FTMの非嫡出子問題におもう その1

2012-03-21 - Anno Job Log
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3月18日のGID学会でこの問題を扱った際には退出していたので、なんともいえないが、FTMの非嫡出子問題」をさわぎすぎだ、とする声に少し感じたことをまとめてみた。


私のキャラが二重人格的なので私のなかでも意見の合意形成はできない。
なので結論はでないで、いつものように「イスラームはどうなのか」で知恵を借りる。



<まず私自身の感覚>
「AIDで作った子供と同じ」という意味では不条理を感じる。
過去の学会で「AIDで作った子供が世間に増えてくるのであれば、父親認定のしくみが変わらないと問題が起きるのでは?」と質疑応答をした際に、


「父に生物学的根拠を求めるのはよい解決策とは思えない」
という回答をいただいた。


なので「父」には「生物学的根拠」はもとめられない、社会的役割のほうが重要だと考えていた。しかしFTMの場合は「生物学的根拠」が100%ないことが明らかである。だから、「推測」が成り立つほかのAID父と違い、父として受理できない、と説明されれば残念ながら認めざるを得ない。「いいかげんなシステムだなあ」という感情は残るにしてもたぶんすべての父の生物学的根拠を明示化することで逆に社会的混乱がおきやすいだろう、ということもあるとおもわれる。


で、当の当事者は裁判はAID父との差別を全面にだして戦っている、というのが私の認識であるが、私の周囲の人の思いは「さわぎすぎだ、なぜ特別養子を行わないのだ」というのが大半である。


そしてもうひとつ指摘がある。
「なぜ非嫡出子で戦わないのか?」というものである。


私がこの問題にタッチしなかったのは「もうおなかがいっぱい、考えたくない」という想いがあったからにほかならない。


理由はこの問題を「過剰な欲の暴走」ととらえているからである。
そもそもいろんないわゆる旧家の伝統的家庭に生まれながら、自身の「障害」ゆえに「異形のもの」として扱われてきた自分としてはまず「普通の人と同じ幸せを」というスローガンに感情的に「はあ?」となってしまう。


「自立して静かに暮らせることでも十分ありがたい話なのに、どのつらさげて『普通の』といえる。あなたたちのいう『普通』は健常者でも到達できない『特権的権利』だということがわからないのか?」とおもう。


まず障害者が「普通に近づく」だけでもかなりの幸運である。健常者でも結婚が難しい。そしてAIDをできるだけの医療費を捻出できない家庭もある。ハンデを乗り越えて結婚までして子をもうける。これだけのぜいたくな幸せがあるだろうか。


だが、どうも近年おもうのは世間的に「特権」を「普通」と勘違いして世間の常識として強要するケースがめだつため、一概に当事者の「わがまま」で片付けることができないとも感じている。


GID当事者はなまじ普通の人と変わらないがゆえに普通の人が強制する「普通」のプレッシャーに弱いと感じるからである。これが厳しい遺伝病をもつなどのあからさまな障害者だと「論外」とされてしまう。逆に「普通に子供をもつこと」で「わがまま」「人でなし」とされてしまう。まあ、責任が「本人の自己完結」にならず、生まれた子供も「戦い」を強いられ、場合によって社会にも負担が大きいからいうことはわかるが、そっちのほうが差別でなくてなんだろう…。


あえてそこを考えてみよう、というわけである。


<私の考え>
思考放棄をしたくなった大きな理由は2つ。


「非嫡出子問題は差別である」という問題へのアプローチであるが、ここの前提条件に大きな問題がある。


私の周囲の人間のタイプは大きくわけて二種類ある。


「非嫡出子問題は差別である」から「AID男性」ではなく、非嫡出子問題とタイアップして戦え、という意見のものである。


彼らの「非嫡出子」のメタモデルは「事実婚によって出生した子供」である。
つまり見た目、両親は日本政府が推奨する「家族」のメタモデル、「お父さん、お母さん、子供」という「核家族」である。


ということは、非嫡出子と嫡出子の間になんら差異がない存在である。


「実子系非嫡出子」としておこう。


そもそも「非嫡出子」の問題は「相続権」だけである。相続分が「非嫡出子」の2分の1であるという「あれ」である。これは「実子系非嫡出子」の場合、遺言でカバーできるし、そもそも養子にしてしまえば「嫡出子」と同じ待遇になる。


だから問題はない。
ではなぜ「非嫡出子」という差別構造があるのか?
ここに重要な課題がある。


その課題を私は「正妻の『利権』」とした。


もうひとつのタイプはその「正妻の『利権』」を守りたいタイプである。
私はその両方の意見を把握している。


この場合「実子系非嫡出子」と違って、確実に差異がある存在である。正妻以外の子供たち、2号さん、愛人、正式な婚姻によらない子供である。そのような母の行動に対する罰則のように「非嫡出子」への差別構造がある。先の「実子系」の場合は「非嫡出子」その当事者の自己責任でありえないから、「差別をやめろ」というわけである。「愛人系非嫡出子」としておこう。


