FTMの非嫡出子問題におもう その3


前々回。

[世間の「動き」に思う]FTMの非嫡出子問題におもう その1 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


前回。
[世間の「動き」に思う]FTMの非嫡出子問題におもう その2 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


FTMの非嫡出子問題」をさわぎすぎだ、とする声に少し感じたことをまとめてみた。
そして過去記事のジョージ・モラレスの課題、@ゴルゴ13「バイオニックソルジャー」の卵子提供によるクローン技術のFTMの「母としての実子」ではなく、「父としての実子」の可能性について書いてみた。


さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


そして日本人の生殖観についてふれた。


そして本題にうつる(おいおい今からかよ)。


前回の記事では日本人の生殖観を次のようにとらえた。

まず男性の不妊は社会的にあってはならない「極秘事項」である。ゆえに可能な限り「実父」である権威を保障しないといけない。


一方「実母」は実際に生んだもの、という「母」に対するノスタルジーがほかの民族に比べて強い。そして出産経験と母の役割を完全分離することは許されない。


ゆえに父には社会的役割をもとめ、母には出産経験、という生物核的役割を求める。


しかしそれは原則的に「健常者」に限定されたルールである。


障害者は「断種」「非婚」が原則である。


ほかの障害に比べて非常にデリケートな立場にあるのは性同一性障害の当事者である。「原則結婚ダメ組」なんだけど、「わけありだが結婚OK組」かな、みたいな中途半端な社会的立場である。

ちなみにジョージ・モラレスの課題のケースは「代理母出産」なのでFTMが「実母」になることはない。念のため。


厳しい反論が多いことは考えられるが、その認識をおさえておかないとおかれている現実に対する認知がずれてくる。現実問題「障害者」に縁談がもちこまれることは原則的には「まれ」である。恋愛結婚であったとしても健常者側の家族との確執がおきるなど問題は多い。結局「わけあり」コーディネートということは実際多い。かなりレベルの高い人物の場合は生殖年齢をすぎている、などである。遺伝病の場合はその親はかなり激しく非難される。


当事者の感覚では「当たり前の幸せ」が周囲の人間にとっては「身の程知らずの人でなし」と認識されたケースも多い。残念な話だけどこれが「現実」である。


当事者同士で自己完結している分には問題はおきていないのだが…。


イスラームはAIDをどうとらえているか>
そこででてくるのが伊東聰の18番である「イスラームは…どうとらえているか」である。


この記事だけにたどりついた人に説明しよう。


「なぜイスラームをもってくる。日本人に関係ない別の宗教ではないか。」


イスラーム自然法だからである。自然法を論理的に第三者が検証できる形で言語化している、かつ人間の考えうる限りの最大公約数の概念をこえて包括、汎用的に検証できるものがイスラームだからである。


おそらくイスラームでかかれている法を日本のケースにあてはめてもまず「おそらくこれがベストだろう」という答えを導き出しやすい。


人間が直感で作った法というのはどうしても誤りをおかしやすい。
誰かが犠牲になることが多い。


そういう可能性を極力考えきった上で最良の法をみちびくシステムというのはイスラームにしかないからである。


イスラームのなかには日本人も仏教もキリスト教ユダヤ教もあらゆる民族宗教もすでにうはいっている。


ただ、問題は世界的に教条主義になって、間違った運用をしていること(たとえばイラン、サウジアラビアなど)、そして日本人がイスラームを採用した場合に「強烈な『べき』論」にもっていって管理主義的に運用してしまう傾向があることである。日本人がイスラームを警戒する大きな原因はそこにある。だか、近年感じるのはそれすら世界的な傾向でゆえにアンチテーゼとして「自由」がさけばれているのだとおもう。


今後の課題だろう。


もうひとつ気をつけないといけないことは、あくまで今私が現時点でわかっていることしかかけない。


本気で知るためにはきちんとイスラームの法学者に質問したほうがいいとおもう。


ただしそれも派によって違うだろう。


で、本題、AIDである。


答えは「NGである」。


くわしい内容が以下のブログに紹介されていたので、リンクをはっておく。

イスラムの倫理と生殖 : 生殖テクノロジーとヘルスケアを考える研究会 [忘備録]
http://azuki0405.exblog.jp/13206386/


生殖補助医療の利用することはOKであるが、夫の精子と妻の卵子に限る。代理出産はNG。子宮の持ち主である母の影響を受けやすいからという理由だ。そして血統の混乱を起こすためにAIDは禁止というわけである。


つまりはじめからAID男性か、FTMか、非嫡出子かという問題はイスラームでは起こりえない。まあ、まず非嫡出子ができるような状況がある時点で「両親」は殺されるわな…。ということは正式な結婚のなかでしか、子供は生まれない前提なのですべて嫡出子である。逆に養子を実子として育てるのはNG。孤児や養子を可能な限り養育するのは人としての義務ではあるが、孤児や養子は彼らの血統があるのでそれを尊重する、というのがルールだ。


では不妊の場合はどうなるか。


妻は不妊の場合は「第二婦人をめとれ」といわれる。第二婦人に生んでもらうと。でもそのためには第一婦人である不妊の妻の承認が必要である。第一婦人、第二婦人の間に差別はない。


では男性が不妊の場合はどうか。


実はイスラームが汎用的というのを知るのにちょうどよい題材が日本にある。


2006年の大河ドラマ、「功名が辻」の山内一豊&千代夫妻のパターンにある。


功名が辻 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia
見性院 (山内一豊室) - Wikipedia
山内一豊 - Wikipedia
与祢 - Wikipedia
湘南宗化 - Wikipedia
山内忠義 - Wikipedia


