☥ 硝子の楽園 伊東聰 019
いつもの微笑みで浦神氏がならぶ。「みなさんのところに行かれないのですか?」「実は人のなかは苦手なんだ…」「…」「このクッキーは昭子さんの手作りでね。いわゆるアッパー系『合法ハーブ』配合です!」「え!」「シナモンです」「あ」
「まあ薬物なみの効果でるほど食べたらトリップする前おなかこわしてトイレひきこもりですけど」「はは」「『あぶない薬のひとつだと思った?」「いえいえいえいえいえ」はははといたずらをしかけた子供のように笑う。「なんだ…はは…」
「昭子さん、ここが好きみたいですね」「そうだね」「ここを大切に守っていきたいといってました。今日農園作業あるからみてきたらわかると」「そうか…」「ほっとするよう場所ですね。なにげない平凡な日常がこんなにほっとするとは」
「そうか…」浦神氏は微笑む。が、微笑みに隠そうとした悲しそうな瞳を「俺」は見逃さなかった。浦神氏は視線を農園のほうに移す。「硝子の楽園…」「え」「俺」は浦神氏の顔をみる。「硝子の楽園にすぎないんです。ここは」
「硝子の楽園?!」「そう、硝子のようにきれい。美しい。だけど、なんかの衝撃であっけなく砕け散るはかない世界」「?」ふっ、と浦神氏が自虐的に笑う。「この楽園『永遠』には続かないんですよ。たしかに美しい。だけど虚構の世界です」
「虚構の世界?」「俺」は浦神氏のいうことがわからなかった。「真島くん、彼らのような人間が苦労する第一の問題ってなんだと思います?」「え、苦労する第一の問題…ですか?たくさんありすぎてよくわからないけど」
「『場所』を選ばないということです」「場所…」「どこにでもいるんですよ。彼らのような人は。先天的障害者も事故や事件、災害に巻き込まれた後天的障害者もどこにでもでてくるんですよ。なのにほとんどが地域社会を追い出される」
「ひとつにはうけいれる病院がない、いうのが大きいです。もうひとつは受け入れる学校がないという問題にも直面します。そして社会人になればうけいれる職場がない。なので地域を離れて『流浪』するんです」
「幼少のときから地域社会を追われて存在すら認識されていない人もいます。そして施設を転々とするんです。それでもまだいい。『障害認定』されている人はまだ国が守ってくれる余地がある。問題は障害者でない障害者。昭子さんみたいにね」
「太一だってそうだ。ひなたもね。昭子さんはみてのとおりニューハーフ、でもそれは結果であって本当は性同一性障害。男から女になりたいではなく、女だと感じてる。だから『職業人』としてのニューハーフとしての扱いに耐えられなかった」
「昭子さんね、静岡県の水産業の盛んな都市で生まれ育ったんだそうです。漁師の息子だったそうです。漁師の男社会についていけず、自分のセンスをいかして看護師の仕事についたものの地元の病院では適応できず、東京へいったとか」
「周りがとめるのを振り切って上京して強引に性別を変えてしまった。当然実家からは絶縁され、小さな町でトラブルメーカとして有名になってしまったんで帰れない。でも性別変えればなんとかなると思っているうちは頑張れたんだそうです」
「ところが性別を変えたら幸せになれると思っていたらダメだった。ある病院に『女性』で就職できたと喜んでいたらそうではないことがわかって。ことあるごとにいじめられたといってました。トラブルメーカーだからと解雇されて」
「仕方がないから『元男』であること許されるニューハーフの世界にいったら、彼女、生真面目堅物でもともとエンターティメント向いていない、『美人じゃないから』といじられ役やらされて。最後にはあんた男に戻れでやめさせられて」
「最終的には『生きる手段』としてニューハーフの風俗界に入った。でもコミュニケーションも下手だし、若くなくなっていくことで将来の不安もあったんだろうね。とうとう抑うつ状態になってしまい、うちにきたわけ。」
「まあそれ自体が『悪いつながり』の紹介ではあるけれど…昔オペしたニューハーフの紹介だけどね、悪いつながりといってもね、悪いやつらじゃないんですよ、やっぱり心配だったんだろうね、ここでなんとかなればと紹介したんだろう」
「見たけどね、やっぱり無理。彼女の思うようにはならない。でも彼女すごくまじめで気立てのいい子でしょう?わかってくれて拾ってくれる人がいると思うんだ。昔は肩に力はいりすぎてトラブル起こしたかもしれないけど。いい子なんですよ」