東日本大震災 記録 その1

伊東「SGさん、さきほどの障害対応の受け入れ試験の結果ですが…」
SGさん「ん?ちょっとまって…。ゆれてない?」
伊東「え」


14時46分 いわゆる東京深川の某会社内3階。


「ゆれてる」
「うわっ、ちょっとでかくね?」
「やばいよこれ」
「長くね?」
「どこだ?」
「こんな地震人生はじめてだよ。」
「子供の下校時間だ!」
「にげてください!」


体感で5分ぐらいゆれつづけた気がする。


「どこ?」
宮城県だ!」
「え!」

ポーン。車内放送が流れる。
「念のために外に非難してください。」


(こんな体験はじめてだ)
全員社外に退却。


「階とチームで固まってます。」


父と父の友人ケンさん夫妻が岡山から東京に上京していた。
SNSで無事をしらせる。
父に、弟に、弟の妻に。
だが遅れない。

mixiにつなぐ。つながる。なので、そこに無事を書く。
これで弟含む数人にはつたわる。
twitterにつなげる。つながる。なので、そこに無事を書く。
これで数人にはつたわる。
mixitwitterすごい。
メールを「黒い人」とよぶ家族の次に重要と考えている3人に送る。
だが、たぶん届くのはあとだろう。


つづく余震。建物がみしみしとゆれる。


「ビルがおれそうだ」
「隣のビルやばくね?ボキっといきそう。」


母がつねひごろ、
「東京都江東区には絶対にいくな」といっていた。
その江東区にいる。やれやれ。


twitterをみる。
お台場で火災発生。
市原で火災発生。
日本橋で火災発生。
横浜で道路寸断。
東京ディズニーランド
【ディズニーシ―】になったという。


一時間後、
「階別にビルに戻って整理してから、退出してください」
会社に戻り、PCを倒して電源ぬいて、外に出る。


電車は止まっている。バスは動いている。


IT傭兵としてこの深川にはよく来ていた。
私の東京の自宅から深川は直線距離では10キロ。
しかし電車で都心にでてからまたもどるという
正三角形の関係になる。めんどくさい。
なので、深川−自宅間は
よく運動不足をふせくための「散歩コース」になっていた。
これが今回活かされた。
私の足で二時間。


「浅草、だったらこの道をこういって…。」
南砂町?この道を…」
「東京駅?この道をまっすぐ40分から一時間かな?」
錦糸町方面の人誰かいない?」


会社の同僚に道案内をして、帰途につく。
帰途の途中にツイッターをする。


東京・八丁堀で仕事をしている弟につくばエキスプレスの情報を送る。
つくばエキスプレス停止中」


首都高の入り口にさしかかる。
首都高停止。


twilogより
伊東聰(@stshi3edmsr)/2011年03月11日 - Twilog


東京スカイツリーより
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四つ目通り沿いで帰ったが、町は比較的落ち着いていた。
外食系の店が繁盛していた。

◆twicastより
ヒッチコックのような大量の鳥の飛翔…きもかった。
http://movie.twitcasting.tv/stshi3edmsr/movie/1096725


途中、黒い人と弟の妻からメール。


弟の妻「あたしたちは大丈夫。でも念のため車の中に避難している。」


弟はつくばエキスプレスに2時間半とじこめられ、
三郷で解放、しかし三郷から自宅まで25キロ。
あるいているという。
所要時間最短6時間。


ちょうど2時間で帰宅。


父がいない。
今日は出勤だったのか…。


skypeを立ち上げるとエジプトのアフマドからチャット。


「元気?(英語)」
「元気だが、今日本でM8.9の大地震が起きた。(英語)」
「え!!オーマイガ!!!!(英語)」


アラビア語動画




しばらくチャットを続ける。


父帰宅。


有楽町から5時間歩いたという。