独断偏見ですが…解析

今週のお題「オススメのマンガ」独断偏見ですが…

昨日挑戦いたしました、「今週のお題「オススメのマンガ」」、ですが、
[[今週のお題]]「オススメのマンガ」独断偏見ですが… - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


自己カウンセリング的解析。


こういうものはタロットカードとか心理ゲームと実は同じで
非常に面白いです。


映画やドラマでもできます。
女性向け雑誌やネットにのっている選択肢の心理ゲームというのはたいていこんな感じで作成されています。


で、私の場合ですが、感じたこと。


1.カタルシスをえるために漫画を読むということ
私の場合、カタルシスをえるために漫画を利用している、ということがわかった。
多くの人がそうかもしれないが、そうでない人もいるとおもうんだ。
純粋にストーリーを楽しむという人もいるだろう。


カタルシスとは以下。
カタルシス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9


代償行為によって得られる満足を指す心理用語。


つまり漫画の中のだれかに心理的投影をすることで自分自身を癒そうとするんだな。


私が漫画の好き嫌いが激しいというのは自分が完全に心理的投影できるキャラがでている漫画をさがそうとするからだ、ともいえる。


ゲゲゲの鬼太郎が原点だと感じるほど基本的漫画である理由は、ゲゲゲの鬼太郎そのものが作者水木しげるカタルシスが反映されていたからだろうとおもっている。


そしてそのカタルシスがそのまま私自身の人生の課題と重なっていたからだろうと理解している。


つまり、健常者が当たり前に反映を享受していくなかで、障害をもつゆえにその波にのることができず異形のものとして排斥、「妖怪はいない」といないことにされていく時代を反映されたもの。だから初期の鬼太郎が怨念にみちたおどろおどろしい内容だったのは「さもありなん」ということだった。


妖怪を「障害者」におきかえてみたらその内容はまさに障害者の生きてきたサバイバルの歴史にかさなる。そしてそんななかで障害者たちが当たり前としてつちかってきた生き方のノウハウのようなものもしっかりかかれている。(感じ取れるかどうかは個人差があるが)


「隻眼」という障害をもつヒーローのメタモデルをもつ鬼太郎。
そして鬼太郎こと水木しげるの親友がモデルとされる人間と妖怪のハーフであるねずみ男。居弱体質で兵役にもつけなかった彼もまた「障害者であって障害者でない」「内部障害者」の象徴でもある。


「兵役につく」という義務を果たすことができない「人間になれない」存在である彼は一般の人間の社会にエントリーすることができなかった。生きのびるためにあらゆるビジネスに手をだしてはトラブルを起こした。


最終的にモデルとなった親友は自分のビジネスを確立したあとは、それまでのあやしさはどこへやらで水木はそれを「妖怪にとりつかれていた」を表現していた。


鬼太郎側にある「みえない妖怪」が正義。そして悪である妖怪は「みえる存在」で人間社会でトラブルを起こす。「人間の身勝手」に対する復讐がほとんどであるが、それでも見える化してトラブルを起こす妖怪を「みえない妖怪」は心情的に理解をしめしても毅然として決して許すことがない。


「妖怪が妖怪同士で戦う」ように「障害者も障害者同士」で戦うことになる。


鬼太郎は市民権を得る=人間社会に受容されることによって、当初のおどろおどろしいキャラから人に受け入れられやすい愛らしいキャラに変貌していった。


2.軍人タイプと哲学者タイプ
昔同じようなお題で「ストレス解消法」というものはあるが、
私の場合、二重人格キャラクターなので「軍人タイプ」と「哲学者タイプ」でまったく違う、ということは以下のブログで書いた。


[今週のお題]さとしの「ストレス解消法」 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


で、実際漫画でも違う。


ゲゲゲの鬼太郎を原点として、「妖怪」、「異形のもの」として同じ系譜をついでいるのは「夢やしきへようこそ」「うらめしや」である。


どちらも妖怪ものであり、「異形のもの」たちへの「愛」を欠かしていない。


これを好むのは哲学系である。


一方、エリア88に代表されるように、非常に男男したホモソーシャルな社会、軍人系であるが、「ゴルゴ13」「HEAT -灼熱-」である。
もともとそういう世界がふるさとのような状況なので共感しやすい。
(フィクションなので100%そうだ、というわけではないが)


これは実は私が育った「人間社会」の世界観と似ているために、自己投影がしやすい。


しかし大きな問題なのはそこでも女性的であり、多くの障害をかかえる私は「異形」の存在であるということ。そこでエリア88がかかわってくる。そしてその悩みを吹き飛ばすがごとくに現れたのは「聖闘士星矢」だったわけだ。


厳格なムスリマが顔を隠すように女性戦闘士が顔を隠し、みられたら結婚しないといけない?から気に入らないなら相手を殺せ、みたいな世界観はやはりホモソーシャルな社会である。(イランの女性軍人のように身体の線の露出度がない戦闘服であれば聖闘士星矢は厳格なイスラーム社会でうけいれられたかも?…私の妄想です。)


一方で上記世界観のため、好き嫌いがわかれる作品のようだが基本的に一部の女性も女性タブーのホモソーシャルな男性ONLYの世界観に憧れというものをもっているのではないのかな?と感じることもある。…その分析はやおい社会学的研究をしている方に任せておこう。。。


聖闘士星矢」の美学から、青年漫画の世界に回帰したピカレスク物語が「美悪の華」になる。女性的男性が共感できるピカレスク物語はかなりマイナーな存在なのでたぶん「美悪の華」ぐらい。しかし女性的男性でありながら、あっちのほうがすばらしく立派な優秀なテクニシャンというなんともうらやま…(自粛)、まあ、こんなところで実は私はエロの世界が好きである、ということは自覚できる。(潔癖症だが、むっつりスケベという「おとめ座的性格であることは公言済みである)


おとめ座的性格=>西洋占星術でいうところの男性原理を象徴する火星のおとめ座のこと。皮肉屋、辛らつ、潔癖症がメタファー。


そういうエロスが好き、というところで「ミキストリ」があがり、少ないピカレスク物語で「うらめしや」があがる。


3.その他
長髪男子は原則欠かせない。

やはりどの作品にもジェンダーアウトサイダーセクシャルマイノリティがでてくる。そしてそれは基本的に特別な存在でなく、ひとりの人間としてかかれていること。


やはり古代日本、古代エジプト、アステカ、など古代文明系のストーリーがすき。
こういうものは登場人物の名前や世界観が難しくなるため、メジャーな漫画誌での連載は難しいとされる。


どうも核家族化などの少数人数の人間関係化がすすんでいるせいか、あまり複雑な人間関係だと視聴者が理解不能におちいるのでは?というのは大河ドラマ平清盛」をみていておもう。あれ、久しぶりに好きなドラマなんだけどなあ〜。


やはり登場人物の人口が多い物語が好き。
一方で「ミキストリ」「ゴルゴ13」のような一匹狼ものもかかせない。
自分が基本一匹狼だったからか。


残念な結果。やはり聴覚障害者の物語はゼロ
あえていうならば竹宮恵子の「地球へ…」あれも障害者ものだった。
しかし聴覚障害者はさっさとあの世へいってしまう。
ドラマも中途失調をあつかったものが多く、やはり聴覚障害者はあまりに異形すぎて理解不能、健常者は作品にとりいれるのは扱いにくい題材なのだとおもう。






まあそんな感じです。