語学学習 奮闘記 その1

もしシリーズ化したらわけるか…。ということで恥じさらし覚悟で語学編。


現在留学中とはいえ…。一部の人には「カイロ大学へ留学しています」といわれてしまって困っているのだけど、語学留学です。念のため。「カイロ大学へ留学」は年齢制限もあって事実上不可能。
カイロ大学」卒だとエリート中のエリートだよなあ。


本当は学位そのものをとるをいう欲があったのだが、経済的なものその他からそれどころではなく。
くやしいけどなあ。


目的は何か、ということなのだけど…少々長くなるぞ。
あくまでかっこつけたいわゆる「タテマエ」的な理由はこうだ。


「エジプト・イスラームという視点で日本をみることによって日本の社会システムをよくしたい。」


この意味するところというのはつっこむとこういうことだ。


「日本 対 欧米諸国の価値観という偏ったものの見方で判断したくない。」
=>日本の中の国際報道は主にアメリカからの視点である。とにかく日本にいるとアメリカ=国際社会という傲慢がひどい。


「日本という国だけで悪い意味で自己完結させた国にしたくない」
=>日本が「人間」というものに配慮できる国であれば文句なしだが、「人間」に対する尊厳を奪う国としてはワーストの部類に入る。むしろそれを美徳としているところがある。20歳のはじめてのエジプトへの旅で「人生ではじめて私という人間として扱ってもらえた」という経験をするっていうのはどうよ?その原因は日本独特の選民主義と視野狭窄にあると思っている。
・選民主義=「日本人が世界で一番優れている。ほかのおかしなことをする人は外国人の帰化者である。」
視野狭窄=「自分たちや自分の友人のやっていることが絶対的に正しい。(自分、友人を日本、アメリカにあてはめても同様)」
(注:しかし最近ではその特徴が団塊世代以上=>つまり自分の親や親戚の世代のものかもしれない…とも思い始めている。)


「かといって愛国心にむすびつくような日本独特のアイデンティティをつぶしてまで似非国際国家になってほしくない。」
日本独特のアイデンティティ=あいまいさに美学をみる姿勢。逆に本気で切れたら徹底的に長期プランで攻撃する持久力とか。性別越境や個人レベルの性的な妄想に非常に寛容な部分とか。対決をさけながら問題解決をする姿勢とか。仕事に人生の哲学をかける姿勢とか。カスタマイズ能力の高さ。異文化に対する非常に高い適応能力とか…。長くなるので別記。


で、イスラームを舞台に選んだからには必要なことがある。
アラビア語だ。
アラビア語を読んで理解する能力が必要だ。
言語というのは思想をコントロールするからね…。


では「ホンネ」の自己中心的理由。


「自分が自由になりたい。」
自由になりたいとはどういうことかというと
「自力で自分の身の安全を確保したい。」
「自分で行動できるようになりたい。」
人間である以上、言語に不自由するということは人間として生きることにも不自由する、ということだ。
自分以外の他人に生殺与奪権を握られるということだ。
おのずとできることの選択肢も限られてくる。
私は個人的に「それがいや」なだけだ。
「せまい世界で誰かに守られて生きる生き方が大嫌い」なのだ。


まあ「動機」などは人様には「いいわけ」にすぎぬが…。


自分が言語で不自由するから自由になりたいために言語を学ぶのかもしれない。
自分が日本のシステムに縛られて苦しめられてきたから、改革のために他の文化の思考やシステムを学びたいのかもしれない。
「日本をなんとかしたい」と思っているのは私が日本が好きで日本に期待しているからにすぎない。