聞くとはどういうしくみか?

基本的にエジプトである程度の仕事をしようとした。
だが、「それは無理、やばい」に変わった。
一応エジプトにもいくつかの求人はある。
しかし問題は「語学能力」。
アラビア語と英語のコミュニケーション能力に支障がないこと」。


特につまづいたのは英語。


「話を聞いていない」ということに気がついたからだ。


英語で話が聞けているかをチェックする簡単な方法がひとつある。
「相手の言葉をそのまま正確におうむがえしすることができるか?」
要約でもNG、意味を答えるのもNG。そのままだ。
そのまま返せないのであればこれは話を聞いていない/聞けていないという意味になる。


「先私がいったことをそのままゆってみ?」


ただこれだけ。これで簡単にチェックができる。


これ実は日本語でできるようになったのは32歳の時、つまりたった2年前のこと。
その前はどういうことか、というと「話を聞く」が何かをまったく知らなかった。
「聞いている」と思っていたのだ。
ところが「話の意図を間違って解釈される」ことに問題意識を抱いた当時の上司が先の言葉を発し、問題が発覚。
発覚したはいいが解決手段がなく問題は膠着。
結果的にパワーハラスメントによるうつ状態になり、退職&3ヶ月の休職を余儀なくされた。


そこに解決手段をみいだしたのは例によって親友X。


「伊東くん、話を聞いているときにその話を『映像化』するのをやめて、単純な文字に置き換えて図にしな。それで『繰り返せ』といわれたらその文字を読みな。」


これで劇的に改善、話が聞こえるようになったのだ。
仕事をするのも楽になった。
軽いITコンサルで提案できるところまで仕事の能力もあがったのだ。
聴覚障害の限界」と考え、泣く泣くあきらめようとしていた分野だった。


親友いわくこういうことだった。

■映像化するとまず「余計な情報」が付加される。
たとえば「砂漠」と相手が話したときに「砂漠」をイメージする。ところがその砂漠には色がついていたり、余計な岩山があったりする。それも「相手が話した情報」と錯覚してしまうのだ。しかもそのイメージにないものをいわれた瞬間に混乱して脳内がパニックになる。

白砂漠と黒砂漠。どちらも「砂漠」だ。
だが、「砂漠」といわれた時点ではどういう「砂漠」かは本来はわからないはず…しかし「映像」で考えてしまうと…。



もしも「砂漠」のメタモデルが白砂漠でしかなかったら、映像でしか理解できない場合いくら第三者が「砂漠」には「黒砂漠」があるを100の言葉を使って説明しても聞いた本人には「黒砂漠」があることすら理解することができない。


「それでも砂漠は白い」というかもしれない。
もしもそういう「話を聞けない」人がいたら、その人が視覚優位(自分がみたもの/みたいものしか信じない)人であることを疑ったほうがいい。

■映像化した情報を話すスピードで説明することは不可能。
その映像に対して説明する言葉を自分で考えないといけなくなる。
考えていたらしゃべれない。
しかも「言葉を共有することができない」ため、相手の信頼を得られない。


■映像化した情報を自在に巻き戻したりすることは不可能。
データ量が多いから時間がかかり話すスピードについてはいけない。

■映像化した情報を「自分の考えたこと」「相手の考えたこと」の二重管理することができない。
そのため、「自分の考えたこと」「相手の考えたこと」が容易にすり替わってしまうのだ。


■映像のイメージが強烈なため、「自分の考えたこと」にすり替わったことに本人が気づけない。
そのために「相手が先はなしたこと違う」と思うか、「なぜ相手の意図がうまくつかめないのだろう」と悩む。


これを文字に置き換えると

○文字そのものだけなので「余計な情報」が付加されない。
たとえば「砂漠」と相手が話したときに「砂漠」という文字だけ。そこに線を引いて「白」とか「チキン」「マッシュルーム」と連想的に引いていく。マインドマップの作り方をイメージするとやりやすい。


