☥ 硝子の楽園 伊東聰 007

※イメージです。元ネタは萬翠荘 愛媛県松山市 http://www.bansuisou.org/


「仕事中」だというのを忘れそうなほどすがすがしい朝を迎えた「俺」は窓から見える瀬戸内海の青い景色を眺めていた。思わず「敵陣」の真っ只中、ということを忘れてしまいそうだった。そうここは浦神医師の自宅。

「おはようございます!!!」。後ろからバサッと袈裟懸けに切られたか!と思うほどの大きな声に「俺」は思わず飛び上がった!まったく、余計なことを考えるものではないと恐る恐る振り返ると「ダルマ」を思わせるような風貌の男がいる。

「先生にいわれて朝食をもってきました!増野太一(ますのたいち)と申します!以後お見知りおきを!」「俺」の返事を待たず、そそくさとワゴンから食事の準備を始めた。その腕をみて「俺」はさらにぎょ!となった。大小に花開く「墨の華」。

それは増野太一という男がいわゆる「かたぎ」の男でないことを示していた。「やくざの親分保護事件」…いや、もともと浦神医師は好ましい世界の人間ではなかった。。。そんな動揺をかみつぶして「俺」は「ダルマ男」の所作をみていた。

「コーヒーいかがです?」ダルマ男が声をかけてきた。「あ…あ、ああ、あそうだ、砂糖もミルクもいらないから」「俺」は答えた。給仕よろしく朝食のセットを終えると「では失礼します!」と勢いよくドアを閉め、ダルマ男はさっていった。

「太一!ここにいるの?」バタンと再びドアがあき、「俺」は熱いコーヒーをこぼすところだった。小学校4年生ぐらいだろうか、少女が一人とびこんできた。「あ…」。来客を知らさえれていなかったらしい、少女は固まった。

「俺」も少女をみて一瞬目のやり場に困った。とてもかわいらしい少女だった。だが、髪がなかった。眉がない。よく見ればまつ毛もない。「異形の少女」だった。「太一!腕のお花がみえてるよ!ひなた!ひなた!お客様がこられているのよ!」

「俺」の窮地を救うかのように「女」が入ってきた。少女はさっと女の影に隠れた。「ひなた!お客様に『あいさつ』したの?」少女は隠れたままでてこない。「すみませんね、ひとみしりが強いもので。」「女」はほほえんだ。

「俺」の窮地は続いていた。「女」…だよな?体型はよいようだが、肩幅、骨太、何よりも俺を動揺させたのは「女の顔」だった。ナポレオンフィッシュ、そう、インド洋に住むベラのなかま、あのモアイのような魚の顔。「女」はそれに似ていた。

「新宿でみかける彼女ら、いわゆるニューハーフだよな。。。」という結論に達したときに「俺」の動揺はおさまった。「いえいえ」。「すみませんね。今朝先生忙しくてね…。驚かせてしまってすみませんね。」女はいった。

「すみませんね、ちょっとバタバタで。」浦神氏が入ってきた。一人の外国人医師をつれている。「昭子(しょうこ)、悪いけどひなた連れてちょっと席を外してくれないか?紹介するよ、彼はサファイアン。イラクからの研修医だ。」

研修医までうけいれていたとはおもわなかった。シルヴァーからの情報にはなかったことだ。「真島くんも聞いていると思うけれど、この診療所ができたのは変わっていてね、イラクの患者の受け入れからだ。彼も形成外科の技を学んでいる。」

「長いこと一人で頑張ってきていたけれど、やはり限界があるんでイラクから医師をうけいれて研修させて母国に帰って活躍してもらうことにしたんだ。サファイアン、彼は若いけれどそれなりの実力者だと思うよ。」

「朝から相手ができればよかったのだけど、昨日オペがひとつあってちょっと厳しい状況だったんで今朝はその様子をみていたんだ。それで急きょ太一や昭子に朝食の用意とかを頼んだのだけど、驚かせてしまって。」

「太一くん!」浦上氏は先のダルマ男をよんだ。「はい、先生なんでござりましょう」まるでアニメの登場人物のようなセリフでダルマ男はあらわれた。「私が相手できないときがあるからなにかあったら彼に。簡単な頼みごとならわかるから。」

「ご察しのとおりで全身に『墨』あるけど、足洗ったやつだから。悪いことできないやつなんで心配しないで。」ダルマ男がくったくない顔で笑っている。 年のころは浦神氏より4、5歳上だろうか、年に似合わぬ幼い顔にそれはうかがえた。

「昭子さん」浦神氏は「ナポレオンフィッシュ女」をよんだ。「昭子さんは本当はここの『患者さん』だったのだけど、今は社会復帰のためのリハビリという名目でいろいろと手伝ってくれている。一応看護師免許もっているので。」

「昭子さん、ひなたを紹介することできる?ちゃんと紹介しておいたほうがいいと思うんだ。」「大丈夫だと思うけど。ひなたー。」帽子をかぶり薄化粧をほどこした先の少女は顔をだした。

おや、なかなか将来が楽しみな「美人ちゃん」だ、とそのとき浦神氏がいう。「私の『娘』です。」「え?」独身ではなかったっけ?「また先生こんな冗談を」昭子の突っ込みに「俺」はほっとした。あははと浦神氏が笑う。

「陽菜(ひなた)と申します。」少女のあいさつをはじめてきいた。先のおびえた表情はどこへやら、少女は天使のようにほほえんでいた。「さて朝をかるく食べてから真島くんを島内に案内するよ。」浦神氏がいった。