]「water現象」&「仮想化」

聴覚障害をもっていると仕事をするのに2倍かかる。
それは聴覚障害者にむきあう健常者も同じだ。
なぜなら、話を聞きながら作業をすることができないからだ。
「ながら」作業ができないし、「ながら」作業ではコミュニケーション不可能だからだ。
そのためにどうしても「仕事」ではなくて、「作業」しか依頼していない場合が多い。


ゆえに健常者は聴覚障害者をさけようとする。
聴覚障害者恐怖症」ってあるんだよ。本当に。
聴覚障害者を知人&友人にもった人がかかりやすい。
要するにエネルギーすわれるからだ。
当事者としてはすっているつもりはなく、極力最大限に配慮してエネルギー泥棒にならない努力をしているのだが、どうしても限界はある。
「いいっぱなし」ができない。ただそれだけで健常者は物理的に疲れてしまうのだろう。


「筆談」とかなら?というが、そうもいかない。
のちにからむディスレクシアとか識字の問題がからむと「筆談」も万能ではない。
聴覚障害者の言葉の世界は「生きている言葉」ではない。
聴覚障害者単位で独立自己完結した言葉をつかっている場合が多いのだ。
そのため、いちいち言葉の定義を推測して、意味の共通基盤をつくらないといけない。


だから聴覚障害者のコミュニケーションは
私は「C言語」のプログラムルールにたとえることがある。
C言語は変数定義を頭で定義しないといけない。
まさにその頭での「言葉の定義」作業が大事なのだ。


「言葉」の定義をどうするか。
これが僕のいうところの
「言葉をどのような文脈で使っているか」を解析する、という作業になる。
ところが実はこれだけではコミュニケーションのハンデをクリアするには足りないのだ。


「言葉をどのような文脈で使っているか」を解析する、というのは国語の試験問題を解くようなものだ。
実際の会話の場合は国語/数学の試験問題を解くような解析では会話が成立しないことが多い。
たとえば「申し訳ございません」という言葉。
相手が誤解で怒ったとしても第一声は「申し訳ございません」だという。
これは日本独特のルールである。
こういうものは国語/数学の試験問題を解くような解析では意図を取り間違う*1
だが、視覚情報で明文化されていなくて、人to人の交流で意図のとり方を覚えていくものだ。


聴覚障害者はこういう部分に圧倒的に飢えている。
飢餓もなれると感じなくなるように、「人間関係の飢え」にも慣れてしまう。
飢えている状態が当たり前になってしまうのだ。
そしておなかがすいた、というほかの人の気持ちが理解できない=わがままだと感じるようになる。
だって「俺たちは数十年間『我慢』しているんだよ」みたいな。


めんどくさいからふつーの人はそんなことやらない。
今までの慣れてきている慣習で言葉を使う。
からしばしば聴覚障害というのは外国人のもつハンデと似ているともいう。
聞こえる外国人は慣れるが、聴覚障害者は「なれる」ことがない。


そのことが聴覚障害者の職域をせばめる大きな原因にもなっていると思う。
もう少し、パーティション越しの、キュービクル越し*2の「話ながら」仕事ができると仕事の幅というのはかなり広がる。
話の内容が重要ではないのだ。
つながっている、わかってくれている、という連帯感/安心感が重要なのだ。
スキルその他はあとからついてくる。


「作業」しかやっていないと実は「スキル」って残らない。
傭兵で大型プロジェクトをやると今度は全体の一部をやるだけで、全体を構築する力はつきにくい。
かといってプロパーでやると今度は傭兵に「やらせる」仕事が多くてこれも「使い物になるスキルがつきにくい」。


一番大きなハンデになりやすいのは会話のキャッチボールがないことで「仕事に自信がもてない」状態が長期化してしまうことだと思う。結局すべてが「コミュニケーション能力」に集約しやすい。大きな課題である。


あ、僕のことじゃないよ、僕だけがなんとかなっても意味がないので、聴覚障害者全体が仕事しやすくならないと「聴覚障害者を雇用したくない」状況っていうのは変わらないと考えるからね。


友人【ハードウェア屋】とは7年越しの付き合い。
「IT屋としてこれを知らなかったら恥だぞ」ということでも聞けるのがありがたい。
知識体系は極端に「ALL or Nothing」でばらつきがあるのと、さとしいわくの「water現象」という大きな悩みがある。
あまりにも大量の「恥」や「罪」には人は耐えられないようにできている。
やはり「人間」自尊心はこの世でいきるための最後の砦だからね。
それがあれば「大丈夫、なんとかなる」だけど、多くの心無い人はそこを攻撃する。
質問するたびにバカにされるのでは、だんだん知識を得ようとする意欲がなくなってしまう。
だから逆に「甘えた障害者」を大量生産してしまう。
言葉の基盤が弱いとどうしても変な質問増えるんだけどね…。


