「エジプト」という価値観(vision) その1
1年前に某ミニコミに投稿した記事であるが、広く使えるものであるため修正・加筆して公開します。
「人間が人間であるために社会のしくみを変えたい」という志がある。
「本来の人生」という名の自分が歩きたい人生の設計図。
誰かの「ため」ではない。あくまで自分の「ため」だ。自分と他人は価値観が違う。
■30代での旅立ち
2009年5月。ブログに書きたいこともたくさんあるが、私生活で「やるべき」が多すぎてかえって何もできない。ADHD(注意欠陥・多動性障害)といわれる「障害」があるが、彼らにとっての日常はまさに今の私の日常に等しいのだろうな、と思う。
昨今のサブプライム問題、アメリカにおける信用力の低い人向けの住宅ローンの運用がこげついて金融市場があれた影響で夏いっぱいの契約であったはずの証券系システムの開発延期。さらにリーマンショックで契約の打ち切り。自分の人生シナリオを果たすために日本を飛び出したが、今度は今度は日本に残った友人たちの悲鳴。本来であれば6月に仕事が多数あることを見越して数年前から計画していたのだが、完璧に予定が狂った。
本来であれば30代の人生設計は方向性も確立して「まっすぐすすむ」のだが、私の場合さらに「やるべき」雑用的なものが増えてしまっている。困ったなあの世界。
じゃあブログ書いているひまはないのでは?と指摘がありそうだが、私の場合「書いてみせていく」という姿勢がないと「怠惰で自分勝手、ひとりよがりになる」「対人能力要請に確実に影響がある」ので書くようにしている。実際自分のためにも過去の記事を検索して読んでいたりする。「伝える」という意識を一番鍛えやすいのがブログなんだよね…。それが「論理力」「説明力」「提案力」のUPにつながるから。
さて「このやろう」の怒りに震えたくなる「くやしい」思いというのは山ほどある。それに対して人には「なんでもない問題のように軽くみせること」を意識しているのだけど、異端な人生に対するネガティブな思いとの戦いが結構きつい。
本来であれば留学をするのであれば20代だ。30代なんていったらまず私は「やめろ」という。たとえば「キャリアUPのためにMBAをとりたい」と32歳の人がいった場合「やめろ」という。日本社会は基本的に傭兵を受け入れる社会ではない。いったんレールから外れたら人生をリカバリすることは「できない」社会だと知れ、ということだ。会社をやめて留学するよりも30代すぎたのだったら「会社に在籍しながらMBAのエッセンスを『独学』で勉強したほうがいい」。MBAを取得したら「社会的エリートになるばら色の夢」がかなうか、といったらそれは妄想でしかない。
実際MBAを取得しても会社で使い物にならない、かえって会社経営を圧迫した、という話も入っている。原因は「理論ばかり先走って『現場』を見ない」からだ。次は「理想の姿を関係者に感情・感覚的に理解できるように伝えられないから」だ。「さらに一人ひとりの従業員の特性/役割、そして一番大事な『価値観/哲学』が理解できない」。MBAを印籠代わりにチェスのこまのように業務フローをいじってしまい、まさにぐちゃぐちゃ。
「理論ばかり先走って『現場』を見ない」
「「理想の姿を関係者に感情・感覚的に理解できるように伝えられない」
「一人ひとりの従業員の特性/役割、そして一番大事な『価値観/哲学』が理解できない」
これって自分が「かっこよくなること」だけに気をとられて人間に対する「愛」がないのだ。
悲しいことに21世紀の今の日本ではこういう人がいわゆる「マジョリティ」なんだそうだ。
でも「結果」が害悪しかもたらさない。
これを起こすのはもうひとつ「原因」があるのだけど、それはまた後日。
それでも私は30代で旅立った。長年の願いでありながらあらゆる身体的・社会的制約のため実行できなかった。何も障害をもたぬ身であれば20代でとっくに終わっていないといけないプロセスだ。あせりやいらだちがないか、といえばうそだった。やっと手に入れた「安定した生活」を捨て去ることにためらいがないか、といえば当然のことながらあった。
「障害」を理由にするのは最悪のいいわけだ。そんないいわけできないいいわけのために人に遅れることのくやしさにとらわれる。当然「障害」はあるのだ。たとえば「障害をもつ人の海外留学保険は?」とか「留学条件の『健康』」。今困っている最大の理由は「聴覚障害」だ。同等の実力があれば人は「五体満足」を選択する。しかも今の技術ニーズは「会社に就職してでないと取得できない技術」だ。まともな就職のできなかった30代の聴覚障害者にはありえない。「独学できる技術というのは世にあふれている」から誰にでもできるのだ。これは盲点だった。これが現実だ。
ただ強みはある。「技術への柔軟性」。でもそうするとまたInput=やらねばが増える〜。
