2008年の総括


2008年年はむちゃくちゃな年だった。


いや、なんとしてもエジプトへいくという気持ちで必死だったために正直なところ「むちゃくちゃな年だった」という自覚はまったくなかった。


だが、エジプトへきて自分を振り返る時間ができたときにはじめてそのむちゃくちゃさに気がついた。


なにせ、まともにIT屋としての仕事をした、という自覚があるのが2008年2月のJAVAによる開発、そのときより10ヶ月が過ぎている。


10ヶ月何していたの?俺。というところ。


しかも4回職場を変わっている。
いくら傭兵稼業でもこれはあきらかに「異常」。


さらに「身をきれいにする」という発想がことごとく裏目にでた年だった。


突発的契約終了、派遣きり。


4月ごろのサブプライムローンの影響から、8月まで続けるはずだった仕事が4月で終了。
しかも身をきれいにしようと払うべきものを繰越で払っていたために貯蓄はエジプトへいくには足りない状況。


4ヶ月しかないと仕事そのものがない。
3ヶ月で募集をかけているものでも実は「延長希望」があるからだ。
日本にいられる期間そのものがハンデだった。


やむなく9月出発を12月にのばしたのである。


契約は年内だった。


今度はリーマン破綻。


12月末終了の契約が突然の契約やり直しで今度は11月末に。


年末でとっていた切符を12月初旬に日付変更する。


そしたらタイのクーデーター。
飛行機が予定通り飛ぶかどうか。


ことごとくいろいろなことが起こり、「前もって準備をしておく」ということがまったくできなかった。
準備をしてもいろいろなことがころころ代わるからその変更に対する対応に追われてしまうのだ。
これでは勉強にも集中できない。
「なにがなんでも日本にしばろうとする【見えない力】から逃げ出そう」ということしか頭に浮かばない。
最終的に「とにかく何がなんでもいく」に集中して、日本を飛び出したのである。


おかげさまでいろいろなものを日本に忘れている。
やり残したこともたくさんある。
思い残したこともたくさんある。
安心して集中してものに取り組むということができない年だった。


「予定・計画通りに行かない」ことの多い年だった。


エジプトにきて気がついた。


エジプトへ行く計画をなんとか果たそうと必死だったから本当に気づかなかった。
日常の生活を送っていて、突然生活のスケジュールを狂わされた人のほうが2008年は多かったはずだ。


計画を立てて、予定通りに生活を安定させることに重きをおく日本人のメンタリティでは2008年はかなり過酷な年だったはずだ。


日本の国家運営として「まずいな…」と思う。


日本社会全体が視野狭窄に陥っている。


製造業でなりたっている日本の経済、消費生活が冷え切るとあっというまに日本社会全体の経済サイクルが崩壊するだろう。
大衆消費社会、万民平等化社会は終わりを迎えるのか。
「当たり前」と錯覚していた偽りの平等・安心社会、計画通り社会は本当に終わりを迎えるのかもしれない。


そういう中でどうやって「私」はどう考えているか。


「冬には冬のすごし方がある」。
「ハンデのあるものにはハンデのあるものなりの戦い方がある。」
日本にこだわらずに世界を視野にものを考えてみる。
世界=欧米諸国ではない。


大衆…万人受けするものではなくて、特別な「何か」をターゲットに絞り、あとは無視する。
不平等、格差社会を逆に利用できればいいと思っている。
ネガティブを逆に利用するという考え方もある。
こういう時代にはそういうものが生きる。


そのためには私自身の価値基準を明確にすることだ。


「私が私にどういう価値をおくか」【価値の指針】
「そのために私のもちえるものをいくらOUTするか」【有形・無形の資源】
「いくらならば時間をさけるのか」【時間の価値基準】
「いくらならば費用を払えるのか」【費用の価値基準】
「そのためにおこりえるデメリットはなにか」【バランスチェック】
「そのデメリットを挽回する手段はなにか」【リスクマネジメント】


一番シビアな時代には自分の優先順位をくずさぬこと。
これがかなり重要になってくる。
ここまで周囲があわてて突発的対応をとるような時代は優先順位をきめて頑固に守るぐらいの気概がないとあっという間に時代のスケープゴートになる。


あわててことを起こさぬよう…。


とにかく2008年お世話になった方々、ありがとうございました。



晦日の夕暮れのエジプト・バフレイアオアシス 白砂漠の景色 1


晦日の夕暮れのエジプト・バフレイアオアシス 白砂漠の景色 2