年末年始 その6 メンフィス・ギザ

■メンフィス
ここは思い入れの強い場所。というのはやはりトトメス3世&ハトシェプストがらみでやはりこの地は重要だとおもって調べたんだよな。
メンフィス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9_(%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88)

昔の古都メンネフェルのことだ。
Ineb Hedj(「白い壁」)といわれた。


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緑の畑部分が古代エジプト時代にはナイル川だったと思えばいい。

エジプトの考古学研究のヘルパーやっていたときに担当の先生がちょうどその辺のこともやっていて、ちょくちょくと。
どこかのミニコミに「古代エジプト 軍都メンフィスの地理的状況」ということで発表したと思う。
このころも「身体」をテーマに「古代エジプトと軍事システム」をやりたかった人なので…。

さてメンフィスが軍事的に重要な第二の都市とされたのにはわけがある。現在でこそ、ナイル川から離れた小さな村であるが、トトメス3世の時代にはここはナイル川の中洲に浮かぶ島であった。ナイル川は現在より10キロほど西側を流れていたのである。島に渡るには船しか方法がなく、また軍事物資をおくる輸送船を泊める軍港もあった。戦略的にもアジアへでていくのに有利であると同時に敵国がメンフィスを攻め落とすには困難であり、戦略的にも有利な場所であった。

また、トトメス3世は捕虜としたアジアの都市国家の王子たちをこのメンフィスに留学させ、教育、親エジプトにして国に帰した。
軍都としても、また貿易都市としても、国際都市としても重要な都市であり、19王朝のラムセス2世の時代にも重要な拠点でありつづけた。

ラムセス二世は首都であるテーベに第一王妃ネフェルタリを置き、第二王妃イシス・ネフェルトをメンフィスに置いた。
世界最初の考古学者といわれた古代エジプトの秀才カエムワセトとラムセスの次代の王メルエンプターはイシス・ネフェルトの息子である。

と、いうわけで秀才カエムワセトのおかげでメンフィスでめだつのはラムセス2世にちなんだ遺跡である。その有名な像がメンフィス博物館に展示してある。博物館にあるのはそれだけである。

「?。古代エジプトの重大な都市なのでは?」

実はメンフィスそのものは641年のカイロの原型であるフスタートができるまで重要な都市でありつづけたのだ。
その後、カイロの発展にしたがって古い古代エジプトの遺跡は「石材のリサイクル」にされてしまったのだ。
さらにやっかいなことがある。

メンフィスには重要な遺跡がまだ眠っているだろうといわれる。
しかし「掘れないのだ。」
原因は「地下水」だ。
掘ると地下水があがってきて、水びたしになってしまうのだ。
事故がおきるほどの危険水域に達したことがある。
そのために発掘中止、現在にいたる、というわけだ。


ラムセス2世。



足元に王子がいる。王子の名前はだれだろう。


メンフィス博物館から外をみる。この葦原が昔の都の名残…。
この下にまだ未知の遺跡が存在する…。

外にも展示がいろいろあるが…王妃の像はたぶんイシス・ネフェルトだろう。
アラバスター製のスフィンクス、ラムセスと思っていたが、顔をみるとハトシェプストのような…。

■ギザ

有名なギザのピラミッド。ただし私は4度目なので車で待機することにした。

ところが「タクシーで中に入るには25LEかかる。入場料もかかる。」といわれる。
「ええ〜」。交渉して友人だけ60LE払ってはいることに。
外で待機する。

外の駐車場に入るカップルの車、観光客を乗せたタクシー。
そのたびにタクシーの運転手がギザの観光システムを説明していく。
驚いた顔をしてふたたび車にのって移動する観光客たち。

ははあ…なるほど。

運転手」「ギザのピラミッドをすべてまわろうとすると最低2、3時間かかるんだ。だからタクシーやバスの入場料を払って中の駐車場代を払って車でまわったほうがいい。それで車が行列をつくって門をくぐるのだが、みんな外の駐車場に車をとめて徒歩でまわれると思っている。以外にギザのピラミッド観光を知らないんだ。ピラミッドの中の見所は4箇所あるだろう。その4箇所に駐車場代もかかる。そのあたりも考えると、入場料60LEのほかにもう60LEかかる。つまり計120LEだ。」

そしてピラミッドの内部にはいるには100LEかかる。
もちろん僕はクフ、カフラー、メンカウラーすべてはいった。
特別料金設定前の話である。

すっごい集金システム。

「ぼったくり」といわれてもめてもしかたがない状況。
もちろんエジプト人にはエジプト人価格はあるだろう。
そのぼったくりをかいくぐって安く観光する人もいるだろう。
しかし…。

しかし見方を考えればこのぼったくり価格ゆえ、遺跡の安全−>テロなどのリスクをさけているという見方もあるのかもしれない。
観光客目当てのあやしい人も多いが…。

個人旅行のガイドブックには入場料しか書いていない。しかし実際にはタクシーの入場料やらいろいろかかる。
もちろん路線バスできてピラミッド観光することもできる。(事実私は過去にそうした。)
しかしその場合には半日かかる。

ツアーなどの場合はそのあたりも考慮して料金設定もしているのだろう。
だからそのあたりの必要な料金まではわからなかった。

本当に別の意味で…ピラミッドはエジプトの宝だ。

外国人の集まるところは欧米の価格設定になっているのだろう。
だって120LE=(約2000円)ぐらいだ。
日本で少しきちんとしたテーマパークでそのぐらい取るだろう。

1980年代のトゥトアンクアメンの墓入場3000円よりは安いが…。




駐車場より。


ところで約束の

>ピラミッド・コンプレックスはカフラー王のピラミッドにもあるが、こちらは後述するように【変形版】なのでステレオタイプを理解しようとおもったら、ここが一番にいい。

なのだが、カフラー王のピラミッド、これはスフィンクスの伝説を作る一因になっているのだが、

カフラー王のピラミッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%8E%8B%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89


■南風博物館
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/index/index.html

ここのデジタル地図集成がよくわかる。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_of_giza.html

カフラー王のピラミッド・コンプレックスもきれいに残っている。だが、参道が不自然に曲がっている。まるでもともとあったスフィンクスをさけるように…。スフィンクスそのものはもともとあった岩盤をくりぬいてつくった建造物である。だからもともとあった岩盤を破壊することができなかったため、スフィンクスをつくったのか、それともスフィンクスがもともとそこにつくられていたのか…。

私の祖父のこの世最後の海外旅行はエジプトだった。幼いころから私があまりにも「エジプト、エジプト」いうものだから、いってみようという気になったらしい。最初は「発展途上国」との偏見をもっていた祖父が「ピラミッドみて人生観が変わった、人間ってなんというパワーをもっているのだ。あんな建造物つくるなんて。」と語った。

帰国後おそらく10年ぐらい隠れていた癌が顕在化し、2年後にこの世を去った。

この世をさる最後に人生観が変わるということもある。

最後に約束したカルフールへ。
ここで日本に送るお菓子を買う。
途中、通りがかりのエジプト人カップルの男性が友人と話す私の手からそのお菓子をそっととりあげる大阪人的いたずらを仕掛ける。
夕食をそこで食べて、マアディの駅へ送ってもらう。

マアディ、カルフールへ向かう、Ring Road。外環、圏央道みたいなやつ。