FTMの非嫡出子問題におもう その2


さて前回。

FTMの非嫡出子問題におもう その1 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り

FTMの非嫡出子問題」をさわぎすぎだ、とする声に少し感じたことをまとめてみた。


もうすこし話をすすめる。


前回の記事では私の考えを以下の2つで表明した。

30年50年という長い時間かけて戦うなら「非嫡出子」の問題で勝負したほうが社会全体の利益としては「非常に高い」とおもう。


しかし、「問題解決の早さ」を求めるならばまずいえるのは「非嫡出子」問題を保留にしたほうがいいと私は感じる。

「30年50年という長い時間」の意図するもの。どういうことか。


<iPS細胞をつかった生殖技術>
昨年2011年8月5日、岡山の実家に帰宅したら母がこんな記事をみせてくれた。
「孫の顔がみてみたい」という。

山陽新聞
■京大、iPS細胞でマウス誕生 世界初、精子のもと作る
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/d/2011080401001161/


■[社説]iPS細胞 ヒトへ応用 議論重ねたい
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2011080809100464/


産経新聞
■ES細胞やiPS細胞から生殖細胞のもと 不妊症の原因究明などに期待
http://sankei.jp.msn.com/science/news/110805/scn11080501080000-n1.htm

これはiPS細胞(人工多能性幹細胞)から生殖細胞のもととなる細胞をつくりだし、それを精子を持たないマウスの精巣に移植、通常の妊娠を可能にした、というものである。

<ほかの資料>
■iPS細胞を用いた生殖細胞研究の医学的有用性
http://www.lifescience.mext.go.jp/download/rinri/es58/es58-05.pdf

東京大学医科学研究所
幹細胞治療研究センター
中内啓光


■多能性幹細胞で作製した生殖細胞に由来するマウスの産出に成功−生殖細胞形成メカニズムの解明、不妊症の原因究明などに貢献−
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2011/110805_1.htm

ES細胞やiPS細胞には生殖細胞を含む他の細胞に分化できる能力がある」


■もう子作りに男子は必要ない!? 「ES細胞から精子が作れるようになりました」by京大http://www.gizmodo.jp/2011/08/esby.html

「今のところギリギリ男子は必要っぽいですね。」

「将来的には腕からとった細胞から子供できるかもね。」と母はいった。


性分化の過程から考えて精子をつくるか、卵子をつくるかというのは元ネタとしては同じものである。今回は雄の細胞を利用しているが、将来的には「性別を選ばない」かもしれない。ということになるとFTMが実子をもつことができる」ということになる。


そうすると以下の4つのパターンがでてくる。


1.AID男性の子供
2.AIDFTMの子供(今回の論点)
3.iPS男性の子供
4.iPSFTMの子供


「1.AID男性の子供」は暗黙的に「嫡出子」で届けることができる。
「2.AIDFTMの子供」は「非嫡出子」でしか届けができない。


「3.iPS男性の子供」は「嫡出子」で届けることができる。
これは生物学的にも実子なので当然。


問題は「4.iPSFTMの子供」。
これは「嫡出子」「非嫡出子」


生物学的にも「実子」なので「嫡出子」だろう。
ところが、「FTMは100%オスとしての生殖能力がない」という前提に立てば、本来生まれるはずがない子供なので「非嫡出子」という考えもある。


つまり生物学的にも実子であるにかかわらず「非嫡出子」というシチュエーションがうまれる。


これは前例がないわけではない。
代理母出産 - Wikipedia


有名な事件は「向井亜紀高田延彦夫妻」のケース。
向井亜紀 - Wikipedia

2007年3月23日、最高裁は、「立法による速やかな対応が強く望まれる」としながらも、東京都品川区の出生届の受理を命じた東京高裁決定を破棄し、受理は認められないとする決定をした[2]。これにより、向井夫妻側の敗訴が確定した。


globe-walkers.com - このウェブサイトは販売用です! - 大野 ザンカー インタビュー デュース 人材 国際 世界 コラム リソースおよび情報


http://pari.u-tokyo.ac.jp/policy/policyissues_bio_7.html
Policy Issues : 代理出産をめぐる議論の現在 東京大学 政策ビジョン研究センター


要するに「実子」であっても生物学的女性である人は実子であっても「自らが出産する」という形をとらないと「非嫡出子」になる。


一方生物学的男性は実子でなくても「嫡出子」にできる。


すごくあいまい、といいますか、おかしくないか?


FTMの場合は実子でなくても「嫡出子」にできるでいけそうだが…という中途半端な状況になっている。


いっそ、実子でかつ生物学的父母の形をとる、ということのほうが判例としてはすっきりするのではないか?


