☥ 硝子の楽園 伊東聰 013

「正直な話、『どうしよう』と思いましたよ。けがをした時の記憶って全くないんですよ。気が付いたら包帯だらけでしょう?大変なことになったという自覚はある程度あったんですが、いざ『現実』を目の前にするとねえ。」浦神氏の自宅。

束の間のブレイクタイムに「俺」は浦神氏のインタヴューを行う。意外なほどに気さくに答える浦神氏。ときに自虐ギャクかましてはけらけらと笑い転げる。それはその「受傷」が彼にとってすでに「重いイベント」でないことを示していた。

「熱傷治療も技術が進んでいて、まあなんとかここまでもってきたんだけど。」「え、自分で直したんですか?」「部分麻酔使えないと限界はあるよ。鼻がなくなったりして大掛かりな形成が必要だとややこしいけど、幸い鼻は残ってたし。」

「いわゆるイケメンで知られててそれブランドにしていたもんだから、一時はがっくりきて。しかもまああのころの態度からみたら仕方がないのかなと思ったけど、この『不幸』に便乗してさんざん攻撃されましたからね。」

「でもね、不幸中の幸いってちゃんとあってね、私の場合はまず両目が見えること。それを両手が使えること。私の自慢はイケメンもそうだけど、形成外科の技術。そのためにはこの器用な手先と目。それが無事だったことは幸せなことだね。」

形成外科でも美容外科でも技術力の格差がでやすい体の部分どこだと思います?顔なんです。よく有名な美容外科の先生が自分の顔実験台にテストしたって話聞きません?賛否両論あれど美容外科の医師はイケメンに『なる』ことが重要です。」

「その場合、ちょっとしたいわゆるプチ整形ならためせると思います。しかし、顔の形を変えるほどの大掛かりな整形となるとさすがに自分を実験台に、とはいきません。顔の整形は非常にデリケートなんです。」

「技術力をあげる、維持するためには執刀数が必要です。もちろん執刀数がそのまま技術力に比例するわけではないにせよ、やったことがなければ非常に危険なオペになります。まず顔には神経、筋肉、皮膚の複雑な関係性があります。」

「顔は人間のアイデンティティをつかさどる重要な場所なのに常に外界にさらけ出しているから私の傷ほどは極端としてもトラブルが起きやすいのです。目、鼻、口まわりの傷が原因で皮膚がひきつれたりして機能障害がでることもあります。」

「皮膚の傷で大事なことがあります。『傷』ってちぢむんですよ。瘢痕収縮(はんこんしゅうしゅく)というのだけど、皮膚よりも固い。それがいったん収縮するとまた手術する以外方法がない。でも中途半端なオペをしたらまたちぢむ。」

「また顔面で神経や筋肉がバランスをとって機能しているので解剖学的知見が未熟なままオペしたら神経の損傷で取り返しのつかないことになります。一度メスをいれてしまった肉体は元の形には戻せない。『不可逆(ふかぎゃく)』なのです。」

「そういうわけで美容外科は多しといえど、顔面までの経験の多い人は少ないです。私の場合、『たまたま…』なんですよね…。何も考えずにただこれからは美容外科の時代だと開業した身なので医業そのものについてはぜんぜんなんですよね。」

「よくマスコミにたたかれてましたね。」「そりゃそうだと思いますよ。自己陶酔の塊でしょ。でもどうでもよかった。そんなこと。医者という看板で華やかな世界で有名になる。自分の腕でセレブ達を磨き上げる。それが単純に楽しかった。」

「一番ショックだったのはそんな世界から追い出されたように感じたことかもしれない。二度とあそこへ戻れないのかと。それは私の美学には反していた。自分が許せなかった。なのでなんとかしようと。今の結果は『想定外』ですけどね。」

「だれかの紹介でIQ国の要人を受け入れたことがきっかけですか。」「ええ。まだ自分が治療中だったので最初は断ったのですが…。」「その少女の傷をみて受け入れた。」「ええ。傷の状態から早めに対処しないと大変だと思ったので。」

携帯電話がなった。「ちょっとすみません。」浦神氏のものだった。表情がさっとくもる。よろしくない人物からの電話のようだった。「え?桟橋?もうきてる?みんなでかけてて人手がない。前もって連絡くれないと困るよ。今いくから。」

「真島さん、すみません、『急患』です。太一も昭子さんも今町に行っていないので手を貸していただけますか?」「俺」は浦神氏について桟橋に向かった。桟橋の泊まっていた「場違いな」クルーザーに「俺」は驚いた。「お忍び」できたのか。

クルーザーから人影がでてきた。「また『あの男』か。」火傷の傷で表情がわかりにくいがあきらかに浦神氏は「不快感」を示していた。「まあそんな怖い顔するな、『お得意様』じゃないか。」その空気を無視しているのか「男」は答えた。

「容体はどうなんだ?」浦神氏がきく。「一応『薬』で痛みを抑えている。一時は大出血して大変だったが、今は落ち着いている。」「そう。輸血用の血液はあるのか。」「念のために。ほかの医療材料も。」「そう。」浦神氏は船に乗り込む。

「真島さん、ちょっときてくれるかな。『処置室』まで彼女を運びたい。」船に乗り込んだ俺の目に飛び込んできたのは、いわゆるキャバ嬢だろうか、20代前半の女の子だった。大出血したとの話どおり顔色が青い。「『秦野』、お前もだ。」