ハトシェプスト&トトメス3世に会ってきた


エジプトでの引きこもり生活にまいってふと思いついた。


「そうだ、エジプト考古学博物館へ行こう」。


エジプト4回目なので考古学博物館はしょっちゅういっていた。
けれども今回の目的ははっきりしていた。


「ハトシェプストのミイラに会いに行こう」。


V2のブログ&旧HPを見ていた人にはわかるのだけど、私にはこの古代エジプト唯一のファラオであるハトシェプストには特別な思い入れがある。


ハトシェプストがいたからこそ、今の私の人生がある。このファラオなくしては私の人生、いや生命すらなかったのでは?と思うほどの私の人生では重要なファラオである。


ゆえに大学はエジプト考古学の研究者になろうと切磋琢磨していた。
卒業論文にはハトシェプストをテーマに選んだ。
だが、世間には改造人間ゆえの難しい諸問題が多くあって、結果考古学研究の道を断念せざるを得なかった。


今考えると若さゆえの浅さというものはあったと思う。
ファラオになりきれなかったハトシェプストに歯がゆさを感じていたその当時は人間のアイデンティティが当事者個人では成立できないということを知らなかった。


人間はその歴史社会の枠からは自由になれない。


個人がいくらそうだと思っていても、まず社会システムが大きな「障害」として立ちはだかる。
社会システムの障害を取り払ったところで今度は生物学的な「障害」として立ちはだかる。
社会システムと生物学的な差異。
社会システムを扱うのがいわゆる法。
社会のしくみをつくるのは「立法」からはじまる。


そして生物学的な「障害」を解決できるほぼ唯一のメソッド。
これが医療。


しかし人間がつくったメソッドは所詮神の手を超えることはできない。


どうやったら生きられる?障害を恥じて自ら死ぬこと許されない、生きることも許されない、一生を心の屍として生きるならばなんのための私の命なのか。
ハトシェプストが解決した/できなかったものからどうやって?


結果的に10年かけてハトシェプストよりも自分が生きやすい状況をつくってきたと思う。

今でも友にいわれることがある。


「医療・法学系の研究をしているときよりもハトシェプスト、そしてトトメス3世のことを語るときの表情が輝いている」と。


そうかもしれない。


はじめてエジプトに来た1995年には館内の写真撮影が許されていた。


で、トトメス3世の彫刻の写真を取りまくった。


エジプト第18王朝前期、ファラオの姿は理想化された女性的な姿で作られていた。
ルクソール博物館にある、少女と見間違えるようなトトメス3世の美しい姿は有名だ。
理想化されているとはいえ、美青年からメタボ?と思うような恰幅のいい中年男性に代わっていくトトメス3世の姿を写真で確認するのは非常に面白かった。


13年以上がすぎた今回はちと違う。


2006年にハトシェプストのミイラが発見されたというニュースがかけめぐった。
発見されたというよりすでに「もしかしたら?」という形でミイラ自体は発見されていた。
だが、それを最新医療・科学技術で「このミイラはたしかにハトシェプストである」という特定がされたのだ。


そのミイラがミイラ室に展示されているはずだ。


「会いたい」。


その思いで出かけていった。


ちょうど2008年11月に料金改正がされていた。
入場料は60LE、ミイラ室は100LE。


ミイラ室はもうひとつ増設されていた。


ひとつはトトメス、ラムセスの一族。
もうひとつは第20王朝のラムセス一族。


まずミイラ室の入り口で迎えるのはハトシェプストの乳母、インのミイラ。
■イン(In)
ハトシェプストが女王=女性ジェンダーであるというイメージが強いせいか、彼女のミイラがハトシェプストとして紹介されているサイトもあるが、「ハトシェプストの乳母」である。ハトシェプストのミイラは乳母であるインの墓で発見された。


■ハトシェプスト
インのミイラのとなり(奥)に眠るのがハトシェプスト。170cm近い大柄な人という伝説は小学生のときにきいていたが、たしかにミイラが「女性としては大柄」。正確には165cm。であれば多分生前はたしかに170cm近かっただろう。ほかのトトメス一族の男性たちにひけをとらない。印象としては「豪快」という感じだな。でも本当にミイラ失われていなくてよかったと思う。もちろん手ががりとなった歯が入っている箱も展示されていた。


■セケンエンラー・タア2世
インのミイラの右手となりにある、「キャプテンハーロックをミイラにしたらこうなる?」と思う容姿で苦しそうな顔をしているのが17王朝末期のファラオ、セケンエンラー・タア2世。当時の外来の王朝ヒクソスとの戦いを宣言した王。きっかけは聖獣であるカバを殺せとヒクソスの王に命令されたことでレジスタンスを決意したといわれる。で、結果がミイラから想定されるとおり。

レジスタンスはその後、息子のカーメス(兄)、最終的にアハメス(イアフメス、弟)によって完成され、第18王朝が始まる…。
カーメスも殺されたらしいし、アハメスはルクソール博物館にミイラがあるそうだけど、30代の若死。
この時代の話で個人的に心を痛めたのはアハメスの娘とされる体の大半を失った幼い王女サトアメン?のミイラの話。
動物に食われたらしいが、王女という立場のものがどうしてこんなことに…と。

