少し休もう。

こいつをよんで「ああ、これ俺」とおもってわらった。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001435
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001435


「困っている人がいる」
「話を聞いて問題点を洗い出し」
「手助けをするための提案をして」
「形にして」
「喜んでもらう」


なんでコミュニケーションの障害に苦しみながらも「聞く」「話す」にこだわるのか。


なんでこの仕事つづけてこられたのか。


「みえない誰かのために問題解決する」ことが大好きで、苦しみぬいたあとの問題解決にむすびついた瞬間が僕にとっては一番幸せで気持ちいい瞬間だからだよ。


自己満足の空想を自己満足の中で形にするよりも、あきらかにでている問題に対して自分の力、なければそれを補強して解決につくす。


ちょっとほかの人にはない変わった嗜好かもしれない。


プログラミングが好きとか開発が好きとかそういうことではなくて、技術や思考をつかって「問題」を解決に結びつけるのが好きなんだよ。


この不況のために受託案件ゼロ。


それでも過去に世話になった人に営業かけたり情報提供しながら、新しいところもさがそうとしている。


「何ができる/できない」ではなく、
「案件があればやる」という姿勢でないと仕事はとれない。


そういう現実がわかるほど「耳が聞こえない自分」をうらみたくなる。
幼少時から孤独の一匹狼で20年以上生きざるを得なかった自分の人生をのろいたくなる。
でもそんなことしても何もならないから、理性的にはったりかまして生きるしかない。
理想である「人として対等に生きる」体現するために。


にしても今回は今までのサバイバル能力がまったく使えない。
聞こえない自分は「井の中の蛙」になりがちなので、「できる」と言い切ってしまうと、どうしても聞こえる人とのイメージの齟齬が起きてトラブルになる。
だから、「できる/できない」を明確にしてプログラムをチューニングするような会話をして、なるべく客観的な能力を提示してきた。
しかし今回はそのようなやり方では相手が不安がって採用することはない。


そうなると人と話をすることを信じることもこわくなる。
根本にあるのは「自分が本当にほかの人と同じものを見聞きしているのか?」という不安だ。


時代柄、なんにも考えずに使える人が採用されやすいそうだ。
その点聴覚障害者は一般的に「気難しい」ので敬遠されるそうだ。
そうなると解決手段がない。


聴覚障害者のサポートはうけたことがない。
今まではうける必要を感じなかった。
「聞こえないことをいいわけにするような生き方をしたくない。」
けれどもさすがに今回は相談したいと思うようになった。
「健常者がわかりません!」
それは「厳しい現実」を解決するために。
健常者がわかれば、解決手段はおのずと考えられる。


少し疲れている。
推測や推理だけで問題解決をはかるのは結構骨だ。
それは「単語」がわからないとインターネット検索ができない「現実」に似ている。


人事を尽くしてあかんかったら、しばらくほかのバイトして遊ぼうと気持ちを切り替えよう。