健常者と障害者の違い−「治る」のギャップ


[自分分析・再思考]最大の悩み・・・「口下手」 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090628


だが、その人から今後の活動に関する重大な教えをいただいたと私は思っている。


「健常者に『治る』という言葉を使うときは気をつけろ、危険だ」


くどいぐらいに繰り返す。


医療を考えるときの大原則と私が必ず伝えるのは


「人の手は神を超えることはできない。つまり、一度壊れたものは二度と戻らない」ということだ。


その上で「治る」という言葉を使う。


その場合の「治る」とはなにか。
「患者の生活のQOLがあがること」だ。

だから先のサバイバルさんも25年前の障害を「忘れる」ぐらい回復しているから、「治った」なのだ。


ところがそれは私が「障害をもつ身」であるがゆえの発想であり、皮膚感覚だったのだ。
つまり「完璧な完治は期待しない」ということだ。
自分にも相手にも「忘れさせてくれればいい」。


忘れてしまえば、障害は障害でなくなる。
それが治るってことだったのだ。


だが、それはあまりに視野狭窄な言葉の感覚だった。


この「忘れる」が通用する障害というのはある程度の条件がある。


まず、「人に見えない障害」であること。
次に、「健常者であった経験がないこと」
そして「若いということ」
最後に「複数の障害をもっていること」


「人に見えない障害」であるということは「人に違和感を感じさせない」ということだ。
つまり健常者にしかみえないことが重要だ。
で、なければいわゆる自他認識の違和感で自分の障害を意識させられてしまう。


「健常者であった経験がないこと」。
「一度壊れたものは二度と戻らない」=不可逆という大原則を考えた場合に障害者であった人にとってはたとえば「健常者レベル」というものがあったとして、−5であったものが3になったら相対的に「治った」と感じる。ベクトル的に健常者の方向に向いたからだ。


だが、健常者の場合は5だったものが0になって3に戻っても「治った」と感じないのだ。
「もとの5にならないじゃん」というわけだ。
だから「一生治らない」という。


「若いということ」。人はすべて障害者になって死ぬという大原則がある。
若いということは「回復の希望」、マイナス5であったものが3になる希望があるが、老人の場合はマイナス5におちたものを0に回復することすら難しい。ベクトル的に障害者の方向に向かうものをそれ以上悪くしないようにリハビリをする。


「複数の障害をもっていること」。これは結論から言うと「ある程度の諦観が身についている」ということだ。わかりやすくいうと「一度経験したことをもう一回経験してどうする?」ということと、
「一度経験しているから次回のサバイバルを知っている」ということだ。
健常者が障害者になった場合はなかなかその心境に達しない。


つまり「障害を忘れろ」と私は平気でいっていたのだが、健常者経験のある人には非常に困難であるということなのだ。


そうやって思い起こしてみると確かに私の医療コーディネートが非常にうまくいった人に共通した特徴というのは「当事者もしくは支援者としての地獄の障害者サバイバル体験をもつ人」だ。
裏を返すと「限界と絶望と悲しみを知っているゆえにわが身のおとしどころを知っている人」だ。


そういう人には多くを語らなくても私のいわんとしていることが非常に簡単に伝わるのだ。


ところが何人かの私が違和感を感じた人たち。総じて「理想が高い」と感じる。
そのギャップはその人たちが健常者だからだ。


−5であったものが3になったのをありがたいと感じるのに、彼らは「5になっていない」と訴えるわけだ。
そして私が苦痛を感じないのは「障害が軽いからだ」という。


たしかに…私の場合は−5であったものが3、つまり8のエネルギー。
彼らの場合は5だったものが−5になって3になる。
5+5+3=13。ベクトルで考えてみればたしかに「重く感じるかもしれない」。


その状態で「治る」の意味が同じように通じるか…。
「通じないよ。」


「忘れろ」といっても通じるか…。
「治っていないのだから、忘れられない!心を殺せというのか!」というわな…。


ましてや悪くならないために治療する場合はどうだろう。


「治る」という言葉を「もとどおりになる」と解釈して100%の希望をかけるとなると…。


治ると感じた私の感覚も健常者の「治らない」の感覚もどっちも正しいのだ。
恐ろしいことだな…。


私が恐ろしいと感じているのは、健常者の「治らない」という言葉によって、障害者が「障害者に閉じ込められてしまう」ということだ。


現実そういう子ども時代だった。
それに反抗し続けてきた。
そして私個人に関しては大人になってであった多くの友人知人によって、その傷はいやされてきた。


とりかえすことのできない失ったものも多かった。


「二度とそういう思いをほかの人にさせたくない。」と、
その「障害」をとりのぞく努力をしてきたつもりだった。


だが。あまりに健常者の皮膚感覚をしらなすぎた。
−5であったものが3になったから「治った」とする感覚と
「しょせん3でしかないから治っていない」という健常者。


3になっただけでもかなり生活のQOLがあがる。
だが、「5にならない」という理由でその可能性をたちきる健常者。
みとめさせるためには−5であったものを7にしないと認められない。


だから障害者を7にする戦略で生きてきたのだ。
だが7にするたった2のエネルギーさえ、怠惰な健常者は使わないのだ。
その皮膚感覚の相違も問題だ。


大変な戦いをはじめていたんだな。


あらためてえりを正す気持ちがした。