37回目の伊東聰聖誕祭

「形あるもの」ではないけれど、
「形のない」大事なものをたくさんいただけた
今までで一番幸せな誕生日だった。


思えば今年前半は
「至福の時」ってこういうことをいうんだろうな、と
思えた日々だった。


プロジェクトは火を噴いてえらい目をみたけれど、
人生で多くのことをしゃべったプロジェクトだった。
多くの想いを感じたプロジェクトだった。


誕生日には
エジプト料理ふるまって、
ちょっといろんな話して。


今回関係したプロジェクト。
そしてふたつの誕生日。
気がついたことがある。


「私は私の感性でものをいうことを
 一番恐れていたのだ」ということ。


だから、
私があなたに何をしてほしいとか
私はあなたに何をみているとか、
私はあなたに何を期待しているとか。


私が何をみていて、何を聞いて、何を感じていたか。


そういう想いをすべて
にぎりつぶして生きてきたような気がする。


そういう状態になってしまうには
37年間積み重ねた
いろいろな原因が山ほどあるのだけど。
そしてその原因に対処した結果ではあるけれど。


そしてそれは私という「個体」が生きのびるのには
必要だったのだろうけど。


私の喜怒哀楽快不快をにぎりつぶして
あなたが何を欲しているかを考え、行動したほうが、
経験則的には「成功」になっていた。


それゆえに私の喜怒哀楽快不快に踏み込む人が大嫌いだった。
踏み込んできたとしてもかわしていた。
「俺の喜怒哀楽なんてあんたが知っても意味がない。
 なぜならそれは俺の中で起きていることで
 俺の中の問題だから
 あんたには関係ない。」


だから、そっとしておいてくれ。


人が想いを分かち合うことができると思わなかったし、
分かち合うチャンスをひらくことがものすごくこわかった。


関係性がこわれることが一番こわかった。


誕生日の前夜、3つの「想いを伝える」ができた。
伝えた想いは3つともきちんと帰ってきた。


それは私にはすごく大きなプレゼントだった。