「働け???」障害者の厳し〜い現実

あからさまに「ものをいってしまえ」というかなりの爆弾発言…。
「伝わり方」を考えてものを書くのに少し疲れた…。


アクセスからほかのHPへ飛んでいろいろな記事を読ませていただくのだが、「あまりに現実を知らない」ということが多くて愕然とした。


そんなところでいろいろな想いがあって、つもりつもったのでOUTしてみる。


■そんなことをいう私自身
まず私自身だけど「自分の障害にかかわる医療・工学・教育的なメンテナンス費用は自分でかせぐ」と考えている。


「障害をわすれて『私らしく生きたい』」という想いがあるからだ。」


「ありのままの私らしく」というキャッチフレーズがあるが、その「ありのままの私」には「障害をもつ私」は入っていない。「障害をもつ私」は「厳しい現実」カテゴリーに入っている。


くどいほどにいうアイデンティティ」と「現実」は別物だ、という思想に基づく。


「厳しい現実」は解決するべき「課題」だ。


障害者手帳、障害者年金、医療保険「ないない」
私には障害者年金もなく、医療保険もなく、健康保険の適用もなく。
自分の障害に対するメンテナンス費用は自費100%だ。
しかも高度療養費制度も使えない。


唯一の救いは医療費控除がきいて、税金の額が抑えられることだ。


手術をして200万、数十万近くがとんだを除いて、年間の医療費は私個人で15万。
この医療費すべて自費。


それとは別に補聴器代が左右で20万以上。
まだこれは安いやつで、昔は一機しか買えなかった。
スペアがないとやばいのだが、スペアにまわる費用はなし。
これには医療費控除は利かない。
しかも使用限度は5年。


障害者手帳がないので補聴器補助なんでものもない。
全部自費だ。


■教育投資支援?ないない
そんな改造人間な私だけど、さらに自称自己愛+プライドの高い人間なので、「障害の身の丈にあった生活」なんてものははなから望んでいない。むしろムショにいれられたような苦しさを感じて生きている気がまったくしない。


なのでエリア88のサキにあこがれた上、「健常者だったらどういう人生を送っていたか」をベースにして、「健常者」としての生活をつくっている。


そうすると「何が必要になってくるか」というと「自己投資」なのだ。


職業で必要なスキルや大学院進学費用。これも自己投資。
これも自費。


本当は外見的なものにも自己投資したいが残念ながらそこまでは限界。


■「障害者」に「福利厚生」なんかない!
失業保険がない!これも自己投資。


「え?」と思われるかもしれないが、僕と同じ年代の障害もちには「正社員雇用」なんてまずない
「嘱託」か「契約社員」か。
そうすると失業保険もない。
だから仕事がなくなっても「教育訓練給付」。あるわけない。
自費です。


■そして「傭兵人生」
というわけで傭兵みたいな人生になるわけだ。
つまり「独身の普通の生活」+α上記をかせがないといけないからだ。
上記をねらってスキルUPしてさらに上位を、というわけだ。


「障害もち」が収入をふやすほぼ「唯一」の方法だ。


だが、非常にリスキーな人生であるには変わりはない。
景気がいいときは「障害もち」だろうが、仕事に結果をだせる能力があるなら、雇ってくれるが、不況のときは「障害もち」はエントリーが難しくなる。


「障害者枠は?」だが、そんなもの手帳がなければ使えない。


つまりこういうときだけ「健常者」と同等の勝負をさせられるのだ。
「障害者でも健常者でもない」社会的立場上、これは大きなハンデになる。


「健常者」枠にはいっていてもやはり「障害者」は「障害者」だからだ。
人は「健常者」枠だったら、わざわざ「障害者」を採用しない。
人が足りなくて「障害者」をやとったら「できる人」で「いい買い物した」というパターンが多いのだ。
しかも「できる人」だった、にはまる「障害者」はめったにいない。


■で…
何を申したいか、というとだな…。


この事件だ。

[世間の「動き」に思う]「障害で将来を悲観」 両親が息子を殺害 大阪 - さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り


