さようなら羊蹄丸!!!船の科学館より

あんまりいい天気なので、
このまま家に帰るのもなんだかと「あそびに行きたいな〜」。

「海にいきたいな〜晴海にいくか〜」と思った瞬間。


「そうだ!忘れていた!」


船の科学館が最終日ということに。


ということでさっそくいってきました。
http://www.funenokagakukan.or.jp/



展示物を見てまわる。

大和の展示は定番…。



初霜。大叔父が軍医として乗っていた駆逐艦


ツイキャスしてみた。あまりよくない…のと、私が展示品を楽しめないのでやめた…。
遠足の小学生も多かった。

船の科学館 展示品へ - 伊東聰 (@stshi3edmsr) - TwitCasting



船の科学館、実は臨海副都心開発がはじまったころにできた新しい施設だと思い込んでいて、「閉館するのは経営不振?」と思っていたのだけど、実はこの施設、私と同じ年齢であることをはじめて知った。


お台場がまだ「埋立地」だったころに土地を買収して作られたのだ。


1974年7月20日


最初は初代クイーンエリザベス号を購入して、それを改造して博物館にするつもりだったのが、オークション競争にまけて断念、かの船のイメージを建物に取り入れてつくったのが、現在まで残る船型の博物館、というわけだ。


ちなみに初代クイーンエリザベス号は悲しいことに香港で大学に改装しようと工事中に火災が発生、沈没してしまった。


船の建造をイメージして作成されたため、UFディーゼルエンジンを最初にとりつけて、その外側に構造物をつくる、という手法で作られている。


蒸気レシプロ船・蒸気タービン船にとってかわりつつあった当時ディーゼルエンジンというのは船舶開発の最新鋭というイメージ。


当初は「未来の夢満々」のイメージで作られたが、それから37年。
だんだん「過去のもの」が増えていき、今年3月11日の東日本大震災で天井がおちるなどの被害があり。


もともと海沿いの施設の宿命ともいえる塩害などの痛みもあり、今回「リニューアルという名目」で休止とあいなったわけだ。


休止とはいえ、宗谷丸ふくむ周辺施設はそのまま営業をつづけるとのこと。



リニューアルの構想はまだ決まっていない。
船の形をそのまま残すのか。
それともまったく新しいものにするのか。


サーチナ-searchina.net


http://www.asahi.com/travel/news/TKY201109080409.html


しかしリニューアルの大義名分を掲げる船の科学館本体にはいつかお目にかかれるかもしれないが、宗谷丸と一緒に展示されている羊蹄丸(ようていまる)には二度と会うことができない。

羊蹄丸はいわゆる青函連絡船の最後のフェリー。


青函連絡船とはJR北海道の経営する航路連絡船のこと。
実は私は大きな誤解をしていて、「青函連絡船廃止」ときいたとき
「うわっ!本州から北海道に車でいこうとしたらどうやってわたるんだ?」
と疑問だったことがある。
ようするにJR北海道が青森−函館の航路の経営から手を引いた、ということなのだ。


民間の青森−函館の連絡船はまだ存在する。
というか、「ない」と非常に困ろうな…(苦笑)。
青函フェリー | 函館、青森間の快適なフェリー航路


青函トンネルで鉄道が本州−北海道を直行できるようになるまで、JR貨物は貨物ごとこの連絡船につんで海を渡っていた。

※リンク先に「こんな感じで積み込んでいる」という絵葉書がございます。
◆船の絵葉書とカバーの収集
船の時代は終わりだが旅のロマンはやはり
青函連絡船 羊蹄丸貨物積込 絵葉書 ( 鉄道、列車 ) - 船の絵葉書とカバーの収集 - Yahoo!ブログ


戦前の日本の野望らしいといえばそうだが、実は海底トンネルを利用した樺太ー北海道ー本州ー朝鮮半島の鉄道の環状線という構想が存在していた。


青函トンネルはその構想のひとつであり、戦後、あらゆる調査をへて工事が決定した。
数々の難工事をへて1988年3月13日に営業開始。


ここで展示されていた羊蹄丸は羊蹄丸2でいわゆる「羊蹄丸2世」。


死者1155名というタイタニックにつぐ「世界第二位の悲劇的事故」といわれる洞爺丸海難事故の悲劇を繰り返すまいとあらゆる最悪の事態を想定した上での「人命安全」のしくみを備えた代表的な船。


1965年8月5日に就航をはじめ、1988年3月13日に最後の上り終航を終えた。


名前の由来は北海道ニセコにある「蝦夷富士」こと羊蹄山
シンボルカラーはクリーム色にえんじ
シンボルマークは「羊蹄山といるか」である。




羊蹄丸は青函連絡船引退後、中を大改装し、ジェノヴァ国際博覧会にパビリオンとして出展、帰国後フローティングパビリオン羊蹄丸として今日まで展示されていた。


本体である船の科学館が閉館すると年間3000万円かかるといわれる羊蹄丸を維持費を捻出できない。そこで無償譲渡することになった。


無償譲渡とはいえ、羊蹄丸には自力走行できるエンジンがなく、他の船に曳航してもらうしかない。その移動費用は譲られた側もちである。


譲渡先がなければスクラップ。今のところ35件の応募があるとのことであるが、昨日時点では譲渡先未決定。


最終日ということで「さようなら『羊蹄丸』」のセレモニーが開かれた。


そのまま羊蹄丸のなかでジオラマやミニシアターを楽しみながら(ちょっと寝た…)。セレモニーの時間まで。









セレモニー、ついキャスしてみた。


羊蹄丸には日の丸おじさん…いや「オリンピックおじさん」も乗船していた。


<「さよなら『羊蹄丸』」のセレモニー>全容


http://www.olympic-ojisan.jp/
山田直稔 - Wikipedia


羊蹄丸神恩感謝祭開催~外へ 船の科学館 - 伊東聰 (@stshi3edmsr) - TwitCasting
神主による神事。そのあと羊蹄丸の外へ。


羊蹄丸セレモニー (途中できれた。開設はあり) - 伊東聰 (@stshi3edmsr) - TwitCasting
途中できれてしまった。
館長の森田氏のあいさつの羊蹄丸解説はきける。


羊蹄丸セレモニー メイン - 伊東聰 (@stshi3edmsr) - TwitCasting
いよいよ、セレモニーメイン。
森田文憲館長の「新たな船出に出航せよ!」の号令〜紙テープ。

http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109300136.html
 旧国鉄青函連絡船「羊蹄丸」(8311トン)を展示している東京・お台場の「船の科学館」が30日、老朽化のため休館した。羊蹄丸は10月中にも譲渡先が決まる見通しで、新たな船出を祝うセレモニーが開催された。

 北海道・羊蹄山から名を取った羊蹄丸は1965年から88年まで、青森―函館間で延べ約1178万人の乗客を運んだ。92年にイタリアで開催された博覧会の政府パビリオンに使われた後、96年から同館の展示の目玉として、お台場の海に浮かんでいた。

 セレモニーは森田文憲館長の「新たな船出に出航せよ!」の号令で始まった。青函連絡船として活躍していた頃の出航作業を、当時の乗務員らが忠実に再現。テンポの良い号令が次々と飛び交う中、汽笛を鳴らし、旗を掲げるなど船上は活気にあふれた。締めくくりには来館客も参加して紙テープが船上から投げられ、拍手と歓声に包まれた。