

ということでその両親の影響を受けているのが僕ということで、それでも「社会のしくみ」との向き合い方、戦い方はこの両親の教えだよな。ということで小、中学校で学生運動の話はよく聞いた。「社会のしくみ」を変えたいといいつつも、行動面非常にさめている=表にでるより黒子に徹する、ダークサイド担当、いうのはこの両親の子だという影響もあるな。


さて。肝心のこの「革命」とやらなんだけどそれが何だったのか。よくわかっていないんだよな。
聞いた時期がおさなすぎたのもあるのだけど…。


全部よんでいるわけではないが。一部気になった表記抜粋。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090221/crm0902211800016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090221/crm0902211800016-n1.htm

一方で学生たちには大企業に対する抵抗感もあった。今でこそ、大学が企業と共同研究などにあたる「産学連携」は学生の就職斡旋(あつせん)や研究費の面などでも積極的に進んでいるが、当時の学生たちは「大学は企業の下請けではない」「学問の独立を侵害する」と、強く批判していた。

私が生まれた当時の価値観。へーそうだったのか、と思った。僕は産学連携大事と思うがなあ。
「学問を金持ちの娯楽にしてたまるか」みたいな。。。
でも欠点はある。たしかに産学連携だと「結果がでないかもしれない」純粋な基礎研究が非常にやりづらくなるんだよね。僕がやりたいのは「趣味的な学問」ではなくて、最終的に「政策・システム」ができるための研究…。基盤だな。純粋学問でもなく、実学でもなく。>実学にもっていきたいがものがものだけに非常に困難なんだよ、実は。

 「あなたに学生運動に誘われなければ、僕は今の小さな会社なんかに入らず、きっと大手商社に入って、まともな人生を送っていたはずだ」

覚悟がないみっともない発言だなと思うがな…。
たぶんこの人自分の人生にも社会にも責任とれないのだろうな…。
でもそういう人多いな、「お前のせいだ」という。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080828/crm0808282336067-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080828/crm0808282336067-n1.htm

 「われわれだって社会に不満がないわけではない。ただ、この社会には勉強したくてもできない奴だってたくさんいるんや。寒さぐらい我慢できない連中が、何が闘争だ、革命だ。甘ったれるのもいいかげんにしろと言いたかった」

上記母の気持ちと同じ。この余裕がある人が革命改革をうたう…。
その被害をこうむるのは余裕がなくて必死にいきている人たち。
今でもそうだな。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080612/trd0806122207008-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080612/trd0806122207008-n3.htm

「私たちはあなたとは違う。家族を養わねばならず、闘争によるリスクを背負えない。あなたもどうせ闘うのなら中途半端なことはやめてほしい」

それが優先順位だよな。どうやって「めしを食おう」が。
これは前後の文脈にもよるのだろうけど…。
埋没して戦う手段もあります。。。


抜粋したわけ…。つまり「生活すること」のベースがないとどのような「革命行動」にも共感は得られんのよ。
食えないと意味がないし、まず「食えるようにするにはどうするか」だね。
とにかく「食うための仕事」ここだよね…。


「食うために忙しい」を逆に擁護するような形になっておりますが、だからこそのバランス感覚、というわけです。ハイ。