「義経」の幻影をみた

■「義経」似のプロジェクトリーダー


今から7年前、お台場の「TIME24」で仕事をしていた。
ゆりかもめを経由していくため、
交通費と通勤時間はめちゃくちゃかかったが、
故郷下関にも似た海の見える風景を毎日堪能し、
潮風を楽しめる日々はまんざらでもなかった。
少し早めにいっては船の科学館近くの公園で
羽田から離陸する飛行機をみながら
朝食を食べてから出勤。
昼になれば船の科学館近くの公園で
当時展示されていた「北朝鮮工作船」を
かいまみながらランチを堪能。
夜の帰宅時には最寄の駅から乗らずに
お台場海浜公園まで歩いて、夜の海を楽しんだ。


プロジェクトはいわゆる「火消し」だった。
いやすでに沈下したあとの事故処理ともいうべき
プロジェクトだった。


その前のプロジェクトでコミュニケーションと
C++のプログラミングで大失敗をし、
なかばIT業界に対する恐怖症になり、
引退すら考えていた私にとっての自信を
回復するべきプロジェクトでもあった。


IT傭兵やって12年がたっても面談時は非常に緊張する。
数十のプロジェクトをこなしても決してなれることはない。
「相手の言葉が私にわかるだろうか」
「ちゃんと会話ができるだろうか」
常に頭にあるのはそのこと。


そのときもそんな緊張をはったりで飛ばしながら
面談にいどんだ。
担当するのはプロジェクトリーダーと
プロジェクトマネージャー補佐の二人。


「ん」


プロジェクトリーダーの顔に見覚えが…。
まさか…「源義経????」



ファイル:Minamoto no Yoshitsune.jpg - Wikipedia
中尊寺所蔵、ただし戦国時代か江戸時代の作品らしい


義経は美男子 or 不細工?
源義経こと幼名牛若丸、といえばおそらく
ヤマトタケルノミコト
森蘭丸にならぶ三大日本美系男子としてあげても
いいすぎではないだろう。

源義経 - Wikipedia

しかし、一方で義経不細工説もある。
どっちが本当なのか?


一番義経を伝えているであろう、有名な肖像画
それほど心奪うほどの美形には書かれていない。


彼の母はいわゆる美人コンテストで優勝した常盤御前
その美貌をひきついでいるといわれた。
もっとも一番ひきついでいるといわれたのは
その長兄にあたる今若丸こと阿野全成(あのぜんじょう)、
北条時政の娘婿であり、軍師でもあり、実朝の乳母夫(めのと)、
頼朝の粛清を最後まで生き延びた男である。


彼を主人公にストーリーを考えていたので、
義経をどのように描こうか」と常に考えていた。
目の前にあらわれたプロジェクトリーダーは
まさにその義経を彷彿させる男だったのである。


「よし、彼を私の義経のモデルにしよう」


年のころはきけば31。
衣川の戦いで義経が最後をとげたその年齢に当たる。
例の肖像画から抜け出してきたような
まさにうりふたつの相貌。
違うのは体格とひげの有無かもしれない。
寺の稚児として育った小柄な義経
現代人らしく中肉中背のプロジェクトリーダー。


義経は美男子だった?
エス


見た目にイメージが近いのは桜塚やっくんか?

艶桜~桜塚やっくんヴィジュアルフォトブック

艶桜~桜塚やっくんヴィジュアルフォトブック


義経」ぶりは見た目だけではなかった。
彼のリーダー資質はムードメーカー。
彼のチャームポイントはひまわりのような笑顔。
どんなに大変な状況であっても、
その笑顔でするどいつっこみをする。
内容が的確なので彼の指摘はいつも採用された。


チームが疲労でぎすぎすしそうなときも
その笑顔で癒された。
まさにそこには「御曹司」がいた。
彼のもとで一段と情熱をもやすプロジェクトチーム。


弁慶が、伊勢三郎が、佐藤兄弟が彼のために戦ったこと、
静御前が、郷御前が、鎌倉の命令をつっぱねた、
奥州藤原氏の夢の都が4代で滅ぶ原因になった彼。
京の貴族を魅惑し、頼朝を恐れさせたそのカリスマ性が彼にはあった。


■笑顔「美男子」ではないか?
実は義経伝説を扱う以下のサイトで興味深い文章を見つけた。


美とはなにか

義経伝説


文章全体としての結論は「かっこいい」という心理が生み出す伝説としながらも興味深い指摘をしている。


義経不細工説の引き合いにだされる「口元」の問題である。
平家物語」巻第十一「鶏合・壇ノ浦合戦」の「九郎は色白うちいさきが、むかばのことにさしいでてしるかんなるぞ。ただし直垂と鎧を常に着かふなれば、きっと見わけがたかんなり」のくだりである。


「むかばのことにさしいでてしる」というのは「出っ歯だ」という解釈が主流だったけど、筆者はこれは「笑顔の多い人物だったのでは?」と推察している。


笑顔が多ければ確かに前歯をみせていることが多い。筆者は義経を「彼は非常に楽しげに大笑いなどをしながら、鵯越の逆落としのような凄いことをやってのけてしまう。」人物ではないかと解釈している。


プロジェクトリーダーにもそれを感じた。どんなにシリアスなシーンでも彼は笑顔でその問題に答えた。火が吹いた現場には解決しなければならない課題が次から次へとくる。ゴルゴ13みたいな冷徹で能力のある人間が解決していけば、それはそれで「すごい」ということにはなるかもしれないが、リーダーとして人がついていくのは難しい。恐れがかえってチーム全体を萎縮させることがある。気の弱い人だと彼を敬遠するかもしれない。


しかしプロジェクトリーダーのように困難を雰囲気でやわらげてしまうオーラをもつ人物であればいかなる人間でも「彼というと安心だ」「心強い」という想いを抱かせてしまう。そして最終的にはプロジェクトを成功させてしまうのだ。


笑顔がはしたないという価値観が主流で、笑顔の美男子はなかなか日本男子にはいないが、たとえば奈良時代の「恵美押勝」こと藤原仲麻呂も笑顔系美男子とされる。少数ではあるが、例外ではない。


義経の悲劇は兄頼朝のミッションが最後まで理解できなかったところにあった。あきらかにコミュニケーション不足である。しかし頼朝がやろうとしていたことは彼らが知っている日本の支配社会層の常識をくつがえす社会だった。官僚社会しかない、当たり前と感じているところに民間企業の独立した経営をやろうとした。現代人でも理解不能だろう。幼馴染であろうと筆者が推察する源範頼でさえ、判断ミスをおかし顔色が変わっている。せめて頼朝の人となりをもう少し知るべきだったかもしれない。美少年でちやほやされすぎたが故の弊害かもしれない。


プロジェクトリーダーに「夢」を聞いてみたことがある。
彼は「兄の夢をかなえること」と笑顔で答えた。
彼の兄はある大きな夢をかなえるためにアメリカにいた。
その兄の生活を彼がささえていた。
その「夢」かなっただろうか。