ファーストディシジョンとラストクエスチョン


この一連の記事を書いたときにふと思った。


[人生の設計図を描く]行動を見るに2割の懐疑心 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090709


[メタモルフォーゼ]「妄想系アイデンティティ」のススメ その1 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090710


[メタモルフォーゼ]サキ@エリア88になりたかった -> ドラキ - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り
http://d.hatena.ne.jp/stshi3edmsr/20090711


「ファーストディシジョンとラストクエスチョンの人がいるのかも」


「ファーストディシジョン」とは最初の決定、最初に宣言したルールを最大限に重んじる人だ。
イスラム教徒に多いと思う。
なにか行動を起こすときに「最初に宣言したルール」に沿っているかどうかを確認しながらことをすすめる。


現在日本ではラストクエスチョンでものごとが動いているのかもしれない。
だから「最初に○○といったじゃん!」というトラブルになるのではないだろうか。


ラストクエスチョンのポイントは自動的に最初の宣言が「否定」されるということだ。
それによって拙速にに臨機応変に動けるという長所はあるのかもしれない。
せまい世界ではそれが成り立つと思う。


ファーストディシジョンの人にとっては大変だ。


ファーストディシジョンの場合は最初の原則にしたがって全体が調和しているので、勝手に朝令暮改されたら非常に困るのだ。


9つの案件を抱えていたとするとひとつが「ラストクエスチョン」で朝令暮改をやってしまうと残りの8つの調整ができなくなる。バランスをくずしてトラブルになるということだ。


要するに9つのプロジェクトの予定全体を変えないといけないような課題をラストクエスチョンで朝令暮改でやられたらかなわんということよ。


9つのプロジェクトで1プロジェクトに5人がいるならば45人の予定に影響がでる。
さらにその5人が9つのプロジェクトをもっていたら…。
ねずみ算式に影響は広がる。


しかしラストクエスチョンで朝令暮改をやる人は自分にみえる5人しか考えていなかったりするんだよ。
「この5人が俺のいうとおりにすれば解決する」と考えていたりする。


ファーストディシジョンを変えるための何かがある場合には正統な理由が必要なのだ。
そしてそれを残りの8つに問い合わせて「OK」であればファーストディシジョンを書き換える。


理由がなかったらファーストディシジョンを書き換えることはない。
だから「頑固で融通が利かない」という結果になる。
だが、ファーストディシジョンにこだわる「頑固で融通が利かない」面がないと、長期的な逆境において結果をだすことはできない。
ところがそういう立場にある人ってそういないんだよな…。


ラストクエスチョンの人の人は「自分の正当性」や「自分の欲」のためにルールをどんどん変えてしまうところがあるからこわいんだよな。


ファーストディシジョンの場合は「非常に単純でわかりやすい」と思っている。
「あの人の原則はこうだから…」で必要なときだけのコンタクトのみで動けるだろう。
ラストクエスチョンだと「今どうなっているか」をいちいち確認しないといけない。
確認&検証作業で逆に融通の利かない状態になるだろう。


ちなみにトトメス三世の有名なメギドの戦い、この勝利の要因はファーストディシジョンが非常にしっかりしていたことであった。


大原則をしっかりさせてあとは各隊の自主的な判断にまかせた。


これは企業のかかげる「ビジョン」という考え方に通じているだろう。


逆にいちいち確認とはんこが必要になった西ローマ帝国は滅んだ。
そんなもんである。


以上