アルバニア 男性として生きる女性たち ほか

ナショナルジオグラフィックの番組。

アルバニア 男性として生きる女性たち
http://www.nationalgeographic.co.jp/video/video_title.php?category=3&embedCode=k1ZWtiOh8tHGyE5oncjrUxx5CJsetSFq&tl=0000

http://www.nationalgeographic.co.jp/video/video_title.php?category=3&embedCode=k1ZWtiOh8tHGyE5oncjrUxx5CJsetSFq&tl=0000


いわゆる性同一性障害GID)のFTMではなくて、性別越境者(トランスジェンダー)のFTM
アルバニアボスニアセルビア南部のトランスジェンダー文化。
現在100名。ただし、男性優位社会で生きるための文化的しくみであって性自認がベースでない。
=>のぞまずしてそういう人生を生きる女性がいる。


タスカ・ショートリィ、叔父の病をきっかけに35歳でトランス。
アントニア・ヤング(Antonia Young)さん。


アルバニアには同性愛という考えはない。
性生活を重要なことと考えていない。
タスカ:「同じ道をたどってほしくない。女性であっても多くの選択肢がある。同じ生きかたをする女性がいたら100回でも説得してとめる。」

アントニア・ヤング:「こうした風習はいずれなくなるでしょう。でもなくなるまでに時間がかかる。」

ちなみに突っ込んで検索してみると。


アントニア・ヤングさんの本。

アマゾンの検索。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-us&field-author=Antonia%20Young

Women Who Become Men: Albanian Sworn Virgins (Dress, Body, Culture Series)

Women Who Become Men: Albanian Sworn Virgins (Dress, Body, Culture Series)

「Albanian Sworn Virgins」=宣誓した処女…というらしい。
英語: Celibacy - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Sworn_virgin


アルバニア語で「Vajza e betuar/virgjereshave/vajzave te betuara」というそうだ。
下記が社会学のフォーラム。
Google翻訳アルバニア語があるので興味ある人はがんばってよんでくれ。
Eniさんという人の投稿にほかの当事者の写真がある。
アルバニア語:The “sworn virgin” - "Vajza e betuar"
http://forumishqiptar.com/showthread.php?t=3746

同様のこちら、ニューヨーク・タイムズの記事。こちらでは40人といっている。

Albanian Custom Fades: Woman as Family Man
Albanian Custom Fades: Woman as Family Man - The New York Times
http://www.nytimes.com/2008/06/25/world/europe/25virgins.html?_r=2&em&ex=1214539200&en=cfff294accb08148&ei=5087&oref=slogin


北部アルバニアのLeke Dukagjini氏族の500年以上にさかのぼることができる伝統とのこと。
女性の役割は子供たちの世話をすると、家庭を維持することに制限されていて女性の価値は男性の半分、処女であっても12頭の牛と同じ。


宣誓処女は男性優位社会でありながら戦争や死で男性が足りなくなった農業地域社会の必要性から生まれた救済措置としての風習である。男性の相続人がいなくなった家庭では生活が成り立たなくなる。誰かが処女の宣誓をすることで、その女性は男性の家族の長になって自由に武器を取り、自分の財産管理ができる。


男装して男性の会社での生活を過ごすが、名の変更はなし(つまり女性名のまま)。
社会学者によると宣誓処女の宣言をおこなうことは同性愛者宣言や性転換手術を受けたとの同じ文脈でうけとられるため、アルバニアの田舎ではタブーだった。


Pache Koqiさん78歳。日本語訳の記事は以下。
HEAVEN 20歳のときから58年間にわたって、男を演じ、家族を養ってきた女性
http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-3330.html


Diana Rakipiさん54歳。共産主義時代には上級陸軍士官、現在は警備員。


Qamile Stemaさん88歳。この人はもともと性役割の違和感があったのか?
「私の家族は私にドレスを着させようとした。私が男性になったのを見たら私を放っといた。」

