記録 その2

23時ごろ。父帰宅。
アフマドに「父が帰ってきた、ひどく疲れてる、ごめん、チャットきるわ(英語)」。


とりあえずガスを復活させて風呂を沸かしていたので、入ってもらう。


有楽町から歩いて6時間。


◆伊東父の体験

食品コンサルタント&営業傭兵の父はとある老舗貿易会社で事務仕事。
字が震えて書けないな〜、老化現象?と思った瞬間に。


「ぐらぐらっ!!って。女の子たちがキャーキャー悲鳴上げて(伊東父)」


地震どこだ!」
「宮城だ!」


伊東父「●●くん!(会社の若手)」
会社の若手「はい!」
伊東父「段ボールをもってきて、それに義援金をあつめろ!」
会社の若手「伊東さん!まだはやすぎます!!!!」


緊急事態ということで、帰宅命令が。
念のためにと緊急の食料として乾パンがくばられる。


「あるいてかえるしかないな〜」伊東父。
迎えにきてもらおうとケンさんに電話。
だが、ケンさんも出先だった。
それきり電話は通じない。


ちょうどそのときに私からのメールが。
東陽町から歩いて帰るって」
「え〜いいなあ〜〜〜〜(某会社の同僚)」


ある若手の女子社員「私は銀座にいきます」
伊東父「え、千葉方面だよね?どうやってかえると」
ある若手の女子社員「友達とまちあわせたので、銀座で遊んでます」
(まあ、たくましい…)


糖尿病をもつ父。そのまま歩いたらぶったおれる危険が。
歩く前に丼ものを注文、腹ごしらえをする。


そして歩く。


水戸街道を北上する。


途中で、自宅方面のバスを発見。
だが、バス停には長蛇の列。


そして、そのバスが父をおいぬくことはなかった…。


◆伊東のメンターであるE叔父

多摩某方面の大学で特任准教授のEさん。大学研究室で被災。被害は本棚ふたつ。
当然自宅にかえれず、研究室で一夜をあかすことに。
安否を問うメールが届く。

返信を書く。


◆さとし従姉

六本木で被災。食器やビン類が割れるさわぎ。
臨時閉店を考えたが、
六本木は有数のオフィス街。帰宅難民のために営業。


◆さとし従兄

茨城は石岡に車で営業中。
即帰途についたが、超渋滞でかえれず夜中の二時ごろ到着。


その他、通院のためにでたら、渋谷で難民になったとかいろいろ…。