レベル1 「心」が通うとは その4
■「アイコンタクト」ができたらレベル1
もちろん眼が不自由である等あるので要は「第三者の働きかけになんらかの反応をかえせたら」ということです。一人で生きられない人間が人間になるためにまずとる行動は「アイコンタクト」だそうです。これができたらコミュニケーションレベル1と考えていいでしょう。ここにはなんらかの「想い」、「魂のキャッチボールが生じております。
魂(ルーフ)と書いておりますが、ルーフとはイスラームの概念でいう「魂」です。
5つの心については過去記事に紹介しておりますのでこちら。
[さとしの思考装置]イスラームにおける人間の心の五要素 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090323
ルーフは人間だけでなく、「神の創造物」とされる存在するものすべてにあります。
人もものもルーフを通じてコミュニケーションをとります。
それを「心が通じ合う」といいます。
私が好きな曲のひとつに中島みゆきの「命の別名」があります。
これは知的障害者の虐待があった水戸事件をモチーフにつくられた「聖者の行進」というドラマの主題歌として歌われた歌です。
に、しても、です。
歌詞をみているとまるでルーフの概念を知っているのではないか、と不思議な想いにかられます。そしてこの歌が知的障害者を描いたドラマの主題歌であったというのも、人はそもそもルーフを自覚しているのか、たまたまなのか、神の配剤か…。そうであるならばなぜ感じなくなってしまったのか…。
聖者の行進 (テレビドラマ) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
抜粋。
石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ繰り返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
■障害者白書 平成21年度版
26日に障害者白書がでました。民間企業の障害者雇用率が低いし、「差別を一番感じるのが雇用のとき」との話です。
○障害者白書 平成21年度版障害者白書 - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/index-w.html
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090526/wlf0905260914002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090526/wlf0905260914002-n1.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090526-00000020-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090526-00000020-mai-soci
リンクしてある毎日の記事ですが、
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040039000c.html?inb=yt
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040039000c.html?inb=yt
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040040000c.html
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040040000c.html
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040041000c.html
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040041000c.html
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040039000c.html?inb=yt
http://mainichi.jp/select/wadai/wakaru/fukushi/archive/news/2009/20090409org00m040039000c.html?inb=yt
おや、と思うことはないでしょうか。
働く障害者の割合であります。
2006年の厚生労働省(国の役所)の調査によると、15歳以上64歳以下の身体障害者134万4000人、知的障害者35万5000人、精神障害者35万1000人のうち、知的障害者で働いている人の割合が5割と最も高かった。これに対し、精神障害者は2割を少し下回っていた。全体で見ると、半分以上の人が働いていない状況にある。
精神障害者よりも身体障害者よりも知的障害者のほうが就職率高いのですよ。
身体障害の場合、先のレベル0の方もおられますのでわかりますが、精神障害者より知的障害者のほうが就職率が高いのです。
その理由までは分析されていないのですが、どうもここにも「コミュニケーション」の問題がからんでいる気がいたします。知的障害者の場合はある程度のコミュニケーションを使える場合が多いのですが、精神障害者の場合は知能に問題がなくてもコミュニケーションスキルに問題を抱える障害を含みます。知的水準がいくら高くてもコミュニケーションに問題がある場合は就業が難しくなる、そういうことなのかもしれません。
■場の空気をつくる能力…
私事ですが、「伊東家の修羅場」ということでこんなトラブルがありました。
突然父が上京してきました。
聞けば「また夫婦げんかをした」というのです。
内容はこうでした。
父と父の友人が雑談をしていたときのことです。
仕事上でおもしろくないことがあったのか、父の友人が「あんなやつ事故にでもあってくたばってしまえ」といいました。
それを聞いた母が突然「冗談でもそんなことを言ってはいけない!」と父の友人をしかりつけたのです。
台所からでてきて立ったまま「上から目線」でした。
父と父の友人も驚きました。
厳しい指摘をするにもそれなりの伝え方というものがあります。
ましてや父としては友人といえど客人です。
それなりのおもてなしをし、気持ちよくさせてかえす。
それが父の何よりも守るべきルールであり、特に「場の空気を乱す」ことは人として最低の許しがたいことでした。しかし父の思いに反して母は「場の空気を乱す」をやり、それが夫婦げんかの大きな種になっていたのです。
(伊東父)「しばらくやらなかったのにまたやった。あやまれ!といってあやまったが、どうも理由が理解できていないようなんだ。」
父の友人もそれほど不快感はもっていませんでした。ただ、母のマナー違反がほかの方とのつきあいに問題がでるので「注意しないと」と考えていいました。
「奥さん、ごめんですんだら警察はいらないよ。」
そしたら母は逆切れ!