アルバニアボスニアセルビアオスマン帝国支配下にあったため、過半数以上がイスラームのはず。
500年という年月もそれと符合する。
イスラーム系は「性別越境するなら、FTMもOK」という暗黙の慣習をもつところがある。
ただし近代価値のある現代はそうはいかない…というのがアフガニスタンとかの状況だな。


■個人の考え方
Anno Joblogに引用されている台湾のFTMの数、2.5倍。

2009-02-23 - Anno Job Log
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20090223


日本のFTMが多い。
あとイスラーム圏でFTMが多いとの報告があるのは意外や意外、サウジアラビア
おかげで政府、宗教側で「なんとかしよう」という動きが出始めたらしい。


この多すぎるFTMの大半は社会環境の要求、男女のジェンダー格差が生み出すものかもしれない。
さらに欧米の思考回路に毒されて国際的に本来もっていたはずの人間的柔軟性を失った社会というのが見える。


日本の場合でいえばモデルとされている女ジェンダーは「ナンバーワンキャバクラ嬢か、クラブのママか?」と思うほど非常に理想の高すぎるものになっている。すべての女の子がそんなお水のハイレベルをめざせるわけがない。MTFトランスジェンダーとかでもそうなのだが、実は「女の子をめざす」というのはかなり高い知的作業を要求される。


またいわゆる秋葉原などを好むおたく系の女の子にとってはお水の女の子にある「性的ファンタジー」というのは別世界だし、「めざそう」というモチベーションのあがるものではない。男性から女性への異性装のように「性的ファンタジー」がともなうかどうかは本人ではないのでわからないが、外からみている分たぶん同じロジックのような気がしなくもない。つまり「自己完結している世界をもっている」ということだ。


自己完結している世界をもっている女性がでているのに、「女性は男性の理想のたまもの」という価値観をもちつづけている男性がいる。その著しいギャップ。さらにその男性がその要求を自分の身近な女性に当たり前のように求める。


もっと露骨にものをいうと聖闘士星矢で「ドラゴン紫龍は私のもの」=私がなりきりたいキャラと思っている女性が「食うための仕事」でやっている仕事では「女子であることを生かすように」と無言の要求をされている。で、大体力関係があるためにその要求にこたえないと「食えない」と考えてしまう。でも要求にこたえていると人間性そのものが破壊されてしまう。


ホンネとタテマエ。そこをうまく使い分けられるのが「大人」とされるが…。
「限界あるんちゃうか?」というのが私の考え。
それができるためにはホンネの自分に戻る癒し場所が必要だ。
それが必要な社会、ということは当然タテマエを要求される「他の人間のいる場所」の活動は制限せざるを得ない。
それは「人間関係の崩壊」につながっていないか?

正直これではしんどいと思う。異性装のMTFが「一日中望みの性でいられたらどんなに楽だろう」と妄想しだすのと同じことが彼女らの内面でおきても不思議ではない。


そのあたりのダブルスタンダードや格差が大きいための「性別越境願望」というものもあるような気がするのだ。
本当は「性別越境」ではなくて「私が私であるための自由がほしい」が正確だろう。
人間の人格の根本になる「性自認」を自他ともにまず安定させたいという「先天的障害をもつ」ケースは本当に少ないと思う。


「私は誰?」を確立させたい…というのかな?通常は「私は誰?」は自他共に一致している。上記のエピソードもそう。


「私は誰?」が自他ともに混乱に陥って人間と関係性が作れない−もちろん「他人が『誰』と認識しているかはわかるが、それは『私』ではない」になる−から「障害」なわけで。


自分の望みの人生としての「性別越境」はなくなることはないと思う。が、ジェンダー格差や生活のための「性別越境」は不幸なのでなくなってほしいなあ。


ただ上記のような「文化的なしくみ」が自己防衛のための「いいわけ」に使いやすい、という側面もあるだろう…。
少なくとも「しくみ」がある分には「おかしい」と後ろ指さされても強制的な矯正をされることはまずない。


たとえばムスリマが「私がムスリマだ」と宣言すると悪い虫がよりつかない…みたいな…。