2011年エジプト騒乱 その7

今日は「一応」仕事休みなのさ。
だから一気に書いた。
でも時間がないので、あとでチェックを読み直すだけです。


エジプトの騒乱で恐れていることがひとつある。
エジプトがイラン革命の二の舞になることだ。


たしかに若者の革命なのだろうと思うが、
エジプトの本来の最大野党は「ムスリム同胞団」。
宗教系の政党が禁止されているため、政治の表舞台には立てない。


中東のイスラーム教徒だから、
正しくイスラームを理解して行動しているとは限らない。


特に危機感にあるときの政治的ポリシーというものは
原理主義化」「先鋭化」しやすい。
そのときに一番に犠牲になるのが、
いわゆるマイノリティだ。
バカの壁」でマイノリティの皮膚感覚は当事者にしかわからない。
本来のイスラームはそこにも配慮しているのだけど、
実際に運用するのは人間の理性との闘いになる。


イラン式のイスラームが適用された場合には
エジプトのいいところのほとんどが破壊される。
つまり明治維新以後の日本と同じマイノリティへの
暴力的なシステムが次々とつくられる。


もちろんそれは多くのエジプト人が望んでいない。
非常に敬虔かつ禁欲的な私の友人でもそんなことは望んでいない。
禁欲的なのは本人に帰属するものであって、
社会システムが禁欲的なのは私も賛成しない。


私の親戚の祖父はイラン・パフラヴィー朝の近衛隊長であった。
アメリカの支援を受け近代化を行っていたパフラヴィー朝で、
当時は好景気であったが、格差の問題がおき、イラン革命勃発。
体制側の人間として処刑された。


処刑されたのは軍隊だけではない。
医者や弁護士といった専門職の人間も多く処刑された。


イスラーム法が国法となった。だが、イスラームの寛容性ではなくて、
極端な管理社会、基本的な人権を抑圧する全体社会のようになった。


萎縮した経済ゆえに失業者が増え、海外にでかせぎにいくようになった。
もともとあったペルシャ文化の伝統がそこなわれた。
そして日本・東京・上野にあふれたイラン人に脅威を覚えた
日本政府は「ノーヴィザ」だったイラン人の待遇を
「ヴィザ要」に切り替えた。


イラン人に対する「信頼性」が失墜した。
日本人にバカにされくやしい思いをしたイラン人は多い。
それでも胸をはり根をはって日本社会でいきているイラン人も多い。


今の状況のイスラームでは日本が経験したような極端な管理社会になりかねない。
極端な管理システムに分断された日本人はいきつくところまで
カテゴリー化細分化され、共同作業、連帯作業ができなくなった。
そのために「安心」を極度にもとめる社会となり、
それが日本という国家の萎縮につながっている。
極端な管理は共同体の、人間の潜在能力をもずだずだに引き裂き、ほろぼす。


…次は日本か???
でも日本の場合は暴力性を猟奇性、異端性を癒すシステムがあり、
原則的な意味での一神教信仰(みんながやっている常識)があり、
「安心・安定」を求める民族であり、
多神教の多種多様性に寛容であるための多彩な価値観ゆえに
かつての三島由紀夫が相手にされなかったように、
騒乱がおきにくい…気がする。


◆1月30日

◆◇◆◇ この日のエジプトニュース ◆◇◆◇
エジプト - Google 検索

・エジプト、副大統領と首相の指名後もデモ続く 死者100人超える
・デモ拡大で死者数十人、略奪も続発 エジプト


※エジプトは今現地時間朝の10時なので…(日本17:00)


http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011013001000156.html

・エジプト博物館の略奪被害拡大か 中東のTVが映像放映
デモ隊が守った…ってことは、「便乗犯」がいるんだな。

【カイロ共同】中東の衛星テレビ、アルアラビーヤは29日、エジプト+のデモ拡大をきっかけとした首都カイロの暴動で略奪を受けたエジプト考古学博物館内部の映像を伝えた。古代エジプトのミイラ2体が損傷したとされていたが、他にも多くの展示ケースが損壊、壊された古代の石像などが映った。被害はさらに拡大しそうだ。


刑務所から囚人1000人が大脱走…。