サキ@エリア88になりたかった -> ドラキュラへ

■サキ・ヴァシュタールになりたかった

昨日「妄想系アイデンティティ」のススメを書いた。


では伊東聰の「妄想系アイデンティティ」ってどうなっているの?


「大人気ないな」とおもっていたのであまりいわなかったのであるが、「妄想系アイデンティティ」の効能の大きさに気がついたのでいってみようと思った。


「サキ・ヴァシュタールになりたかった」


サキ・ヴァシュタール、エリア88にでてくる司令官である。


エリア88の登場人物 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A288%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9


※サキ・ヴァシュタールの項目を確認


ただし、「昔から…」といういい方ができず、「メタモデル」検索の時系列時代系列はめちゃくちゃなのであるが。


ゴールラインのビジョンとしては彼だな。


今そこにたどりつけているか?というとたどりつけていないです。NO。


でもベクトル(方向性)はあっていると思う。
日光行き「ふらっと両毛」コースだけど(苦笑)。


何がいいかというと、おもいつくままに。

・黒髪・長髪・理性的
・身体的ハンデを乗り越える力がある
・非常に庶民的
・包容力がある
指導力がある
・求心力がある
・自分に厳しい
・厳しい現実をひきうける強さをもつ
・人間に対する愛情が深い
・優しさの裏返しとしての必要な冷酷さがある
・現場主義・行動力がある
・冒険心がある
・部下と同じ目線で行動できる
臨機応変の解決能力をもつ


えっと心理テストだと一番最後に書いた項目がその人の求めている足りない項目になるから。
そうか、「臨機応変の解決能力」。とほ。


あと実はこれIT研修で知り合った友人たちに話してみて聞いてみると、サキ・ヴァシュタールにあって、伊東聰にないものというのは「自己開示力」だそう。


要は「非常に謎めいた正体不明の存在」というのが第一印象だそうだ。
「秘密主義」というか。


ほかの友人たちのものも聞いてみると「友人そのもの」が「妄想系アイデンティティ」と一致しているんだよね。


マイケル・ジャクソンが「ピーターパン」といったときに「あ、そうか」と思うあの感覚が心身一致しているというのかな…。


「妄想系アイデンティティ」を開示するのはいい年した大人だと「かーなーり」勇気がいるのだけど、聞いてみると面白いです。


しかも下手にほかの形容詞でにごすよりもメタモデルが一致するからわかりやすいかな。


■「妄想系アイデンティティ」をもっと一般化してみると。
「妄想系アイデンティティ」でサキ・ヴァシュタールをあげるのには欠点がある。


一部のマニアでないと「理解できない」ということだ。


ではもう少し一般化した妄想系アイデンティティメタモデルはなんだろう。


母がいった。
「あんたはドラキュラみたいな男になりたいんだ」


はい。わかりやすかったです(笑)。


ドラキュラといってもブラム・ストーカーの小説版ではなくて、モデルとなったヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)に近いのかもしれないが。


ドラキュラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9


ヴラド・ツェペシュ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A5

・闇夜が似合う(実は私30代より日光アレルギーがある)
・裏の世界で行動する(おいおいおい!)
・十字架が苦手(いや…それは「月の勢力」へ配慮してのことで…(苦笑))


これも衣食住から職業イメージにいたるまで「はずしていない」。


まあ方向性をそこに定めてゆずらなかったから結果的に「はずさなかった」のかもしれないけれど。


■「妄想系アイデンティティ」が示すもの
「妄想系アイデンティティ」の大事なポイントがひとつある。


そのアイデンティティから「はずれる」もしくは「否定する行動」は「アドバイス」されてもしないということだ。


それが「自己愛」の根源だからだ。
自己防衛や自己成長の原動力になっているものなので、ここに手を加えるのは「死ね」といっているのと同じになるのだ。


だから「人の話を聞いてくれない(話したとおりに行動してくれない)」ということが多い。
そして「自分に固執する」、「わがまま」「プライドが高い」という評価になる。


特に経験上一番困ったのは「聴覚障害者のよいモデルを増やすため」に「人当たりのよい好青年モデル」を強要されつづけたことだ。たとえば「素直で笑顔がいい」などだ。


具体的には乙武さんのような「さわやかなイケメン」だ。


非常に「苦痛」だった。


周囲の期待の裏返しなのだけど、「聴覚障害」という記号に強い嫌悪感を感じるのはその体験に由来がある。


私個人としては「サキ・ヴァシュタールになりたかった&ドラキュラモデル」なので、まったく「人当たりのよい好青年モデル」相容れないわけだ。


特に「スマイル(笑顔)」を強いられるのは非常にきつかった。
どんどん「自分でない方向に引き離される感覚」がした。


「障害を忘れる」をスローガンにして、いろいろなしくみをとりこんでいるのはこういうところで二次的な障害がたくさん増えるからだ。それが正直大変うざい。


もっとも「自分を変えるためにカンフル剤的自傷行為」として、モデルからはずれた行動をとることはあるが、それは「特別」なことであって持続力はないし、やはり「元に戻る」。


ペルソナとして戦略的に「人当たりのよい好青年モデル」をとりいれることもあるが、継続力のあるものではない。GIDでないものがフルタイムの女装を強いられたら音をあげるのと同じだ。


やはり人間だもの。24時間「役者」はできないよね。


人にアドバイスするときはその人の「妄想系アイデンティティ」にそれがあっているか?というのをまず確認する、ということが大事だと思う。


その人は30歳、50歳、男女、健常者/障害者以前に「その人自身であるための必須条件の記号」がかならずあるから。


実は「中禅寺湖経由で…」と同じように「情報不足」で本人自身の「必須条件の記号」から外れていたら伝えてみると幅は広がるのだけどね。


それを把握しやすくするのが「妄想系アイデンティティ」ではないか?
少なくともそこをはずすと「ああ、僕のことをわかってくれないんだな」と思ってしまうから。
逆に「わかってくれない」と思うときは「妄想系アイデンティティ」をどこまで重要なこととして自己開示したか、とそもそも相手がその価値観をうけいれているのかを確認する必要がある。


「妄想系アイデンティティ」、それはその人のあり方を「ひとこと」で表せるものではないか?と私は思っています。


「妄想系アイデンティティ」と現実検討能力との関係性は次回説明します。