☥ 硝子の楽園 伊東聰 001

世の中にはどうしようもない「クズ」ってやつが必ずいる。たとえやつがばらされようと同情すらできないような、そんな「クズ」がどうしてもいる。しかしそいつが魚の開きみたいにおなかをぱっくりあけて海に浮いたというなら話は別だ。

「俺」こと、真島竜(ましま りゅう)がそんな「奇怪な」事件の「調査依頼」をうけたのは台風もこようかという夏の終わりのことだった。

依頼の内容が飲み込めないまま、とりあえず飛び乗ったのぞみ号「岡山」行きにゆられている「俺」は事件の内容を反芻していた。アナウンスが「新神戸」到着をつげる。目的地まで相生乗換えも考えたがとりあえず岡山に向かうことにした。

相生から播州赤穂播州赤穂からいったほうが近いのだが、ゆっくり事件について考えたかった。「俺」の仕事は交通費をけちられるようなちんけな仕事ではない。遠慮なく甘えることにした。この「奇怪な事件」を飲み込むために。

その「魚の開き」は瀬戸内海国立公園に浮いた。地元の漁師が「回収」した。事件の不気味さはその「遺体」にあった。内臓がぽっかりない。眼球もない。血もすべて抜かれている。腐敗のせいではない。「人為的」に抜き取られていた。

その「仏」の正体が判明したとき、地元は騒然となった。警察はすぐに報道管制を引いた。26歳男性。地元で評判の「ワル」だった。しかもただの「ワル」ではない。日本をさわがせたある事件の容疑者だったのだ。

「いわゆる『少年法の壁』ってやつだよ」。「俺」の相棒コードネーム:シルヴァーはいった。「11年前にあの町で少年のリンチ殺人事件があった。殺されたのはその容疑者の一人だったのさ。当時15歳。ゆえに刑事裁判をうけなかった。」

「で、彼は重要な役割ではなかったんで、少年院にしばらくいて。で、よくある話で少年院をでたものの転落人生でまあ、いわゆる『裏社会』の仕事で食いつないでいたってわけさ。地元の有名な『クズ』さ。殺したいやつは多いさ。」

「で、問題はそこじゃないんだろう?」「俺」はいう。「たぶんな。マスコミじゃすわ敵討ちだと『裏社会』のという話だったが、警察の調べでは11年前の事件とも関係なく、『裏社会』でも該当する『動機』がないそうだ。」

「で、ないと『俺たち』に仕事こないだろう。」「ああ」珈琲を運んできたシルヴァーがいう。「『裏社会』のどうのこうのというのは世間に対する『建前』だ。実はもっとやばいデリケートな話がある。そこで『俺たち』の出番だ。」

「岡山〜岡山〜」。アナウンスが終点到着をつげる。山陽本線ののりつぎまで18分ある。あせることはあるまい。しかしでかい駅だ、と「俺」は思った。西日本は中国地方の中心地はここから先の広島になるが、駅は岡山駅が大きい。

岡山駅の在来線が6つ。鳥取・島根など北へ二本、四国にわたる瀬戸大橋方面の南、東へ「姫路」これが二本、西へは「広島」。「俺」は「姫路」方面に戻る。二本あるうちの一本「赤穂線」を使う。山陽本線は山へ、赤穂線は海へ向かう。

1時間ほどゆられて「俺」は目的地についた。地元の子供だろうか、釣竿をもってきゃっきゃと降りていく。駅をおりたらそこは海だった。そこから島に渡ることになる。目の前にフェリー乗り場がある。「俺」の行き先はない。

船をチャーターしてあるのだが、約束の時間までまだ間がある。というか、早めにきて地元の「感覚」を把握するのが「俺」のマイルール、いや「俺」と同じ稼業の人間なら同じことを考えただろう。今日は土曜日。ある博物館へ向かった。

壁一面が備前焼におおわれたこの博物館はいわゆる郷土博物館とは違った。なぜここにマヤやアステカの考古学美術品があるのか?チャクモール像とよばれるメキシコはアステカ文化の人身供養の供台をみながら「俺」はぼんやりと考えていた。



「岡山って不思議な土地で、地元の名士が文化的科学的活躍をすることが多いんだ。たとえば岡山には古代エジプトを扱う美術館が3つもある。岡山、倉敷、そして北部の高梁だ。すべて同じ倉敷の名士大原氏の親友が収集したものだ。」

「倉敷の美観地区だよね。、文化財保護法重要伝統的建造物群保存地区の嚆矢となった…その大原さんの遊び人の三男坊のが社会活動にめざめて活動家になった、みたいな。」「くわしいじゃないか、お前にしては。」

「たしか『石井十次』という社会福祉活動家に感銘をうけたとか。」「そう」「で、病院建設から農学、生物工学…」「そう、で問題はその『石井十次』なんだが…。」と、シルヴァーは言葉をうけた。「はあ」

「岡山は『福祉』発祥の地であり、日本の三大医学発祥の地だ。東京の小石川、長崎、そして岡山。緒方洪庵天然痘治療からはじまる。その関係で病院も多いし、実験的な医学研究もやりやすい。今回の事件。どうも医学実験がらみではと。」