「妄想系アイデンティティ」のススメ その1

■メタモルフォーゼ
私自身のやっていることを一言でいうと「メタモルフォーゼ」だと思っている。
「メタモルフォーゼ」という言葉を友人に伝えた瞬間「大うけ」。
でも過去を知る古い友人ほど「わかる」。


メタモルフォーゼの意味は「変身」といわれるが、どちらかというと「変態」。
変態って「アブノーマル」でなくて(汗)、以下。


変態 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E6%85%8B

生き残りと成長に最適化された幼生と、次世代を生み出すための生殖機能を備えた成体の間で、形態が大きく変わる


身体改造、改造人間とはいっているが、それを形作る言葉としてはまさにメタモルフォーゼなわけです。



■「僕はピーターパンなんだ」

世事のごたごたにながされているうちにマイケル・ジャクソンの急死という事件があった。
こういう時事ネタはブログのアクセスUPには非常に有効なことではあるのだろうけれど、なかなかそこまで指が動かない。


享年50歳。若い。若すぎる。
人生最後のツアーにするはずだったロンドン公演、人生のほうを先に終わらせてしまう結果になった。


数年前、とはいってもウィキで調べりゃ年代がわかるという便利なご時勢であるが−「マイケルジャクソンの真実」という番組があった。ちょうど帰省していて家族全員でみていたのだが、番組の展開に「違和感」が残った。


マイケル・ジャクソンの真実 〜緊急独占放送 密着240日〜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F


http://www.ntv.co.jp/mjsp/
http://www.ntv.co.jp/mjsp/


例によっての話のかみあわなさ、平行線。


「なんかこの番組『変』」。


番組の終盤にかかって、母がさけんだ。


「『変』なはずじゃが!マイケルは最初から『自分はピーターパンである』とゆうとるが。なのにインタヴューアはマイケルを『40代の男性』としてしかみてない。マイケルが『自分はピーターパンである』とゆうとるんだから、マイケルの言葉はピーターパンの視点で解釈しないと。『40代の男性』で解釈するからおかしなことになるんじゃ!」


ああ!なるほど!たしかに。
マイケルの人生をひもとくと哲学・言動・行動がすべて「ピーターパン」の一言で一致している。


つまり「マイケルジャクソンの真実」って「マイケルジャクソンは『ピーターパン』だった!」なんだよな。


■まさに「無間地獄」だね
なんか変。の裏には「自他認識の不一致」というのはよくある。


人が人のなかでしか生きられない/育たないの大原則のなかで「自他認識の不一致」の問題というのは結構深刻だ。特に形を重んじる「日本」の中では「わたしがわたしであるために」は非常に難しい。


だから大半の人は「僕はピーターパンなんだ」を本気でうけとめることはなく、マイケルの行動が「40代の男性」としてふさわしいかどうかをみるだろう。


そして大半の人は世間が要求する「モデル」「理想のあり方」を求めて努力するだろう。


だが、「あなたにみえている『私』は私ではない」と前提に立って人生を戦うタイプの人間もいる。
筆者である私伊東聰もこのタイプであった。
そういう「私」の皮膚感覚とはどういうものであったか、というと「閉じ込められている」という感覚なのだよね。


まさに「無間地獄」という言葉があるのだけどそれ。
地獄のなかの一番下、最悪の「地獄」だ。
どういう地獄かというと「五感の感覚のまったくない絶対孤独」だ。
「喜怒哀楽の感情もない。」
「透明人間のような存在」というとわかりやすいだろうか。
ありとあらゆるものがほかの人に通じない存在、だ。
耐えられない場合は自分を確認するために「自傷行為」にはまることもある。
まるで「閉じ込められた自分」をほりおこそうとするように。


「閉じ込められた自分」をほりおこす方法は自傷行為ではない。
しかも多くの人がおちいるように「誰かに発見してもらうことでもない。」
自分で「ほりおこしてみる」しかないのだ。


自分で「ほりおこしてみる」ために必要なものは「何か」というと「自己イメージ」、つまりほりおこした結果のイメージなのだ。


■「妄想系アイデンティティ」を宣言する
私には弟がひとりいるが、弟のもっているセンスは私がもつものとまったく違う。


一言でいけば弟は「芸術家」肌だ。


某喫茶店の店長を勤めながら、単発のツアーガイド、本業にしたい音楽にいそしむ。
幼少のときから陶芸、工芸、美術、楽器づくりと「ものづくり」の世界への関心が強い。
軍人・学者系の伊東家にはちょっと異端な存在だった。


そんな弟がある日石の彫刻をほった。
人間が苦しみながら石からうまれようとしている姿だった。


いったいどうしてこんな彫刻を?


弟は答えた。


「石をみていたら、彼が出たがっていた。だからそのとおりにほった。」


ほりおこした結果のイメージ、それは出たがっている「彼」のイメージをさがすことだ。


弟のように「彼」を発見してだそうと「手を貸した」人物に出会えた人はかなりの幸せものだ。
大半はそのような人を捜し求めて人生を浪費してしまう。
そうでなくて、自分で発見して提示しないとダメなのだ。


結果の確固たるイメージこそがその人のアイデンティティなのだ。
あとはどうやってほりおこすか、だ。


だから、昨日の「行動を見るに2割の懐疑心」、「だから最初から○○といっていたじゃん!」が大事なのだ。

マイケル・ジャクソンはピーターパンだった。
はじめからそういっていた。
そしてピーターパンになるべく行動した。


私は「妄想系アイデンティティ」といっておりますが、「妄想系アイデンティティ」は本人の自発的な自己啓発行動の原動力になる、そういうもんなんです。