「障害で将来を悲観」 両親が息子を殺害 大阪

「あーあ」としかいいようがない。
おこるべくしておきたというか。


http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090531ddm041040124000c.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090531ddm041040124000c.html



http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090530/crm0905302311028-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090530/crm0905302311028-n1.htm

近所の話から健太郎さんには耳に障害があったとみられる


「みられる」程度で殺すのかよ。
「障害があって将来が心配なので殺そう」ってなんだよ。


息子無職、父親無職。


無職なのはここ1年の未曾有の不景気が原因で本来は「働いていた」と思いたい。
でもたぶん私が34歳、被害者が33歳。
「みられる」程度の聴覚障害であれば「障害者手帳」はない。
しかもこのご時勢で職を失うと非常に職を得るのが難しい「障害者でも健常者でもない立場」。

障害者枠はまったく使えない。
大体一般の人と書類審査を競うとまず一番に「聴覚障害」ではねられる。
かといってコミュニケーション・プロコトルが違うから「聴覚障害」は絶対にいわないとビジネスの場合は信用にかかわる。


かといってトラブルを防止するすべはない、というのは過去記事の通り。
まさに八方ふさがり。


釣りでかかるのを待つように行動を起こして結果を待つしかない。


[自分分析・再思考]健常者からみた聴覚障害者 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090501


捲土重来の期は秋か?
ふふふ。
実は俺もやばい。
やばいけどメインストリートが閉じているのでは方法がないので新規プロジェクトを自分でたちあげた。
ほかに手段無し、の見切り発車のあぶない橋だけど、私がだせるものをやるしかない。
まあそんなとこ。


聴覚障害をもつ人は「普通の人」「平凡な人」をめざしてはいけないのだ。
「普通の人」を超えたスペシャリストでないと。
そして自分が「生み出す」ビジネスをもたないと。
しかし、そのような能力をもつためにはコミュニケーション能力が〜、という大問題。
「障害」をもつって大変。まさに「人間になりたいよ〜」。


実はこの問題、報道ではわからないが、それ「以前」の問題がある。
私は彼を「知らない」。


「当たり前だ!」とつっこみそうな上記は重要な意味がある。
当時(1980年代)は「みられる」程度の聴覚障害であれば通える学校は全国で2校しかなかった


岡山と長崎。


山口県下関市で私は「岡山の学校にいってくれ」といわれたから、おそらく大阪にずっとすんでいるのであれば岡山に来る、つまり私の2歳後輩にあたるはず。


縁者があって長崎にいっていたのであれば別だが、岡山の難聴教育施設「かなりや」または内山下小学校(現:中央小学校)の卒業生でなければこの被害者は「聴覚障害に特化した教育をうけられない」まま、普通の人の「フリ」をして暮らしてきたことになる。


記録魔の私としては内山下小学校難聴学級のOB会「こだま会会報」の平成7年3月23日号をもっているが、前校長の言葉がある。

○言葉の網をつくるのに小学校四年生まで一日四時間の訓練が必要。だから固定制の学級が必要。
○通級制だと四時間の訓練時間は確保できない。低学年は人まねでOKだが、小学校四年生では自分からの行動が必要。
○適切な訓練を受けていないと、特に高音が聞こえない(私のような)子の場合、聞こえていると親でも判断するが、高度な思考、抽象的なことは理解できなくなる。


つまり彼は「聴覚障害」による物理的障害以外のコミュニケーションスキルを養えたのか?という問題だ。
たぶん「養えなかった」のだろう。
でなければ「今」不況になったぐらいで親が「殺す」ことはありえない。
今の時代がどうあれ、「将来に悲観せざる」を得なかったのだろう。


「家庭の事情」などいろいろあるにせよ、小学校教育の選択の失敗が「将来が心配」な結果をもたらしたかもしれないのだ。


人としてコミュニケーションがとれるレベルにすることは「人間になること」、「家庭の事情」よりも最優先するべきことだったのだ。そうでなければ一生涯面倒みなければならない。


この父親、学生結婚だった私の父と年齢がほとんど変わらない。
障害/健常者の徹底した分離が盛んだった高度成長期の当時20代を過ごした人としては現在の結果を想定することは非常に困難だったかもしれない。


しかし親の勝手な思い込みで殺される「障害者」はかなわない。
社会だけでなくて「親」まで自分の敵と警戒して生きなければならないのか。


障害という厳しい現実を覚悟を決めて受け止めるか、甘く見るか。
コミュニケーションがかぎなだけにはっきりと「明暗」が別れる。


おまけ。
聴覚障害者の外来はこちら。

○琵琶湖病院
医療法人明和会 琵琶湖病院
http://www.biwako.or.jp/


http://www.biwako.or.jp/tyoukaku.html
http://www.biwako.or.jp/tyoukaku.html


昭和大学病院
http://hosp.showa-u.ac.jp/SUH/
http://hosp.showa-u.ac.jp/SUH/


ここは精神科は…対応しているのかな?