「精神的難聴」が多すぎる

最近健聴者理解?という点でいい言葉をよく教えていただく。


一番大きいのは「精神的難聴」という言葉だ。
自称インテリでない人にわかりやすい表現でいうと「勝手つんぼ」という表現か?
心理的に耳が閉じている人」ということだ。


※ちなみに僕がよくこのブログで使う言葉「メタモデル」は「勝手文法」というそうだ。
つまり自分のみたいもの、聞きたいことしかきかずに自分に都合のいいように解釈する、というか。


さてその精神的難聴、ぐぐってみると。


■心因的難聴
精神的心因的疾患が原因でおこる難聴のこと。
耳の機能そのものには異常がないのに耳が聞こえなくなる。


うつ病とかも体にでるケースもあるというから、「心のトラブル」というのがどこにでるかはわかりにくい。
「聞く機能」の聴覚神経 to 脳の解析がトラブルを起こすといくことは考えられるだろう。


■心の傷
で、「心の傷」に着目したときに僕が浮かぶのは
マティスメソッドや聴覚セラピー。


http://www.tomatis-japan.com/

http://www.sqr.or.jp/usr/kaiyujyuku/index5f.html


どちらも興味はあるが、優先順位的になかなかやるチャンスはなし。


疲れたときにモーツアルトきいているぐらい。


■「耳が閉じている人」
NLPの本では耳が閉じている人、という言葉もあった。


要は聞く耳もたない人。


自分が話すことばかり考えているから相手の話を聞くことができない。
そりゃそうだな、要するに「聞く」場数不足。


こういうことを見てみると聴覚障害とは器質的・心因的難聴だけでなく、
精神的難聴もあって、実はそれがかなり多いのでは?ということ。


そうすると発信側のコミュニケーション能力だけの問題ではなくなる。


最後に面白い論文みつけ。


木村敦夫
「チューホフ劇におけるコミュニケーションの問題」
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/4239/1/KJ00004390642.pdf


西日本滞在中にめずらしくチューホフの短編を3つ読んだ。たまたま。


視野の点で行くと「精神的近視」というものもあるそうだ。
「精神的遠視」もあるかもしれない。