しかしそれは「現実」に即さないだろう。おそらく「生物学的男性は実子でなくても「嫡出子」にできる。」というもの、それ自体が非常に感情的なまさに感情的プライドに基づいた「現実的解決」だ、というのは世の中のしくみをつくっているのは多くは男性である。男性自身が「自分の生殖能力がない」という厳しい現実をクローズにしたがっている、みとめなくないと感じるという現実があるとおもう。


実際問題「生殖能力がない」と医学的に証明されたときに「男性としての価値を否定された」と感じて自らの人生を破壊することに転じたエリート男性もいるという。不妊の責任を一方的に妻におしつけたまま、心身ともに「問題」から逃げようとする男性もいる。特に「不妊」が人生最初の「挫折経験」であった場合にその傾向は強い。


つまり基本的に男性の不妊は「極秘事項」である。


裁判を起こしているFTMへの批判のなかには「極秘事項」をオープンにしてしまったことへの非難も含まれているだろう。GIDの場合は「自己完結」、基本的に「実子をもてない」前提で性別の変更を許可している=すなわちきつい言い方をすれば「断種」が条件、という歴史的プロセスがある。そのためにいわゆる子供をもつGID当事者の性別変更が認められないという世界でも類をみない状況になり(俗にいう「子なし要件」)、そのためにGID問題は過去のものにならずいろいろもめた、という厳しい経緯もある。


そもそも「子なし要件」からなぜ「実子をもつことを是としない」日本政府の意向がよめなかった?


それがよめていればはじめからダメなら特別養子を検討するなどもう少し「大人」の対応ができたのでは?


子なし要件が大前提だったのに、なぜいまさらもめる?男性の不妊は「極秘事項」なのと同様にそっとしとけ、寝た子をおこすな、われわれはもう注目されたくない。


すべての人が同じ感覚をもつとはおもわないが、そういう感じもあるかもしれない。


私が感じた日本人の生殖観が以下のようなものだ。


まず男性の不妊は社会的にあってはならない「極秘事項」である。ゆえに可能な限り「実父」である権威を保障しないといけない。それは生殖の瑕疵を女性にすべて負わせるという残酷なしうちにつながることもある。


一方「実母」は実際に生んだもの、という「母」に対するノスタルジーがほかの民族に比べて強い。そして出産経験と母の役割を完全分離することは許されない。生んだけど「実母」にはならない、というのは「原則的に」ありえないのだ(ほぼ唯一の例外は一人で出産し、赤ちゃんポストにいれられたあと最後まで父母が判明しなかったなどのケース)。ゆえに「代理母出産」がタブーとなる。


ゆえに父には社会的役割をもとめ、母には出産経験、という生物核的役割を求める。


しかしそれは原則的に「健常者」に限定されたルールである。


障害者は「断種」「非婚」が原則である。しかし可能な限り「健常者」に近づく努力もまた原則的に義務である。そして限りなく健常者に近く、かつ中途障害などの遺伝学的なリスクの少ないものから可能な限り「結婚」「子をもつ」などの義務が発生する。「わけありだが結婚OK組」としよう。


逆に「健常者」であっても遺伝学的なリスクが大きいものは忍耐の限り「断種」「非婚」が原則であるが、人間的例外として許されているケースもある。「原則結婚ダメ組」としよう。


私のような誕生時の医療事故による聴覚障害などでは「わけありだが結婚OK組」になる。逆に聴覚障害者でも遺伝系の場合は過去には「断種」が結婚条件だったことがある。このようなケースにはたとえば全身火傷で容姿・身体に著しい障害があるにかかわらず「本人もびっくり」の恋愛・見合い結婚に成功しているケースもある。


性同一性障害はどうか。遺伝上のリスクが高いため、「原則結婚ダメ組」である。だが、「本当に遺伝上のリスクが高いか?」というと証明できないほどその障害は「軽い」。そのため、「まあいいでしょう」という感じで「わけありだが結婚OK組」になる可能性も高い。


つまりほかの障害に比べて非常にデリケートな立場にあるのは性同一性障害の当事者である。「原則結婚ダメ組」なんだけど、「わけありだが結婚OK組」かな、みたいな中途半端な社会的立場である。


なので、健常者と同じように「結婚」「子をもつ」のが当たり前の幸せという前提で権利をさげぶと世間の激しい反感をよぶおそれがある。それが他の当事者への迷惑行為になる可能性がある。


FTMの非嫡出子問題」をさわぎすぎだ、とする声はそういう世間の現実を反映していると考える。


まだ、つづきます。


(つづく)