○文字をそのままよめばいい。
相手の話した台詞をそのままリピートすればいいのだが、それが難しいからこのようなメモ式方法。


○文字データは軽いので脳内操作が楽。
実際に脳疲労が軽くなります。

○文字データは軽いので比較が可能。
脳内でデータが混乱しません。

○文字データをもとに考えればいい。
いろいろな概念があるという思考の広がりができる。

なんでこんなことになったか、というとやはり言葉の臨界期の問題が大きい。
難聴が発覚したのは4歳。
それまでどうしていたか、というと推測と会話のレトリックで大人たちをだましていた。
たとえばこういう感じ。
父:「幼稚園でなにがあったの?(聞えているかどうか試している)」
伊東:「?(父は何を私に話したのだろう。父が私に話す話題は『幼稚園』だろう。」
伊東:「幼稚園?」
父:「そうだよ。」
伊東:「幼稚園ではね…。」


あやしいと思って聴覚検査につれていっても機械の操作を読んで答えてしまうのだ。
そのためにどの病院をめぐっても「知恵遅れ」「発達障害」といわれた。
生まれるときの医療事故ゆえその可能性は十分にあった。
ところが最後にたどりついたろう学校で先生が顔をみるなり「難聴児ですね」と即答した。
「目でわかる」。


目隠しして検査したところ、果たしてそのとおりであった。


その後いろいろな検査を通して「4歳にして小学校6年生レベルの能力」と診断され、ろう学校教育だと逆に能力をスポイルすると判断、だがそうなると通う学校がない。「岡山へいってください」。かくしてその後の修羅場で今の私の人格が形勢されたわけであるが。

さて。話を戻すとつまり難聴が発覚する前の「視覚」でものを理解しようとする能力、そしてその後の20年にわたる「長い孤独による心理的引きこもり自己完結した(せざるをえなかった)世界。


「話を聞く」とはどういうことかもわからなかったし、「聴覚を視覚でカバーできる」という当時の誤った(と僕は思っている)聴覚障害神話のために「聞くことそのもの」に対してもおざなりになっていたし、「視覚のもつ能力を強化して健常者と対等、いや健聴者の能力を超えてやる」という誤った強い決意やプライドを32歳のその日までもっていた。


「聴覚を視覚でカバーできない。」それは「聴覚」「視覚」のもつ認知能力の特徴がまったく違う、思考回路、思考ロジックまでまったく別のものに変えてしまうからだ。その意味では「手話教育を」という声に「日本語能力がつかない」と「NO」を唱える人の意図もよく理解できる。だが多くの教育者が「口話(読唇法)」がその代替手段として足ると感じていたのであればそれは大きな間違いだ。それはどういうことかは後日にゆずるとして、今回留学して「英語がやばい」と思ったのは当時と同じ認知経路をとったことがあきらかに自覚されたからだ。


最初にネイティブ・英語・スピーカーと一緒に授業を受けたときは理解できた。ところが彼らが帰国してからマンツーマンで授業を受けているが、そうすると「英語が理解できない」。つまりそれは「英語が聞けていない」のだ。視覚情報でネイティブ・英語・スピーカーの動きをみて「何が話されたか」を理解していたのだ。


アラビア語はある程度のディクテ(聞き取ってそのまま書くこと)ができる。英語はできない。
必要とされている能力は英語、アラビア語があるが必須なのは英語だ。
TOFLEである程度ヒヤリングがなんとかなっていることで「しっかり訓練すればなんとかなる」と思ったが、そういうレベルではなかった。確かにあればきれいに録音されているし、テクニックもある。


では「聞けるように」なるにはどのくらい時間がかかる?
日本語で半年かかった。英語もっとかかるだろう。
「半年経済不安を感じないで英語に専念できるか」=>NO。
ということで「さあ大変だ、本気でやばい」となったわけでありますが…。


おいおい、ほかの困っている人に比べると「ぜいたくだ」という声も聞えそうですが…。
逆に言うと「それだけのものを自分の楽しみ我慢して心身ともに投資してきたぞ」ということに対する自信があるのかもしれない。
やはりやるべきことをやって…が大前提だし。
ただし同じ結果をだすための時間・経済・教育コストは健常者にくらべて投資コストは倍はかかる。
ただ、友人がいっていたように「もっているものを第三者に出すのが下手。それで損している。」という話もあるように人間の根本にかかわるコミュニケーションの障害の問題は大きいなあ。