外こもり危険!−「マインドコントロール」の恐怖

2008年の経済的混乱で経済計画がくずれたため、今回の留学は計画と比べてかなりの修正をした。

「目標」
前:マスター・ディグリーを取得するまで長期留学する。
現状:それだけの学費確保&語学力が身につかなかった。
後:エジプトの「空気」を吸う+フィールド準備のために渡航

【反省点】
一ヶ月では足りないが三ヶ月にとどめてもよかった気がする。
結構「エジプトでできるが、日本でできない」とか、
「日本でできるが、エジプトでできない」の項目があって、
もっと最初の計画どおりであるが、自分自身がフットワークが軽くないと
調子が悪くなることもわかった。
(もっとも今回の渡航では燃料費の問題で航空券が信じられないほど値上がりしたため
 定期的に往復できる旅費がなかった分しかたがない面もあったが…)


重大なメンタル的危機もあった。


ひとつは語学力の問題である。
これは「パリ症候群」に症状が似ている。

パリ症候群 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4


もうひとつは「洗脳」というか「マインドコントロール」の恐怖を味わったことだ。
メンタル的な状態が改善したあと「ぞっと」した。


あぶねー。


うん。「こいつは非常に危ないな」。
ぎりぎりのところで冷静な判断ができなくなった。


洗脳 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%84%B3


マインドコントロール - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB


人間って弱いな…と思った。
そういうこともあって「一時帰国は大事だ」と思った。


これについては少し補足しよう。


正直な気持ち「ひきこもり」の人たちの世界観・気持ちがよくわかった気がした。


何に対しての洗脳か、というと「日本の雇用状況認識に対してのマインドコントロール」だ。


洗脳に関しての環境的な要素というのは「外界から情報を遮断して、一方的な情報をインプットすること」だ。


この場合「日本というフィールド」にいないで、「エジプト」にいて日本の情報をインターネットベースの環境でしか得られない、つまり生の声や空気を感じることができない、「外こもり」の状況に私はいるわけだ。
結果からいうと「話を聞いて整理することはできる」と安易に受けていた俺もバカだったんだけど…。


ちょっと相談にのって気分がよくなって「バイバイ」であればそれほど影響はない。
むしろお互いが気持ちよくなって、こっちもエネルギーをもらえる。


「逆転的解決のすぐでない答えのみえない問題」ばかりだからまずかった。


日本の「ネガティブな情報」ばかりが大量に飛び込んできた。
しかも毎日のように飛び込んできた。
ところがそれが「本当のところはどうなのか」を検証するすべが私にはない。
それでも「IT系は人手不足」という情報に「まだ危機的状況ではない」という思いがあった。


ある程度の自分のキャリア、スキル、例年の経験からくる感をベースにいわば背水の陣でエジプトにきたのだが、あまりに毎日そういう情報が飛び込んでくるのでだんだん心配になってきた。


「今までに経験がないぐらいすさまじい状況なのではないか?」


会社を経営している友人たちや恩のある社長たち、今までのお客様のことが頭にうかんだ。
IT系の仕事というのは「人の技術」が命だ。
技術のある人をどれだけ「収穫の得られるところへ派遣できるか」が命なのだ。
人だけあっても意味がない。
仕事があるうちに仲間が必死に経済戦争を生き延びようとしているときに人からみて悠々自適ってどうよ?と思う。
戦うべきところで戦うというのはあるのではないか?
=>まるで最後の戦いでエリア88へ戻った風間シンの心境だな…書いていて思った。


正直なところ、「博士課程とりたい」とか「エジプトで勉強したい」というのは遅れた青春を謳歌できるようになった34歳男性のわがままでやらせていただいていると思っている。ただ、上記の思いは父が最終的にその気持ちがもとで博士&大学教員を断念したという因縁があるので、因縁の世代間継承はしない、つまり、「私はやりとげる」と思っている。そのかわりわがままと社会の欲求は両立させる、そして最終的には統合すると思っている。そういうわけで「可能な限り迅速に完成させたい」と思っている。


そういうわけで40歳を最終マイルストーンで時間が命の勝負をしている。
そういう中のバランスでIT業界大丈夫と聞いていたから通常通りの6月帰国7月開始で計画していた。


