聴覚障害者の海外渡航(言葉編 その3)

「言葉編 その3」でいいんだろうか。。。


帰国時の旅で重大なことを発見した。
丁寧に書こうとするとたぶんかけなくなるので、書いておく。


帰国時のアラビア語&英語は行きのときとくらべて非常によく使えた。
もちろんビジネスに使用できるレベルとは思わないが、必要な対応はなんとかできるようになった。


4ヶ月前のあの苦痛はなんだったんだ?


実はそれには理由がある。


4ヶ月前は「私の声がでていなかったのだ」。
つまり相手が「私の会話を聞くことができなかった」のだ。


4ヵ月後の今回はゆっくりはっきり、そしておなかの丹田に振動が伝わるような発声方法で話した。


そしたら、「通じない」という思いをすることがなくなった。


話すときの声の大きさというのは非常に悩みだ。
基本私の声はかなり大きい。
ところが私にとっての「普通」の音量で
日本で話をすると、「声が大きい」といわれる。
それで調整して小さくする。
ところがそうすると、「声がでていない」ときがあるらしい。
自分はそう思っていなかったが、要は「口パク」になってしまっているのだ。


日本でも「あ、流されたな、無視されたな」と思うことが多々あったが、
その中には「声が単純に届いていない」こともあったかもしれない。


それでも日本ではあまり問題はなかった。
なぜか。


「日本人の耳にはノイズキャンセラーがある。」


だから、喫茶店やレストランなどのやかましいところでも、
自分に必要なおしゃべりを適切に理解することができる。
日本人の発音独特のかすれ声でも会話がなりたつ。


それが中国人や韓国人、
民族的には日本人と似ているはずの彼らでは実は難しいらしい。
そのために公衆の場所であるほど声が大きくなるらしい。
周囲がうるさければうるさいほどまけじと張り合う。
日本人はそれを品格の問題とするが、そうではなく「きこえない」のだ。


同じことがエジプト人その他中東の人たちにもいえる。
意外に「耳がよくないのだ」、彼ら。


だから、振動で伝わるようなドスの聞いたしゃべり方をしないと相手がきこえない。
確かに観察していると女性でも、野太いドスの聞いた声でしゃべる。
僕の聴力だったら、アラビア語だったら補聴器いらないのでは?と思うほどよく聞こえる。


日本人の耳にあるこのノイズキャンセラーの話、同じことを感じていた人がどれだけいるか知らないけれど、とりあえず書いてみる。


これは脳内の聴覚に関する情報処理の能力なのかな?


ちなみにこのノイズキャンセラー、補聴器を使ってしまうとまったく機能しなくなる。
補聴器のきこえ方がすべての音をべたで拾う。
そのために「補聴器を使う」ための訓練が必要になる。


聴覚障害なのに補聴器を使わない人がいるだろう。
その理由は「補聴器を使っても意味がない」のほかに
「天然のノイズキャンセラーが使えなくなるから、いやだ」、
「補聴器のべた入力から必要な会話をひろう訓練がいやだ」がある。
また「脳みそがものすごく疲れやすい」のだ。


みみ太郎は補聴器よりも聞き取りが楽であるが…。


みみ太郎
http://www.mimitarou.com/