「愚痴、不平、不満」は運気のリセット

9月〜10月上旬まで実家に帰っていた。
おかげで自宅で開催された10月3日の月見茶会に参加することができた。


10月3日は同時に岡山・後楽園の月見茶会でもあったのだけどね。


いつのまにか、新人さんが増えていた。
順調な感じかな…。


いつものように母のメンタリングを行う。
これが大変。
なにせ彼女をとりまく「環境」のほうに変化がないと根本的なところが解決しない。
老舗・京都流伝統家業30年ぐらいパワハラモラハラ状態だもの。
しかも責任感が強いことに甘えられてか、いいように使われてしまい、見返りがない。
残るのは徒労感だけ。


状況を分析するとどうも問題は母とその周辺のみにあるのではないということがわかった。
つまり周囲の人々の状況に厳しいものがあって、八つ当たりされているようなもん。
田舎の殿様商売の文化だから、余計にそういうおかしなことが起こる。


そういうことはアスペ疑惑な母には読み取れない。
そういうものを真正面からうけとめてプライドだけでささえている。
京都に対する岡山本部の面子としてのプライドだけだ。


ささえきれるものではないから、
その苦痛を「愚痴、不平、不満」として家庭内にぶちまけてしまう。


そうすることで受け止める側のエネルギーも奪ってしまい、悪循環。


おいおい、それが「不幸」の元凶だってば!


「愚痴、不平、不満」ってね、
今までの努力や積んだ徳の「リセットボタン」なんだよ。

簡単にカウント0になってしまう。
だから努力してもいいことしても
みんなのこと考えて動いても本人が幸せにならないんだよ。


「ねたみ、うらみ、そねみ、お気の毒」とは友人の言。
「愚痴、不平、不満、これもお気の毒」
しかも新型インフルエンザよりも伝染力がすごい。


こういうときは予防しかない。


母に「いけず」という言葉を教えた。
意地悪・性悪という意味、しかし単なる意地悪ではない。


http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK200810020022.html


「事実と論理でしかコミュニケーションがとれない」母には対処は難しいなあ。


「おかしいものはおかしい」と正直に感じて対処しようとするから…。


人間は論理的に正しい言動をする生き物ではない。
すべてが論理的に正しい姿で進むのではない。
だから行動が論理的に正しいことを追求するのではなく、
まずココロの防衛を、という話を。


よくあることは母に向けられた言動そのものが「母に伝えられるべくして投げられた」ものではないということ。


相手の機嫌が悪いとかうっぷんばらしでなげられているものも多いのだ。
逆にコミュニケーションや甘えたくて、変化球をなげる人もいる。
こういうものを母が正しく対処するのは難しい。
相手の意図がよめないためにかかえこんで苦しんでしまうのだ。


しかしこういうことがある、ということ知るだけでも対処法が思いつく。


とりあえず
「苦手な人ほどひんぱんに丁寧にコミュニケーションをとること」
「相手のいけずは『甘え』と『嫉妬』からきているから、流すこと」
「自分の体力や精神力と相談して、できることをやる」
「愚痴、不平、不満がでそうになったら、問題処理能力オーバーだからその環境から身を引く」


以上