しかし入ってくる情報は刻一刻と悪化する日本の姿だった。
「デマが本当になるかもしれない」。


メールを出してみるが音信不通。
通常なら「無視するほど忙しい、まあ安全だろう。」と判断するが、そのときはさすがにそうとも思えなかった。
「これは6月4月どころか、3月帰国でないとあぶないかも」。


だが、3月帰国には問題があった。
4月まで予定が入っていた。それを調整するのはその計画をしてくれた関係者に迷惑がかかる。
もうひとつ、卒業旅行のシーズン。
特にタイ・バンコクから日本・成田の便がとれない可能性が高い。
そのあたりの事務処理にエネルギーを使えば、留学の目的が本末転倒になる。
事実あまりの心配事、考え事に語学自体が実に入らない、という事態になっていた。


とにかく感覚を正常に戻すために「日本の現状は実際のところどうなっているの?」という現役のIT技術者の話が聞きたかった。
そういう中でもがんばって日常を暮らしている友人の声が聞きたかった。

なんとか消耗したエネルギーをチャージしようとネットサーフィン。
だが、同じこと。さらに悪化した。


現状把握に時間をとられ、考えることに時間をとられ…。


「失敗した。」と思った。


「日本からの情報を通信管制しておけばよかった。」


「自分が自発的にやばいと感じたのであれば『行動する』というロジックの判断ルールにしておけばよかった。」
「異国で日本の悩み、ぐち、相談をうけるべきではない。パレエスティナのガザの失業の悩みを日本在住の日本人に解決してくれと相談されるのと同じだ!できるわけがない!」
こんなにネガティブな情報・相談がバンバン飛び込んでくるとはおもわなかったのだ。
それに対して「異国にいる」という「外こもり」の環境がそこまで情報に対しての判断力を狂わせるとは思わなかった。


結局最終的な予定を考えて4月の予定終了後に帰国することにした。


帰国を早めたのはほかにもわけがある。
ひとつには「なぜ異国にいる私にネガティブな話が殺到したのか?」


「あ、これは私の生きかたみて、相談してきているな」と思った。


投げたほうはまったく気がついていないと思う。
なぜかというと「受け取る側の状況を判断した上でなげているわけでない」ことは内容でわかる。
また「人をみて投げていることもわかる。」
私はそんな相談でも「受け止めてくれる」ということだ。
本気で戦っている人に対してそういう足を引っ張るようなことをしてくるだろうか。
うけとめる余裕がある、と判断されたということだ。


基本的に顔なじみであれば「来る相談は受けることにしていた」。
それがもたぬものの小さな社会へのOUTPUTだからだ。
だが、自分のエネルギーが「枯渇する状態」になるほどの量では問題だ。
今回特に「外こもり」の悪い面、人と触れ合うことでエネルギーをチャージする、という機能がなかったわけだから自分自身を癒すことができずに「ダメージ」が大きかったわけだ。
人間は「与え、与えられる」の関係性できている。
私のもつ関係性は「与え、与えられる」が広く大きく循環することで持っている。
故に「独占は禁止」と話している。
つまり「与えられたら、ほかの人にもほどこせ」ってことだ。
それは当たり前のことだとおもっていたのだが…。
でもそういいながら結局「無理」をしていたのだ。


「循環性、建設性のないネガティブ情報を受け止めてくれると感じさせないような生きかたをしないと自分の人生が搾取される。」
「与え、与えられる」が理解できない関係性はやめよう。


今回のエジプト滞在はそのことを強く感じた滞在であった。


後日談。
上記のことを心に誓った瞬間にすべてのネガティブ情報がうそのように止まった。
なんなんだ?
気持ちや受け止め方の持ちようも大きいのかもしれない。


■処方箋

1.「外の気」をいれること
自分だけで考えても、インターネットで情報を探しても
それはあくまで「自分を中心に」取捨選択しているから
本当にほしい情報が手にはいらない。
そのために問題解決にいたらずに膠着してしまう。

ほかの人と話すことでほかの考え方をいれる。
もちろん自分の譲れない線をもつことも大事ですが、
「本当にゆずれないものか」を考えながら
とりあえず人の話を聞く。

空気を感じるだけでもいい。
「やばい」と思えば素直に引き返せばいい。