とにかくそういう時代だったのだろう。


■アメンホテプ1世
ミイラケースにはいったまま展示れている。供え物のはな飾りとともに。


■トトメス1世(?)
なぜはてな「?」が、というとどうも違うらしい。ハトシェプストとの父子関係が証明できなかったらしい。ハトシェプストの血縁関係は祖母であるアハメス・ネフェルタリとの関係で特定された。
それだけだと血縁のない(!)父子関係という可能性があるため、否定することができないのだが、ミイラがトトメス1世の死亡年齢50歳にくらべてあまりにわかすぎる(30代)というのもはてな「?」の理由らしい。発見されてもってくるときに棺にめちゃくちゃにいれた可能性があって彼はトトメス1世の棺に入っていた。しかもポーズがファラオじゃないよな…。トトメス一族の一人であることは確かなんだが、もしかしたら若死にしたハトシェプストのほかの兄弟(ワジメス、アメンメス、ラムセス…)かもしれない、と勝手に想像。
もうひとつトトメス1世候補のミイラがあってそれは今研究中らしい。


■トトメス2世
ハトシェプストの兄弟&夫。これは13年前にもあった。若死。
しかし…トトメス一族って若はげの系統? -> いってはいけないことを…。(ミイラ化したあとにはげる場合もあるらしいが…)


■トトメス3世
まさかまさかまさかの「彼」に会えるとはおもわなんだ。トトメス3世です。発見当時にばらばらに折られていたので、13年前には展示されていなかったのです。うわーうれしい!しかもこの一番古代エジプトでクライマックスの時代のファラオの勢ぞろいはすごいなあ…。写真でミイラを見た感じとは少し印象が違っていて…。やはり実物にあうのはいい。やはり「末っ子系統の顔だよな」=>牛若丸系=甘え上手といおうか…。


■アメンホテプ2世
彼もここにいるとは思わず。最初トトメス2世と思って通り過ぎて、別にトトメス2世がいるのを発見、「あれ?なぜあなたここにいるの?」と思ってしまった。自分の墓で眠っているはずだったのだが、保存の問題かな。しかも写真集と顔が違う。トトメス系なのだが…。「顔整形した?整えた?」みたいな。(ミイラの顔整形してどうすんねん!)写真でも見たトレードマークのウェーブかかった髪と濃い眉毛と長いまつげ&口元の変形が実物ではあまりはっきりでていなかったように思う。


■トトメス4世
これも13年前にあった。一番顔が整っていて今風。血縁が少し遠いとは聞いていたが、トトメス系だけどストレートヘア。


■ラムセス2世
おなじみのラムセス2世。トトメス系とは違うね。


■メルエンプタは
この名前、実は王子時代の名前で即位名は不明だそうです…。しかしいつみても白いミイラはきになりますね。やはり海で溺死?


実は2つ目のミイラ室はあるとは知らず、「王妃たちのミイラが〜」と思ったが、2つ目のミイラ室にあった。


■ラムセス3〜6世
有名なラムセス3世のミイラをはじめとした20王朝のミイラ。

■王妃たち
30歳で若死にしたかな?と思う見事な編みこみのロングヘアの王妃からほとんどの本で棺を紹介されるマアトカーラー、それから王子&将軍のミイラもあった。


<感想>
いや〜すごくよかった、ミイラ室に居座ってしまった。古代エジプトもので漫画描くときはやはり壁画アンド「王家の紋章」のメンフィス王の影響でストレートロングにかく癖がある。中学生のとき昔その絵をみてアメリカ人のエジプト人が「男性の髪が長すぎるなあ、これだけ長いのは子供時代で普通は長くても肩ぐらいだよ。」といっていた。たしかにミイラをみていると30代、40代は髪があって(しかも長め、ラムセス2世は別)、50代以上だとスキンヘッド。で、これをファラオの地毛は…と研究していた人もいるらしいが、結果「ファラオ個人の趣味で、『こうあるべき』というのは基本的にはなかった」らしい。時代のはやりとかはあるだろうと思うし、それによってミイラの時代を特定しようという研究法もあるらしい。


あと個人的に。


アメンホテプ3世と思われていたひどくいたんだミイラが実はトゥトアンクアメン王の次のアイ王ではないか?という研究もあるらしい。因果応報というのがあるのかな…。もしもそのミイラがアイだとすればティイ王妃(妹)ネフェルティティ(娘)との関係も特定可能では?ただし、楊貴妃みたいに養子養女があるとDNA鑑定は意味を持たないし…。


一応ネフェルティティとされているミイラはキヤ夫人の可能性があるともいわれているが、ネフェルティティの娘の一人という可能性はどう?とか。サッカーラでネフェルティティの妹とされるムトノジェメトのミイラがあるなら、それと特定は?とか。いや、でも実は妹でない可能性がとかややこしいのだよな。


あと18王朝最後の王、ホルエムヘブなのだが…。「破壊された」と考えるのが一般的だけど、もしかしたらラムセス1世のミイラとともに「海外にでていないかな?」と思う。彼は豊臣秀吉のように血縁者なし状態なので特定は難しいと思うが…。


いろいろ考えて楽しかったです。


また行きたいですね。


ちなみに常設展示等ですが、パネル展示はCGもあってさすがに13年前とは代わっていましたね。
特別展示とかも日本のようにやるのだろうか。


 ■リンク
XVIII'th Dynasty Gallery I
http://anubis4_2000.tripod.com/mummypages1/Early18.htm

ミイラ集です。ハトシェプストの話が反映されていませんが…。
主だった説明はここにあります。