☥ 硝子の楽園 伊東聰 020

「だけどやっぱりこわいんだろうね。そのままここにいついて何年になるだろう。もうすっかり『婦長さん』としても凄腕になっているでしょう?」「婦長さんですか」「まあいっぱい助けられてます。でも」「ここからは足を洗うべきなんです」

「足を洗う…べき?」「そう。一般社会じゃないんですよ。ここは。非常に特殊な世界です。問題は長く続かない、もろい世界ということです」「え?!」「ここね、私ひとりの『腕』でもっているんですよ。それが第一のリスクです」

「ここの問題は事業を継続する『後継者』がいないということです。私になにかあればこの島は『終わり』なんです」「終わり?」「ええ、終わりです。ほかの施設のように法人化してほかの人間を養成するということはここではできないのです」

「?どういうことだ?」「ここは私のふるさと、でも私も昭子さんと同じですよ」「同じ…」「そう、私は浦神家の当主。でも親族からは嫌われています。私にはあととりはいない。私が死ねばここはほかの親族のものです」

なんかとんでもない話を告白された。「俺」の脳みそがついていかない。「え…と、なぜに『死ね』と思う親族が?」とんちんかんな切り返しになったかもしれない。浦神氏が笑う。「私『ワル』だったって事前調査していなかったけ?真島くん」

「生まれた時からあととりになることが決まっていていろいろ与えられておきながらそれをかさにきてさんざんやりたいほうだい。親が金で握りつぶした話もいっぱいありますよ」「へえ」「そのときに悪い友達もたくさんつくってややこしくて」

「太一は『贖罪』なんです」「え」「あいつをやくざの世界にいれてしまったのは『私』なんです」「え」「太一はおさななじみなんです。私子供の時から太一を『子分』としてつかっていたんです。ぱしりとして。いじめたこともありました」

「もちろん太一のほうが私より目上です。でも見ての通り『障害』がある。ものすごく素直なんですよ。命令には従うし、どんなにひどい目にあわせても彼は私についてきた。そのまま一緒に東京につれていってしまったのです」

「太一の両親は私の悪いうわさを知っていたので、どうしても私と別れさせたかった。だからさんざん太一をせっかんした。それもあって太一も『親から離れたい』と思って医学部入学した私にむりやりついてきた」

「私も本当にひどい男でね、なんで太一は私に従順だったと思う?」「…」「太一は私に従順なのは障害者にありがちな『動物的本能』です。わかりやすいアメとむちですよ。太一のような人にはそれが一番効くんです」

「『障害者』は自分が弱いことを知っている。だから『強いもの』に『守って』もらおうと考えるんです。強いものってどんな人かわかりますか?暴力にたけている男です。わかりやすいでしょう?暴走族のヘッドとかやくざの親分とか」

「ではなんで一般社会の人とはつきあえないのか?わかりにくいからです。強いのか、守ってくれるのか、何を考えているのか、何が白で黒なのか。一般の人は『あいまい』じゃないですか。相手の意図がわからないから仕事ができないのです」

「太一にとって私は強い男だった。でも大学入学ではなれてしまった。それで別の強い男を求めた。暴力団の組員になった。そこで自分もつよくなりたくて『墨』をいれた。やくざの仕事をしてムショに代理ではいったこともある」