「やらねば」が増えて「やりたい」ができない。この悪循環なんとかせねば…。
わが身をまもって自己正当化したくなる心の弱さも当然ある。しかしすべては取り返せないことだ。進む道は一本しかなかったから。
■エジプトという価値観(vision)
わたくし、「伊東聰」といえばエジプト。エジプトといえば「伊東聰」。
周囲の人にとってはそういうことだ。
私とエジプトとの関係は「人間と空気」と同じだから、それをたちきることは「死」を意味する。
さて、私がエジプトなんぞに留学したい!と思ったのは「人間を学びたい」からだ。
「人間を学ぶ」とは何か。というと「人間にかかわるすべて」、具体的には4つの柱がある。
1.哲学/宗教学
人間の本質・考え方のしくみを知ることができる。
なぜエジプト・イスラームなのか?は後日。
一言でいうと私の永遠の課題「健常者がわかりません」を「わかりやすく」解説しているテキストは世界をさがしても「聖クルアーン」しかない。これ事実。
2.医学
人間の身体・健康をたもつしくみを知ることができる。
特に現代医学がみすてがちな「社会性の健康」をたもつための医療技術の開発には強い興味がある。
と、同時に「病/障害」から救う高度な医療技術の発達を推進しかつ技術開発の「暴走」を阻止する。
3.工学
人間と技術・ものづくりのしくみを知ることができる。
ものづくりと人間観の関係は別に考えることができない。たとえば現代の聴覚障害者と千年前の聴覚障害者では身体的能力が天と地ほどに違う。少なくとも「異生物」と考えて差し支えない。補聴器や人口内耳のたまものである。4.法学
人間と社会・人間関係のしくみを知ることができる。
社会というのは巨大な「共同体」である。「共同体」の秩序を保つために「法」がある。
立法は人間の本質をふまえたものでなければならない。
つまり人間総合学ともいえるもの。ただこれが今まで難しかったのは欧米式の大学教育だとこの4つがすべてばらばらの分野として教育されるからだ。その事実が私自身をもしばしば「学問の迷宮」に迷わせた。特に基盤となる「1.哲学/宗教学」の教育が欧米式だとやりにくい。だが、「1.哲学/宗教学」がベースになければあとの「2.3.4.」の学問は「無意味/無価値なもの」になるのだ。その結果気付いたものが近代の産業革命以後起こった「人間の大量殺戮」の歴史であった。
広島・長崎の原爆、ナチスのホロコースト、731部隊、そしてノストラダムスの予言。
小学校のときの研究テーマは「戦争」であった。
今でもあるか不明であるが、岡山には「おかやまっこ」という作文集があった。そこに「ひろしまのピカ」という絵本の感想文がのっていた。たった一個の爆弾で人間が殺され、主人公は7歳のまま成長しない。そんなオカルトみたいなことが本当におこりえるのか?と疑問をもって持ち前の「追求力」で調べだしたのがきっかけだ。
「人は簡単に自分以外を殺せるのか」と正直人間恐怖症になった。
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私の現実。日本人であり、障害をもつ身。小中学校の激しい差別といじめ。階段から突き落とす、鉄棒から落とす、背中にとび蹴り。「自分がされたらどう思うか」「身体に障害が残ったらどうする」といっても「笑い」しかない。そのいじめをみてみぬふりをする先生。「こいつらの『無知』に自分は殺される」と本気で思った。
今でも冗談のように「ゴルゴ13みたいに背中に立たれるの苦手や」というが、理由は以上である。やはり自分の後ろに人がいると身体は「戦闘態勢に入る」。かなしい後遺症だ。その場合は双肩から見える範囲に体をずらす。とにかく死角を減らし、背中を守る。
「ほっといたら『異端の身』の私はいつか殺される」「私は死にたくない」という根源的な恐怖心が私の人生を動かす最大の原動力だった。この世にあるもののすべてが人間の支配化にある以上、人間社会からにげられぬのであれば「毅然と立ち向かい、戦い勝ち取るしか生きる道はないではないか」。
そのような思いで生きてきた私がはじめて「人」として扱われたと感じた「場所」がエジプトだったのだ。
忘れることのできないあの「ほっとした安心感」。
エジプトで感じた「見えないもの」の豊かさ。
これを日本に輸入し「しくみ」として確立できたら、どれほどの人が助かるだろう。
目的は語学留学。しかし語学留学ではすまさない。「人間が人間であるために社会のしくみを変えたい」と志がある。その志を「目にみえる形にする」ためにはどのような戦略でアプローチするか。その「考え方」のリソースを同じく幼いときに憧れ、そして私をはじめて「一人の人間」として受け入れてくれたエジプトという国家そして文化に求めようと考えた。
「人間が人間であるために社会のしくみを変えたい」
これが私の価値観(vison)である。
…言語化するのにものすごい年月がかかった…(苦笑)
<つづく>