家族も「他人」です。

試験があってそのあと修羅場でしかも風邪をひいてブログどころでない状態に。


あと2日なのでがんばっております。


ところで35歳になると脳の構造が変わるため、
若いころに見えなかったものの「正体」がわかるといいますか。


若いころからの強い悩み。
なぜ「家族的な甘えの構造」に巻き込まれてしまうのか。


一般的に他人に対してイライラしたりする
主たる原因は「人間関係の距離が近すぎる」ことにある。
つまり、「テリトリー」が犯されているのだ。
だから強い警戒心を感じてぴりぴりしてしまう。
これは人間…というか、動物的な本能だ。


なぜ「テリトリー」が犯されていると感じるのか。


実際そうなんだろう。


実は「障害もち」ということもあって、「大きなお世話」が殺到しやすい。


変に心配されすぎたり、変に注目されすぎたり。


だから「大きなお世話」は反吐がでるくらい大嫌いだ、と
数十年宣言してきているのに「わからない」人が多い。


「保護的な障害者対策」弊害だろうなあ…。


「大きなお世話」をする人に共通点がある。


「支配欲が強い」
「甘えが強い」


家族に接するように他人に接する傾向があるのだ。


家族に接するように他人に接する?


それ自体は美徳だろう。


また伊東家伝統として「他人に家族のように接する」というものもある。


自分でも誇りに思う美徳だろう。


ところがこのふたつが真に美徳として行われるためには必須の条件がある。


「家族が他人である」という意識をもつことだ。


他人だったらどうでもいいことが
家族であるために許せない、ということはよくあるだろう。
それは家族に対する「甘え」である。
その家族に対する「甘え」を
そのまま「他人」にもちこんだらどうなるか。


さきの「大きなお世話」に発生する。


家族に他人に対する「礼」を行うことによって
はじめて人間関係にけじめがつく。
それがあってこそ、他人に家族のように
接しても人間関係の境界は守られる。


「支配欲が強い」
これも家族に対する意識の現われだろう。


他人に対して外面はいいのに、家族に対して暴君になる人がいる。
それは「甘え」の表れによる「支配欲」だ。


その暴君なふるまいを他人に対してできますか?


「家族」を特別なものを思っていませんか?
「家族」を「自分のもの」と思っていませんか?


夫も妻も子どももその立場、役割以前に「一国一城のあるじ」だ。
夫も妻も子どもも「自分の世界」を持っている。


家族も他人もすべて他人だ。


そこに介入するということは「ふれさせていただきますよ」という礼がいる。
他人に対するけじめがあってこそ、はじめて家族的なあたたかさが保障できる。


そのことがわからない人で「甘え」をもちこむ人が家族の間でも他人の間でもトラブルを起こす。


「甘え」の強い人は家族が「一国一城のあるじ」「自分の世界」をもっていることを決して認めない。
そしてその考え方は会社における上司/同僚/部下の関係にも影響する。


部下ののことを細かく管理する。
プライベートを明かさない秘密主義の部下を「信用できない」として責任のある仕事をさせない。
「あめとむち」の感情で相手を支配して、パワーハラスメントモラルハラスメントを起こし、
人材をつぶし、会社の業務を阻害する。


それは「職業人間」というプロフェッショナルのすることではない。


家族も他人もすべて他人、が前提で「他人に家族のように接する」が生きる。


以上