「どうして警察をよばれないといけないんですか!」
最終的に問題はもっとこじれにこじれて激怒した父は生活費もわたさず東京へ。
「今度こそわからせてやる!」と経済制裁にもちこんだようです。
…あれ…おや?おやおや?
…はああああ…。
「お父さん…」。
いいかげん30数年間夫婦やっているのだから、わかりましょうよ、場の空気よんで人間関係を配慮して適切な行動をとるというのは彼女できないのですよ。
それは彼女の育ちが悪いのではなくて脳の機能の問題なんです。
どうしてもわかってもらえなくて「????」だったのでしょう?
「わからないのですよ」
同じ言葉を相手に伝えるのにも関係性だったり、伝え方の態度だったりで相手の印象が変わってしまうがわからないのですよ。「言葉でやりとりして文字通り通じると思っているから」。
だから彼女は「父の友人を思って厳しくしかったのになぜ?」と思っているよ。
お互いがお互いを思って、ゆった、というのは「伝わっているんだよね?」
(伊東父)「うん」
じゃあそれいじょうを求めたらダメです。父がいう「それなりのおもてなしをし、気持ちよくさせてかえすために場の空気を作る」というのは相当ハイレベルなコミュニケーションスキルがいるし、多くの情報を多角的に処理する【脳】力もいるのです。
「奥さん、ごめんですんだら警察はいらないよ。」といわれて「どうして警察をよばれないといけないんですか!」とまさに「文字通り」事実の受け答えとして答える。言葉のやりとりをとっても行間と真意が読めない。さらに過去の問題も「相手の立場にたってものをみれない」「3日以上だったら『昔』になって忘れる」「事実のつじつまを論理的にあわそうとして話を作ってしまう」。それでは「場の空気を制御する」のは無理です。
で、彼女のいろいろな事情から彼女は決してあやまることはないです。むしろ過剰に自己防衛にはいって余計に場の雰囲気を悪くするだけです。
できることというのはそういうもんだと思って、理解してあげることしかできないです。
「片腕しかない人に両手でものをもて」というのと同じです。
気持ちは通うのでしょう、それでいいじゃないですか。
父は即母に電話して和解しました。
■KYの原因物質?ミラー細胞(ミラーニューロン)の働き
ところでなぜ「空気読めない=KYになってしまうのか」。
聴覚障害の場合は耳から入るはずの判断するべき情報が入らないからです。
つまり情報がないのと同じになってしまうのです。
では母のような健常者?の人の場合はどうなのでしょうか。
これも実は同じメカニズム、「概念として存在しないものだから感じない」といえます。
あれ?じゃあ「なぜ感じないの?」
母を理解してもらうために、と「うのみにはしないでくれ」と念を押して私はある本をプレゼントしたのです。ここにミラー細胞(ミラーニューロン)という言葉がありました。
要は共感能力、場の空気を共有するために使われる細胞で「学習」ということにつかわれるそうです。
※自閉症研究が50年、アスペルガーの再発見から30年、世界中に知られてからまだ20年の歴史しかない。母はすでに還暦なので人生経験のほうがかっているので診断のしようがないです。その他交通事故、虐待の影響も考えられます。だから「うのみにするな!」です。特性を知り、工夫することで伸びる能力があります。
ミラーニューロンの発達 [編集]
アイトラッキング装置を用いたヒトの新生児のデータでは、ミラーニューロンシステムは生後12ヶ月までに発達し、新生児が他者の行動を理解することを助けているとされている[22]。ミラーニューロンがこの鏡のような能力をどのように獲得するかというのは大きな疑問である。1
よく「あくびがうつる」という現象が起こります。環境的な要因もありますが、それはミラー細胞(ミラーニューロン)の働きで「相手の感情に共感する」から自分で体感してしまうのだそうです。
はしょっていってしまえば「共感」の共有を頻繁に行うことで「「空気読めるようになってくる」のだそうだ。ところがミラー細胞(ミラーニューロン)の働きが悪いと「相手を感じること」も「共感」することもないため、人から学ぶ、もおきない。その結果「空気もよめなく」なる。
ミラー細胞(ミラーニューロン)がすべてとはいわなくても、「自分をわかってくれない」「自分が人と違う」ということで自分以外の人間に「共感」できなかった結果、「空気がよめなくなったしまった」可能性もあります。
<つづく>