さとしの哲学書簡ver2より その2

●派遣登録、ITSS受ける

既存の人脈のみならずほかの職のつてをひろげるべく、職務経歴書等を書くが…。
現場経験数多すぎ。


帰国後2週目はそれ。
ひどく疲れた…。


23日、N社の登録。
登録はしてみたものの、案件はなし。
どうもゼネコン系のでかい案件がすべてストップしているようだ…。
webならあるといわれるが、webのキャリアがないため厳しい…。


ITSSなるものを受験してみた…。
うーん、かなり厳しい。
気にしていた弱点がはっきり出てきてしまったよ…。
知識レベルが非常に不安定なのだ。
ある部分で突出して知っているが、ある部分は基礎すらわからない。


これは「耳学問」に厳しい聴覚障害者によくあることだ。
正直しんどい。
スキルアップに独学・通信教育・インターネットのe-learningなどの視覚的ツールではあまりに弱すぎる。
通常仕事は人と人の間でおぼえるものだから。
職場で「経験」を蓄積することが健常者にとっては大きな「自信」につながるが、聴覚障害者は逆に「不安」が大きくなる。 つまり「経験」をつめばつむほど逆に「自信」がなくなっていく。


それが健聴者と聴覚障害者の大きな「差異」のひとつだ。


要は経験をつめばつむほどものの見方が「独りよがり/井の中のかわず」と知らされて「じゃあ大海はどれだけ広いんだろう」と知るからこわくなるわけ。 しかもほかの人が大海をどんなものか知っていたというショックとか。しかも大海を地球儀のように見切れば相対化して逆算し安心できるが、知識の大海はそうはいかない。


「知らぬが仏」という言葉もあるが、暴虎氷河という言葉もある。
私は慎重に計算してすすんでいるつもりが人からみて「暴虎氷河」だということもある。
ある友人にいわせると障害抱えてフリーエンジニアでいること自体が「暴虎氷河」だそうだ。
そしてそれで長くキャリアをつめたことは「奇跡に近い」とか。
本トか?
比べる人がいなかったから、正直わからない。


経験と年を重ねれば重ねるほど、そういう部分が見えてくる。


そのまま自己評価の低下につながらないように「結果」と「成果」を意識して、「経験」に対して論理的に意味づけしていくしかないわけで…。


人は人が育てられる。自分ひとりでは育たない。
本当だな、と思う。