色川にふるさとを思う

友人が就農を考えているといったから、農業について一夜漬けで勉強した。
農業、漁業、興味がないわけではない。


基本的に私の興味は人の生業、営みだ。
「社会科が好き」「歴史が好き」というのもその延長上にある。


だが、農業、漁業で生計を立てないか?といわれると今は「NO」だ。


理由はふたつある。


まずはキャラクター。基本的に「異邦人」だ。
フーテンの寅さんのようなもの、と友がいった。


一箇所でじっとしていられない。


「ワイルド・ギース」と友はいった。
戦場をもとめて次から次へとさまよう。


そのいき方で一生を終えるのかも、と友がいった。
だから、余計な荷物はなるべくもたない。


昔は地域社会というものにあこがれた。
地域社会のなかでいきることにあこがれた。


だが、地域社会はうけいれてはくれなかった。
「受け入れられたい」と思い続けたあげくにその執着心をすてた瞬間、
「異邦人」としてしかいきられなくなった。


もうひとつ。
なぜ「異邦人」でありつづけたのか?


ここのカギが私が「医療」と「教育」にこだわる大きな原点となる。


障害をもつ子どもの教育。ケアする医療。


生まれた下関では「医療」と「教育」がなかった。
だから、岡山にきた。


岡山には「医療」と「教育」はあった。
だが、よそものをうけいれなかった。


「てめえ、一人でやれ!誰の助けも借りるな」
「『助けて』とは絶対にいうな」


その言葉に素直に従い、忠実に30年以上もいき続けた。


地域の事情があった。
地域間の血で血を洗う地域社会の権力抗争。
そして数学の問題を解くようにしか問題解決できない行政。
そして諸問題をみてみぬふりをする教育業界。


30年前からあったそのつけを今日本社会は払わされている。


心を凍らせて、感情を凍らせてただ、己のみを信じて行動する以外のいきる選択肢はなかった。


「そのような思いを若い子にはさせたくない。」


だが、現実問題としての限度・限界があることは厳しい現実だ。
「地域の問題は地域で解決する。」
多くの日本人にある「地域社会で暮らしたい」。
裏を返せば「よそものになりたくない。」
村八分にされたくない。」


だからこその「地域社会」だった。
九州で支援活動をしたときのコンセプトだった。


しかし…。


下関と色川は似ている。
深い山の中の里。
そしてあの山を越えれば海が見える。


私の心の原風景なのかもしれない。
帰りたいとも思う。休みたいと思った。
でも心に鞭打ち耐える。
「今休みたいと実行したら絶対に将来後悔する。」
それはわかっているからだ。
後悔することだけはしたくない。


「ふるさとに錦を飾るまで私は帰らない。」
そう誓って東京にでた。
そんなに時間がかからない、ささやかな錦だったはずだった。
健常者であれば、それほど難しい壁ではなかった。
だが、自分自身の「障害認識」が甘かった。
健常者が苦労しないで得る何かは私が血を吐く想いで努力しても手に入れられないものだった。


「医療」と「教育」にこだわるほうがバカなのさと
切り捨てるにはあまりに問題がでかすぎた。


色川の厳しい現実。「医療」と「教育」だろう。
少なくとも「医療」と「教育」による改造人間が永住することはできない地域だ。


村には診療所がある。しかし救急搬送された場合、近くの病院まで2、3時間かかる。
村には学校はある。しかし「障害をもつ子ども」を受け入れるのは現実問題難しいだろう。
東京、名古屋、大坂にでるのに少なくとも3、4時間はかかる。
定期的な通院はできないと思ったほうがいい。


障害児たちはどこにいくことになるのだろう。


さらに大きな問題。
障害もちの人間の生活コストは健常者の2倍と思っていい。
1万円でさえ「高い」と感じる生活レベルでは
月に湯水のように出ている数万円には耐えられない。
それをささえるレベルの仕事が村にあるのか???
あるはずがない。


結局村をでる以外方法はない。


「異邦人」としていきる運命しかない。
この場合、「地域社会」でしか通用しない価値観では
「異邦人」としての生活すらもできないのだ。


ああ、そういうことか、と思う。
だから昔の人は障害児を旅芸人に託したのだ。
子どもを愛さなかった親はいないだろう。
けれども村の経済のみではその子の自立した生計は立てられない。
けれども日本全体、世界を相手にすればそのひとつひとつは小さくても
その子のいきる食い扶持だけはかせげるだろう。
たとえ途中で野たれ死んでもそれはその子の運命。


それが発展してをぐり判官の物語にみるような
障害者の熊野巡礼の奨励につながったのだろう。


今はそんなことをしなくてもいきられるようにはなったはずだ。


だが、その気持ちのチェンジが日本人には難しい。
障害児教育でまっさきにつまづくであろう壁だ。


まだ世界を相手にしているならましだ。
現代の教育は世界をも相手にさせない。
「ガラスの楽園」監禁して「いないこと」にしてしまう。
それこそが大きな問題だ。
「いない」けれど「いるもの」それは「ばけもの・妖怪」でしかない。
今は「ばけもの・妖怪」でもいきられない。


途中、トイレに行きたくなる。
障害の後遺症でこういうことがたびたびある。
即、途中のホームセンター、「コーナン」による。


串本・橋杭岩(はしぐいいわ)が近いことに気がつく。


思わぬ突発的観光だ。