山内一豊&千代夫妻には与祢という一人娘がいたが、長浜の大地震でなくなる。その供養とときに拾った子供を養子にしたが、彼には家督をつがせなかった。ドラマでは千代が「側室を」というが、最終的に一豊は弟から養子をもらって家督をつがせる。


男性は一夫多妻ができるが、その妻たる女性はそうはいかない。
なので、ほかの男子系から養子をもらう。


イスラーム的な考えも現実的にはそうなっているようだ。


たとえばサウジアラビアのケースで一概にはいえないが、王位継承が父→子、兄→弟になっている。つまり生存している年長者から、という考えのようだ。これならばよほど男子系が滅亡しない限り継承できる。


また最近みたエジプトの話では夫が不妊症、でも恋愛結婚だったのでそのまま結婚を継続していたが、夫の弟が早世し、その妻が連れ子で第二婦人に。夫としては自分の血縁者のあとづきを得た。第一婦人である妻は「この夫でなければ自分も子供が生める」と協議離婚へ。


そもそも男子が早世した預言者ムハンマドの場合も叔父の息子−三女ファーティマの夫、娘婿でもあるが−アリーが後継者として認定されている。生前にムハンマドにとっての「家族」をとわれたときにアリー夫妻を重んじたので事実上後継者認定に近いのではないかな…。その「家族」にムハンマドの妻、アイーシャがはいってないためにのちの抗争につながったという理解をしている…。


ただ、ムハンマドの妻ハディージャのいとこであるメッカの市長になった障害者(視覚障害)のアブドッラー・ウンム・マクトゥームに妻子がいたかどうかは現時点で不勉強なのでわからない。(ご存知の方ご教示ねがいます。)


ほかにもいくつかみてみる。


たとえばFTM説が有名な上杉謙信。彼の後継者は姉の息子である上杉景勝である。なぜ男兄弟からもらわなかったかというと「姉との仲がよく、未亡人救済の意味も…」もありそうだが、有名な兄晴景をはじめ、多くいる男兄弟のほとんどがなぜか子にめぐまれず、唯一の男子は長尾家をついだため、ともみえる。もっとも謙信が気に入っていたのは甥である景勝よりもむしろ姪の夫である上杉景虎のほうらしいので、あんまり男系女系にはこだわらなかったか?もっとも単純に謙信の目からは上杉景虎のほうが優秀な人材だったとみることもできる。


独身主義、という意味では上杉謙信と同じように独身をつらぬいたのは細川政元である。3人養子を迎えているが、まず澄之はまったく細川家との血縁はなく、あとの二名もそのいずれも遠縁、という程度にしかつながりがないようにみえる。


細川政元 - Wikipedia


ただ、実際に「細川家の血筋」ということを周囲が重んじたために、澄之を廃嫡し、それが自身の暗殺という悲劇をまねいたようだ。


有名な豊臣秀吉。最終的に秀頼が生まれたことでトラブルになっているが、姉の子を多く養子に迎えており、後継者も姉の子である秀次である。なぜ弟豊臣秀長の子ではないのかというと秀長自身も唯一の男子が早世し、娘しかいなかったためである。


男子継承優先、養子縁組が厳しくなった江戸時代になって五代目将軍綱吉のケースでも男子が早世、長女である鶴姫の夫である綱教が次期将軍候補であった。が、双方とも死去したために娘婿継承はなくなった。もっとも綱教自身が次期将軍を排出する紀州徳川家の人間であるということも影響しているともおもわれるが。


天皇家では「男子系」を重んじるということで女性宮家の創設に問題をかかえているが、そもそも徳川独裁による安定した社会をつくるために口減らしが必要と考えられた江戸時代以外はあまり女子系か男子系かというこだわりは少ないとおもわれる。


ただしやはり「実子」重視で「実子」が得られない場合はなるべく近い血縁をたどって後継者をさがす、という流れになっているようだ。


また、不妊男性、子がない男性が社会的に不利になるなど非常に肩身の狭い思いを思いをするようになったのも江戸時代から、のような気がする。武家を減らす、というミッションの中でスケープゴードにされてしまったからだ。つまり「社長に実子がいない大企業がつぶれる」みたいなとんでもない話なのである。今風にいうと「実子がなかった」ために失業者が増える、という展開である。実際関係者には「めしネタ」に直結するためにそりゃ不妊男性が差別されてもしかたがないとも言える。戦国時代の有名な前田慶次郎の養父である前田利家の長兄、前田利久のケースもあるが、それはどちらかというと前田利家へのひいきが先にある気がする。


男性の不妊は社会的にあってはならない「極秘事項」で是が非でも「実子」をと奥方がロシアの女帝エカテリーナがかつてそうしたように幽霊話をでっちあげて他の男性と寝る、という展開においやられるのは比較的短い時代のことのようにおもわれる。


ただ純粋に子供がほしいから、でAID等の生殖技術を求める、というのは現在でも世界的な傾向であるが、ただ、江戸期からの「実子プレッシャー」の強さということも考えないといけないだろう。

とにかくいえることはあくまで徳川家という一部の人間のつくりだしたエゴな法が現在でも慣習化してわれわれの「常識」になっているということだ。それは以下に浅はかな人間無視の法であったかは子供がなかった武家につかえていた失業した浪人たちが起こした「由井正雪」の乱でも有名だろう。


次回でまとめにしたいです。(かききからなかったので)