聴覚障害者にマニュアルよめ!」といっても読まない!という健常者の悩み&お叱りがあるが、これは経験があるし、何が問題だったか、今はわかる。


この「water現象」でわかったつもりになってしまうのが聴覚障害者にとって一番こわいのだ。


「俺が読み取った『意味』はほかの人と同じだろうか」ということだ。
で、それを確認するための質問方法って実は「ない」んだよね。


「water現象」というのはヘレン・ケラーが「水」という概念を理解するのに地獄だったエピソードからきている。


要は「水」と聞いた時に「コップ」と「水」が同一概念として受け取られてしまう現象だ。
「水」は「水」と単体で意味操作ができないのだ。


ヘレンの場合は井戸から水を放出させて、「コップ」と「水」を切り離した。
今でいうと水道水にふれさせるようなものだ。


機会があれば紹介したい、偶然が生み出した「仮想化」がわかる漫才。
仮想化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E6%83%B3%E5%8C%96


さいきんはやりの「ハードウェア仮想化技術」ってやつの話よな。
これも「water現象」が生み出した話でIT技術者に話すと大うけする(苦笑)。
「サーバ」という言葉でIT技術者の常識では「OSを浮かべる」とはそのときはじめて知った。
僕の頭の中では「windows7」ではなくてたとえば「DELLマシン」などハード構成をおもい描いていた。
「仮想化」の話を聞きながら
「再利用する分エコだけど、それじゃスペックが足りないし、意味なくね?どうやって最新マシン並みのパワーを出すんだ?」と
なぜ「仮想化」でクラウドが実現するのか疑問がとけなかったのだ。
何度も「サーバ」という言葉で説明されたため、わからなかったものを
「サーバAをハードウェア、サーバA’をソフトウェアとすると「仮想化」はどういう説明になる?」と聞いてやっと誤解がわかったのだ。


DELLマシン」をうかべる根拠はある。
システム概要でサーバ構成書くときにwindowsマークでなくて、マシンを書くでしょう?


サーバ構成図 サンプル - Google 検索


「まさか」かもしれないが、要するにこういうことで「世界観・価値観」って変わってしまうんだよ。


間違いではないでしょう?
でもたぶん丁寧に書くと「サーバマシン」なんだよね。
「サーバマシン」と書くことでサーバとマシンが「Not equal」だとはわかるけど、ファジーに使ってしまって「サーバ、サーバ」といってしまっているよね、みんな。
しかし「サーバ」を使っている会話を10パターン聞いたら、感覚的にサーバが何かわかるだよね。
要は「刺激不足」のまま、少ない意味を辞書どおりに使いがちになるってことだよね。


世にあふれる多くの専門用語に対して、このように私には「water現象」を解決する作業が必要になる。
本当は「会話」をしていると自然にその操作はできる。
それは「会話分析」とか「語り分析」。
社会学でいうところの談話分析、エスメトロジーとかいうやつだ。
職場で時間とってもらってそれをやるのは非常に難しい。


たとえばトランスジェンダーを扱うときの「TS/TGの概念」、これを解析するのに1年かかった。使ったのはエスメトロジー、つまり「語り」だ。文脈で意味をつかんだ。


IT業界だと10時と3時のtea Timeがないし、ランチミーティングも相当コミュニケーション能力高くないと使いこなせないし、神経を休める時間として使えないと午後の仕事に支障がでる…などややこしいのだ。


だいたい複数いると話ができる時間はほんのわずかだから、「聞こえなかったのでもう一度」なんていえないしね。。。


だから話をゆったりできる時間と話を噛み砕いてくれる人というのは大変ありがたいです。

*1:要するに自分が悪いので、問題解決の全責任を自分が背負います、になってしまう。本当は「あなたのために私は問題解決の体制にはいれますよ」という意味が一番近いと思う。

*2:これも意味的に両者の違いがわかっていると自分では思えない…。「同じもの」なのになんで言葉が違うのかわからん、みたいな。屏風とパーティションは「同じ」だけど「違う」というのは感覚はわかるが…。「ITオフィスで屏風もってこい!とはいわないが、たぶん屏風を説明するときはパーティションというな。