記録 その3

◆予定が狂いまくった土曜日。

1.すべての予定をキャンセル

本当は「通院の日」だったのだけどいけなんだ。
父は大叔父の一周忌にでるつもりがキャンセル。
父ふくむ千葉方面の人々は交通機関やその他のリスクを考え、
参加を見合わせることに。


2.母に連絡がつかない。

一番困ったこと。母に連絡がつかない。
こちらの電話事情が、ではなく、岡山につながらないのだ。
岡山は被災地ではない。
地震にやられたのはこっちだ!!
しかも「安否をたずねる」電話一本ない。
電磁波アレルギーで自宅に電子レンジがないぐらいなんで、携帯などもたないし、PCも触らない。


伊東「なんつーーーか、『らしい』というか。心配じゃないのか?」
伊東父「テレビをみていないんじゃないか?」
伊東「ありえる」


阪神大震災のときに私も同じことをしたので。。。
あのときは山形から緊急帰国した父から地震の事実をしらされた。


伊東「電話が通じて、開口一番『犬のえさはどうしたの!犬のえさは!』といわれたらぶっとばす#」


母は犬舎を運営していて、そのえさの注文は私が担当している。
2日前の3月9日に「えさの納入がおくれて、あと一日分しかない」と
仕事中に電話でわめかれて、
「だから、注文の日にちを決めておくか、余裕をもって注文して、といったじゃないか!
ぎりぎりで頼んだらだめだよ。」と説教したばかり。

伊東母「だって、お金がなくて…父が2、3日あれば届くって…」
伊東「なにがあるかわかんないんだよ。
 在庫がなくて取り寄せだと最低でも小売店では1週間はかかる。
 きらしたら困るものでしょ?
 きらしてからわーわーいったってそんなのそっちは知らないよ。」


達観するほどの「自己中」なのはおりこみ済みなんだけど。
確実に危機的なトラブルにならないと学習しないので、あぶないことがいろいろ。
これアルペルガー系の特性なのかな?
視覚的な情報でないと、「話を聞かない」の状況になる。


犬たちにとっては食事はそれ。それは大事だと思う。
震災の状況にかぶる。
あると思うな、めしと時間。
しかしなんか、団塊世代から10年前後って、相手、全体を押しはかって予測して余裕もった行動ができないみたい。


団塊世代から10年前後って三橋姐さんのいうところのオイルショックの買占め世代だよね。うちはやらなかったけど。


これのつまるところが、今の「買占め問題」につながるメンタル構造か?。


伊東「今日茶道教室だっけ?じゃあ友人社長Mさんの子供たちくるよね。Mさんに伝えてもらったらどうだろう。」


伊東父「そうだね。」


伊東父「Mさん、もしもし、地震すごかったよ〜。ところで…お願いが…。」
友人社長Mさんの家は隣町。
「じゃあ様子見てくるよ」と快諾してくれた。

数十分後。

友人社長Mさん「伊東さーーーん」
結果。電話機のコンセントが抜けていただけだった…。


3.ケンさん夫妻お見舞い

伊東父「ケンさんの奥さんが、この地震におびえてしまって、
岡山早く帰りたいんだそうだ。」


そりゃそうだ。岡山にゃ地震がほとんどないもん。
はじめての体験だったんじゃ?


伊東「今日帰るのはまずいよ。もう一日様子をみたほうがいい。
道路状況がわからない、横浜あたりで道路に亀裂がという情報もある。
首都高も動いていない。それにお父さん、つかれきっている。
静岡・由比で地震にあって津波をくらったら
一貫のおわりだ。情報を集めてからにしよう。」


30センチの大なべで、5分つきの米を炊く。
それでおにぎりを作る。
15個。


そこから6個。
それに白菜、かぶ、からし菜のつけものをつけて、
ケンさん夫妻の滞在するケンさんの娘さんの部屋へ。


元気付けるため、というか…。


起業家で投資家、アマチュアレーサーの「ザ・精力家」と
いう雰囲気のケンさんがげっそりと疲れている。


ケンさん「清澄白河地震にあったんや。二本足でたってられんほど、ひどかったわ。」


そこから、5時間。
右も左もわからん、東京の街をひたすら北上。5時間。
しかも仕事用の大道具かかえて。


ケンさん「(車をもっているので)『迎えに来て』といわれたけど、あいにくでとったしな。」
ケンさん「その後電話が通じない。あえん可能性があるから、迎えにいくのはあぶないと思った。」

伊東「それが正解ですよ。ケンさんも相当お疲れのようですし。」


ケンさん「…本当は福島にも予定があったんや。しかも南相馬市や。いっとったら死んどったかも…」
伊東「…」


4.Mくんの奥さんたずねてくる

その夜。
ピンポーン。昔のルームメイトのMくんの奥さんからだ。
Mくんは日本橋勤務から転勤になり、池袋。
池袋から5時間あるいたとのこと。


おにぎりとつけものは伯母とMくん夫妻にもくばられ、すべてなくなった。


◆そして日曜日。
道路情報を調べる。
東名高速が通れるようになっている。
首都高もOKだ。


いけそうだ。


でも。


「時勢が時勢なのでポイント、ポイントで連絡をいれてね。」


念には念をいれる。


伊東「ハンドルとられる感覚がしたら、大地震発生の可能性が高いから、とまって」
伊東父「なにいっているんだよ、あいてはプロだよ。(>ケンさんのこと)」
伊東「プロでも地震対策は別だよ。」
伊東「とりあえず由比を越えたら大丈夫だと思う。とにかく油断しないで。」

※高速道路にくわしくない方へ

大きな地図で見る



由比は東海道53次でも唯一その絵の雰囲気を残した土地である。


なぜ、由比が天王山か?
由比のロケーションはリンク先のHPのように、海がすぐそばなのだ。
台風のあとなんか、数メーターの波しぶきあたってくだける。


しかもここの土壌はもろく、波の浸食をうけやすい。


大崩海岸の名で知られる駿河湾沿いのリアス式海岸はその先の用宗である。名のとおりそこをとおる旧国道150号線はなんども崩落を繰りかえし、昭和46年に一人の若者の命をその海に飲み込んでその役割を終えた。


津波なんかきたら、アウトです。
東名高速道路(その2c)
http://roadkawasaki.web.fc2.com/hi/h3tm/h3tm-bc.htm


荷物を車に積む。


ケンさんの娘がきた。
両親の説得に負けて岡山へ一時帰宅するとのこと。
機嫌が悪い。


「向こうの祖父母が心配してまして。とにかく元気な顔をみせないと。」


伊東「情勢が刻一刻とかわるから、こまめに情報収集してね。」


葛飾区を9時に出発。


ポイント連絡は以下のとおり。


伊東聰(@stshi3edmsr)/2011年03月13日 - Twilog


結論からいうと横浜町田までいつもより1時間かかったぐらいで、あとは食事休憩もいれたかも?10時間ぐらいで岡山に到着。


いつもなら8時間。
首都圏脱出で大変なことになるかと思ったが、拍子抜けした。


とりあえず心配はひとつ消えた。


すごく疲れた週末だった。
ああ、ただでさえ忙しい3月がもっと忙しくなる…。


ぐったり眠ってしまった…。