大きな見た目の差は「父親がメタモデルの父親に忠実である=子育てに参加できる地位であるかどうか」「離婚以外で養育費という名目をもつかどうか」だろう…と仮定する。


しかし、先のように「正妻の『利権』」とは表現したが、そもそも「正妻」とそうでない存在に格差をなくしてしまうと一番不利なのは正妻なのだ。


出世欲、向上心のある男であれば、あとから結婚する女のほうが身分その他もふくめてグレードが高いはずだ。あとから結婚する女にとっても「正妻」よりも有利な条件を得ることができる。そうすると「正妻」はわりを食うことのほうが多い。下手したら「使い捨て」である。それに対して「内助の功」に報いるとして設定されたのが「正妻の『利権』」、その中に「非嫡出子」に対する格差がある。そもそも「正妻」が夫の財産を大奥みたいにすべてを管理できないということに問題がある。本当はすべてシャットアウトにするのがベターだが、それだと本当に「生まれた」という以外の責任のない「非嫡出子」への迫害になる。なので「せめて」というのは「相続権」の趣旨だろう。でも「非嫡出子」の突発的出現は現実問題、ライフサイクル、設計が、すべてくるって破綻する原因になるのでできればいないほうがいい。「実子系非嫡出子」はまあ、自己完結しているからいいか、みたいな感覚ではないか?と。


どっちだ?


なにがどっちだって?


法改正に重要な力をもつ人々のメタモデルは「実子系」なのか「愛人系」なのか?


有名人で「非嫡出子」を連想してみる。
私にとって有名なのは3名。


まず君島明氏。改名して君島誉幸氏というらしい。
父とは同居していたらしいが、いわゆる愛人の子、つまり「愛人系非嫡出子」。


有名な西部の堤義明。本妻がいて「愛人系非嫡出子」。


いしだ壱成も非嫡出子かとおもったら、こちらは「嫡出子」のよう。ただ母は離婚した。しかし「隠し子」=「非嫡出子」という連想がでてしまうところから、やはり「日陰の存在」というイメージがつきまとうのだとおもう。


ここでみるに「実子系」の「非嫡出子」は連想されない。


圧倒的に「愛人系非嫡出子」が優勢である。


実際私の現在過去ふくむ友人知人にも「非嫡出子」である当事者がいるが、すべて「愛人系非嫡出子」。


お水系、経済・財界。


「実子系非嫡出子」はいない。


もっとも家族形態の見た目が「普通」なのでカムアウトしない限りまず「発覚しない」というのはある。そこはGIDと同じである。


そして裁判起こしているFTMの方だけど、おそらく「非嫡出子」に対するイメージはそこにあるとおもう。


そもそも「●●であるべきだ」と主張する人の現実はその逆である、という法則があるのだけど、そもそも自分が「FTMである」という社会的にネガティブな存在であるという自覚が強いからこそ、子供を「愛人系非嫡出子」のような偏見にさらしたくない、という思いから「非嫡出子」にこだわるのだとおもう。


それともうひとつ。たぶん上記の理由から「私の常識(つまり経験にもとづく独断偏見)」で判断するならば、「非嫡出子」差別撤廃で戦うのは相当難しいだろう。政界・経済界に強いやつらが「愛人系非嫡出子」のメタモデルで把握しているからだ。


さらに世間の良識、常識ってやつがたぶん「団塊世代」によっているとおもう。「団塊世代」の発想…個人差はもちろんあるが、私の話した限り石原慎太郎とその仲間たち」という感覚がする。そうすると彼らはたとえ自らが愛人経験者であっても「家族のメタモデル」に対する憧れ−というか「核家族」モデルは彼らが発祥だ!−ゆえにたぶん波乱のもとになる「外部の家族」をゆるさないだろう。


「実子系非嫡出子」で「非嫡出子」をとらえている人は「おいおい」という気持ちが強いかもしれないが、ちょっと「感情的プライド」では片付けられない困難さをもっているような気がする。


私自身も長期的利点から個人的には「実子系非嫡出子」で応援したいが、戦う相手が「愛人系非嫡出子」に対して「敵意むき出し」…かあ…みたいな。(どちらの話も子守唄代わりなぐらいしつこく聴いているので…)


30年50年という長い時間かけて戦うなら「非嫡出子」の問題で勝負したほうが社会全体の利益としては「非常に高い」とおもう。


しかし、「問題解決の早さ」を求めるならばまずいえるのは「非嫡出子」問題を保留にしたほうがいいと私は感じる。


障害者だからこそ、あまり政界・経済界を敵にまわしたくないな、というエゴイズムもあるのだけど、ただ、「私の常識」が日本社会のどのポジションにあって、どこまで共有されているのか?ということがわからないのでなんともいえないというのが現状です。


えっとこの偏見は京都文化圏のものらしい。京都文化圏=血統主義、穢れの排除である。かつて某伝統社会のトップの家のあととりとして育てられたのでなんとなくわかるとおもいますが…。なので、たぶん人一倍偏見・差別&区別意識が強い…と考えて差し引いていただいて結構です。(江戸の商家系だと養子、非嫡出子で身分がかわるのはNOプロブレム、なので「なんで『非嫡出子』にこだわってさわぐかわからない。」だそうです。)

ちょっとつづきます。

(つづく)