この事件の感想をよんで「愕然とした」。
しょせんその程度の認識かよ、と。
「障害者」でも努力して働けばいいのに、とか。
障害者手帳や年金があるのに…」とか。


あのね「採用されなかったら」努力して働くなんて出来ねーんだよ!
まして「コミュニケーション教育」受けていない聴覚障害者でしょ、
どこの企業が「健常者枠」で雇うというのだ。
まずコミュニケーションとれなきゃ「使い物」にならん!
ボランティアじゃあるまいし。


今のご時勢健常者がひとつの仕事に300人集まるんだよ。
「障害ぶっとばすぐらい」差別化しないと仕事なんか得られるわけねージャン。


それを「努力が足りない、甘えてる」ってお前…。


コミュニケーションに自信なかったら採用された職場で
やめさせられないようにあのテこのテでしがみつくしかないね。
絶対にやめたらダメだ。
ただ軽度の障害者はプライドが高いのでやめることが多いんだよ。
やめて次がなくて無職、もしくは絶望してしまって勤労意欲なくして家庭内暴力とか。


「ジョブコーチ」かませられるといいんだよなあ…。


障害者手帳や年金があるのに…」って…あなた…。
軽度の障害者って「障害者手帳や年金」なんてないのです。


だから「自分のビジネスを…」でがむしゃらに働かないと、
「普通のサラリーマン」にすらなれないから、
「天国と地獄」なのだ。


しかも+αのお金も含めて…ね。かせがないといけない。生きるために。生かすために。
そうするとどうしても「健常者」より上位のキャリアをめざす必要がある。


で、がつがつしていたら今度はそれで「金権主義」といわれたりする。


あのさ…どうやってめしをくうよ?
医療費・補聴器代、日々の衣食住を支える金。
「障害もち」が「ワーキングプア」じゃさらに待遇が低下するじゃん。
ワーキングプアしようと思ったら、がつがつせな抜け出せん。


自分ですべてやってみ。衣食住。
(だいたい僕を「金権主義」いう人はパラサイトシングルで「やっていない」人が多い。)


「健常者」よりも「金」かかる。ちょっとやそっとじゃなくて「かなり」。
しかも日本は「障害もち」「病気持ち」は失業につながる国なんだよ。
医療費メンテナンス費用、そして失業対策費確保&教育投資自己確保は当たり前じゃないか?


まず「健常者」というプロコトルめざしてがつがつやることでひらける道はある。
そして、自己愛にもどついてわが道をいく。


でも一方でそれができる人はまだかなり幸せなほうだ。


おきていることには必ず「わけ」がある。
「障害もち」「病気持ち」の大半は「仕事できる状態でない」。


「仕事できる状態でない」でない、がどういうことか。


コミュニケーションとれないもそうだろう。
段取りができない場合もある。
継続して勤務することが難しいから、なんどかぶったおれながらの復帰になる。
あと記憶力がなくて「覚えたことを忘れる」「覚えられない」。
生産性が非常にわるすぎる。
つまり「まさか」と思うようなことで「できない」が多いのだ。


そのため「生活保護受けたまま、抜け出せなかったりする」のだ。
生活保護」や「障害者年金暮らし」だと「自分のなりたい」に対しての制約が大きい。
だからいろいろな不満ができる。彼らにもうっぷん晴らしが必要だ。
それに対して人は「生活保護やめて働け!」っていうのだが、無理です。


生活保護やめて働け!」というならあなたはやといますか?
会社がこけます。
できても不定期労働かつ単純労働だろう。
立ちんぼさんとか。
でもそれでは「生きるだけ」の人生になる。
月給5万。都会で暮らせますか?


これでは企業は雇用できない。
ボランティアじゃないから。


しかも医療費メンテナンス費用、
失業対策費確保&教育投資すら確保できないで
くうのもやっとだから、
貧困&病気持ち障害もちスパイラルから抜け出せないのだ。
さらに保護がある人とない人の心理的対立もある。
だから余計に抜け出せない。


今の日本のビジネスモデルでは救われないのだ。


「障害もち」「病気持ち」だと「普通のささやかな暮らし」ほど実現が難しいのだ。


だけどほとんどの人が「普通のささやかな暮らし」を望む。
日本のシステムが今のままだと一番「不可能」だと思う。
実際「実現が簡単だ」と思っていたら、
「妄想的オリジナル人生」のほうが実現が簡単で
「普通のささやかな暮らし」のほうが実現が難しいのだ。


それがなぜかはおいておいて…。