「長い黒髪の君」=「平安の姫君」型男子

■「障害克服」or「自己愛」か
いわゆる普通の男性の髪型だったときがある。
スキンヘッドからのばしはじめたときである。


「普通」にとけこむってこんなに楽なんだ。


1.仕事にしても活動にしてもあらゆる選択肢が増える。
2.マイナス点をおぎなおうとがんばらなくていい。


だが、同時に危機感を感じた。
「この安定感、安らぎのなかにいたらおれ自身がだめになる」
結局もとのロングへアに戻った。
もしも他人受けのする「いい人」でありつづけたならば
今の私は決して存在しないだろう。


私という人間を職業的にコーディネートした場合、
どうしても「お固い」仕事に配置しようと人は考える。
IT業界でいえば「金融系」だ。
そして「客先常駐」をお願いしたい、そういわれる。


わかる気がする。
見た目の人当たりのよさ。
そして聴覚障害者特有の神経の細かさ、もののとらえ方。
あいまいさ、妥協をゆるさないその感性は
たしかに事故を許さない金融システムの開発に
向いていたのかもしれない。


今までのプロジェクトで金融システム開発の実績は3割以上。
これは大変貴重な「金では買えない」実務経験だ。


だが、私自身は「お固い」仕事はしたくなかった。
「お固い」仕事には「お固い」仕事のTPOがある。
そこにとりこまれて身動きできなくなるのは許せなかった。


だが「お固くない」仕事には別の問題が生じる。
そういう業界は仕事のやり方が「音声言語」中心なのだ。
「お固い仕事」と違って、視覚化されている
ドキュメントが整備されていない。
それは聴覚障害者には「致命傷」である。
つまり「聴覚障害のハンデ」にぶつかる。


聴覚障害にやさしい仕事のために、自分の好きなスタイルを捨てるか」
「自分の好きなスタイルを守るために、聴覚障害克服のために手段を選ばないか」


私は後者を選んだ。そのほうが自分にとって利益が高いからだ。
もしも前者を選んだら、
私は自分に与えられた「責任」を果たそうとは思わないだろう。
「責任を果たそうとしない」ということは
自分を磨こうという欲求もでてこないということになる。
事件が起きれば「誰かのせい」にする。
「他人に受け入れられること」ばかりを気にして、
「自分、自分」という器の小さい醜い男になるだろう。
そういう人間は企業のみならず社会に対しても大損害を与える。


前者の道が険しいことはあきらかだ。
しかし「責任感」については前者と比べて格段に違う。
さらに「自分が大事」ということは
相手にも「自分が大事」という感情があることが理解できる。
「相手を大事にしたい」という気持ちが強くなる。
「自分が大事」という自己愛は
最終的に「誰かのため、何かのために可能な限り尽くしたい」と
いう気持ちに変換される。
その想いは企業への利益、そして社会への利益につながる。



■「長い黒髪の君」
性別違和をもつ子供たちのための活動をしていたときがある。
そのときにある人の「長髪の黒髪男子」の憧れと
いうアイコンになっていた?時期がある。


年の差その他で子供たちの「おかず」で終わってしまったが(笑)
たまに伝え聞くある学校教師からのその後の話にほほえましく思った一幕。


「彼には一学年上に『長い黒髪の君』がいてね…。」


「長い黒髪の君」。ふふふ。
たぶんその子には人生に多大な影響を与える「長い黒髪の君」。


私が高校2年、17歳のときにもそういう人がいた。
一学年上の「彼」は高校1年のときにみたときは
正体不明の「おたく少年」にしかみえなかった。
彼の顔はみえなかった。
長い前髪でいつも顔を覆っており、めがねをかけているとしか
わからなかった。


だが、ある日階段ですれ違ったときに目があった。
「あっ」


古代エジプトの絵を思わせる瞳とするどい眼光。
美形の象徴とされる蛾眉。
私は彼のとりこになった。


その日から「長い黒髪の君」ウォッチングがはじまった。
彼に対するあらゆる情報を集めた。
彼の優美なふるまいの一挙一動を観察していた。


ひとことでいうと「平安の姫君」型男子。
ふだんその表情は見えない。
だが、ときたまいろいろな偶然でぱっとその表情はみえる。


つきさすような例の眼光で周りの動向を観察しているときがある。
と思えば、何かいいことでもあったのか、
アルカイックな柔和なほほえみを浮かべていることもある。
ちら、ちらと垣間見えるその表情が気になって仕方がない。


彼には「友達」とよべるような人間の姿は見当たらなかった。
にもかかわらずそのような人間のもつ
「さびしい」というオーラは見当たらなかった。
彼の自己ルールをつらぬく「わがまま」さから
彼のことをよく思わないものもたくさんいた。
しかし、彼は動じなかった。


「さびしくはないのか」
「つらくはないのか」
「こわくはないのか」


「なぜ」
彼の孤高ともいうべき「強さ」の秘密が知りたい。
私もあなたのその「強さ」がほしい。


答えてくれることのない、そんな問いを私は彼に発していた。


そして気がついた。
「彼は自分のことがすきなんだ」
「好きな自分でいて、それを貫き通していた。だから自信がある。」
そのことが素材は「決してイケメンではない」
彼の凛とした「美しさ」につながっている。


対する私はどうだろう。
いつも他人に受け入れられる自分ばかりを考えて、
本当に自分らしさを表現したことがなかったのではないか?
そのためにいつも「死にたい」と考え、
いつも「生きている気がしなかった」。
そしてそういう自分自身をみたくなかった。


本気で彼の強さがほしい。
そう思った。


それから数十年。「長い黒髪の君」にひきずられるように
今の私が形成された。


気がつけば私の容姿も「長い黒髪の君」のそれに似てきた。


「長い黒髪の君」とは一言しか言葉をかわさず、
高校を卒業したら二度と会うことはなかった。
これからもあうことはないだろう。


もしかしたら…とも思う。
本当は私があのときそうだったように
彼も「人間」がこわかったのかもしれない。
表情を隠すあの前髪はイスラーム女性がするような
「ヴェール」の代わりだったのかもしれない。
イスラーム女性の「ヴェール」は便利だ。
相手のまなざしをさける代わりに、自分は相手を観察することができる。
昔はイスラーム男性も「ヴェール」をつけていた、と伝え聞く。
「引きこもり」のリスクをかかえる人間でも
「ヴェール」があれば安心して外にでられる。
そんな需要があったのかもしれない。


彼はどうしているだろう。
「幸せにくらしているか?」
「いまでもあのときのまま、人生を積み重ねているのか?」


あの悩み多き多感な時期にあなたに会えたことを幸せに思う。


そんな届かぬメッセージを送ることもある。